月に黒猫 朱雀の華

幕外・十一 それが彼女の結論

 エレベーターを下り、そこから更に階段を登る。最上階――といっても建築途中のまま放置されているこのビルにおけるそれには「現時点の」とつけるべきか否か――に出ればむき出しの柱が寒々と並んでいる。ひどく破壊された柱が何本もあり、床にも崩落した箇所やひび割れた部分が目立つ。
 ワラキアの夜――死徒タタリとの激しい戦いの痕跡は時を経てもそのまま残されている。
 柱の間を風が吹き抜けた。春とはいえまだ風は少しばかり肌寒い。風に混じった白い欠片は、万年桜の花びらか。
――荒れた墓場のようですね。
 シオンはすっと周囲を見回す。
 本来の役目を果たすことなくただ立ち並んだ柱の群れはこのシュライン自身の、そしてここで滅びた一人の吸血鬼、かつて錬金術師だった者の墓標のようで。
「……私にはふさわしいのでしょうね」
 呟き、シオンは踏み出す。この場所の中央、柱に囲まれた広場のようになっている場所へと。さつき達は無言でその後に続いていく。

『錬金術師ともあろう者が、ずいぶんと感傷的なことを』

 どこからともなく響いた声に、はっとさつき達は周囲を見回した。しかしシオンは構わず歩を進める。
「感傷ではありません。
 これは事実です。
 ここはタタリが滅びた地。私とズェピアの決着の地。
 タタリが新たに再形成され、失ったはずの『私』が再び在る、その場所にここほどふさわしい場所があるでしょうか。
 そして建設途中で放置されたこのビル、破壊されることもなく、完成することもない中途半端なこの神殿(シュライン)は『私』のようではありませんか?」
 淡々と語り、シオンは足を止めた。
 その、わずか十歩ほど先。
 いつ――どこから――どうやって――全てが不明のまま、その女がそこにいた。
 オリエンタルな雰囲気のドレスとかぶり物を身につけた、褐色の肌、紫の髪の女――オシリスの砂。
 その目は閉じられていたが、シオン達は皆一様にオシリスの砂が自分達を見ていると感じていた。
「確かに。その例えは的を射ている。
 人としても吸血鬼としても錬金術師としても中途半端な存在へと堕ち、その状態から引くでもなく進むでもない哀れな残骸。自らを思考の糸で操る生き人形。
 あなたには実にふさわしいと言える」
 目を開くことなく淡々とオシリスの砂は言う。
――当然と言えば当然だろうが……シオンそっくりだな。
 オシリスの砂を見据え、アレックスは思った。
 オシリスの砂は髪の色こそ同じだが肌の色他、その身体的特徴はずいぶんとシオンとは異なっている。シオンが十代の少女であるというのに、彼女は二十代に見えるという点もある。
 それだけではない。オシリスの砂は決してシオンを嘲ったり見下したりはしていない。事実もしくは分析結果を冷徹なまでに列挙しているのみだ。そんなところがシオンとそっくりだとアレックスは思うのだ。
 それを裏付けるかのように――
「あなたにもふさわしいでしょう?
 あなたはワラキアの夜に取り込まれて死んだはずの人としての私の命。本来存在しないはずの哀れな亡霊。記憶と情報から自らを生み出した幻影なのだから」
 シオンもまた、オシリスの砂のおそらく事実を列挙した。
「なるほど、あなたは消え去る気はないのですね。
 シオン・エルトナム・アトラシアの結論たる私を前にしてそのようなことを言うとは」
「いいえ。あなたは私の結論ではない。
 私とあなたには三年の経験の違いがある。私はこの三年で進化した。あなたの、いえ、アトラスの悲観に私が至ることはない」
「それは勘違いだ。
 あなたはただ自らの堕ちた状況に己を最適化しただけに過ぎない。進化ではなく、退化することによって」
「かつて所持していた機能を切り捨てたことのみを指して退化と見なすのはあまりに短慮。
 機能を切り捨て、性能を下げたことが私に新しい未来を導いた。
 あなたでは持ち得ない、希望に満ちた結末の夢を」
――シオン、いい顔してるなぁ。
 正直なところ、シオンとオシリスの砂の会話はさつきにはさっぱりわからない。
 しかしオシリスの砂と対峙するシオンが真っ直ぐに相手を見、その目には強い意志の光が、その表情には自信の色がはっきりと表れていることは見て取れる。
 相手が何者であろうと今は何の心配もいらない、そうさつきが確信できる顔をシオンはしている。
「……そうか」
 しばしの沈黙の後、オシリスの砂は言った。
「愚かだが、否定はしない。今のあなたに算出できる結末はその程度のものでしょう。
 その結末を抱いてただ消え去るがいいシオン。
 冥界の砂は十分に機能を果たせる。
 もはや残骸であるあなたも、バレルレプリカの助けも不要」
 どこからともなく風が吹く。その風がオシリスの砂の、シオンの服を三つ編みを揺らす。
「望むところです。私達はどちらも三年前の私ではなく、新しい道を歩いている。
 決して両立することのない、譲ることもできないそれぞれの道。
 どちらの道が、未来が生き残るのか――決着をつけましょう」

「その前に」

 シオンが構えようとしたまさにその時、口を開いたのはサキエル、白と黒をまとう「天使」であった。その周囲を赤い光の玉が一つ、二つ、ゆらゆらと揺れている。
 ぴ、と立てられたサキエルの人差し指の先に、玉の一つがすうっと飛んだ。
「君の目的を教えておいてくれないかな。
 君が何をしようとしたかを覚えている者がいてもよいと思うのでね」
 いつもと何ら変わらない、穏やかな口調でサキエルはオシリスの砂に問う。
「それはあなた方が勝利するという結論の元の問い。つまり無駄な問いです」
「君の勝利も決定された未来ではあるまい?」
 光の玉を弾くように指をサキエルが動かせば、光はふわりと舞い上がる。舞い上がって二つに割れ、そのままサキエルの周囲を漂った。
「覚えておくことですよ」
 答えたのはオシリスの砂ではない。彼女を見据えるシオンだった。
「ここに来て確信しました。
 ここには霊子演算器ヘルメスがある。今は概念しか存在しないはずのヘルメスが具現化されている。
 オシリスの砂よ、『私』は歴代のアトラスが至った結論に達しましたね。
 それすなわち人類の滅び。そして歴代のアトラス、その一人のズェピアもそうであったように、『私』はその回避を試みた」
「しかし回避は不可能。私はそれを算出し、歴代のアトラスが、ズェピアが身をもって実証した。
 ならばこれ以上回避を模索するのは愚か。滅びが不可避ならば、せめて無意味ではなく意味ある滅びとするべきです」
 わずかのよどみもなく、オシリスの砂はシオンの言葉を続けた。シオンの説明を黙って聞く気はないらしい。己の述べることは己で述べる、そんなところもシオンと同じだとアレックスは思った。
「意味ある滅び……って? どういうこと?」
 きょとんとさつきが首を捻ると、シオンとオシリスの砂は全く同時に言葉を発した。

「滅びた後の世界に人類が存在した証を残します。
 いずれ訪れるであろう他の天体からの来訪者にこれを伝えることこそが、“人類”という種にとっての最後の希望なのです」

「なるほど、面白い考えだ。
 それに必要なのが、ヘルメス、そして地獄門ということか」
 嘘偽りなく興味深そうにサキエルは頷いた。
「でもどうして地獄門が必要なの?」
 よくわからない、というように眉を寄せるさつきに、数拍の間を置いてシオンが答えた。
「……ヘルメスの記録機能の起動には人類全ての血液を「賢者の石」に変換・練成して燃料とする必要があるのです。
 これこそがヘルメスが実際に作られない理由」
「え?」
「地獄門を開放すれば血液の採取もずいぶんと楽になるうえ、次元を繋ぐあの門のエネルギーはよりヘルメスに力を与えてくれる」
「ちょ、ちょっと待って。オシリスの砂の方のシオンがしたいのは人は滅びるから記録しようってことでしょ?
 自分で滅ぼしちゃったらダメじゃないの!?」
「人の滅びの未来は確定しています。それを早めることになんの問題があるのですか」
「問題って……え、ええ?」
 さつきは助けを求めるように周囲を見回した。
 しかし、
「さつき君、彼女はそういう思考をする存在なのだよ」
「残念ながらサキエルの言う通りです」
 あっさりとシオンとサキエルはそう答えた。
「つまりは、あいつを倒さなきゃならないってわけだ」
 ぐるぐると右腕を回し、アレックスも言う。
 ドノヴァンもまた無言で構えている。その背では巨大な魔剣・ダイレクが浮遊し、ゆっくりと回転している。
「その認識は間違いです。
 削除されるのはあなた方。
 賢者の石の最初の一滴となりて、星の記憶の最初の一文字を記しなさい」
 ゆっくりとオシリスの砂は両手を広げた。

「私は冥界の鳥。
 死に絶えるオシリスの砂。
 霊長を救う、最後のアトラスである。
 これより侵入個体を賢者の石に変換する――」
 

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