月に黒猫 朱雀の華

幕外・九 一つの未来

「シオンの、未来の姿?」
 きょとんとした顔でさつきが繰り返す。シオンの言葉の意味が理解できなかったのだろう、驚きよりも戸惑いが彼女の顔には表れている。
 表情には出さなかったが、それはドノヴァンもまた同じであった。
 表情を崩すことなく、このシオンという娘は自分自身が倒すべき者だと言ったのだ。
 様々な時と世界が交錯して存在するこの世界ならばあり得ない話ではない。ドノヴァンも己の目で見たわけではないが、同じ人物の若かりし姿と老いた姿が同時に存在し、数世代離れた祖と子孫が同年代の姿で共にあることすらあるという。
――だからといってこの世界を侵さんとする災禍の中心にいるのが自分であると、こうも冷静に言えるとは……
 それも赤の他人ではない、親しくしている者達に対してはっきりとシオンは述べた。当初の緊張の理由はこれでわかったが、それを超えて告げることができるとは、そこにはどれだけの信頼があるのだろうか。
「そうです。「オシリスの砂」は私の未来――可能性の一つ、だったものです」
「……よく、わからないんだけど……ええと、未来のシオンがこの世界に来て、悪いことをしようとしてるってこと?」
 大きく首を傾げてなんとか理解しようとするが、自己申告の通り、さつきにはよくわかっていないらしい。
 だが確かに、シオンの言には幾つか不明な部分がある。自分の未来の姿ではなく、可能性の一つ、そして「だったもの」。
「……言葉通りか」
 数瞬思考を巡らし、低くドノヴァンは呟いた。妙に迂遠な言い方だったが、それが迂遠ではなく、言葉通りであったとしたら?
 このシオンという少女は話すべき事は明確に話す人物だとドノヴァンは見た。ならば先の言葉もそのまま受け止めた方がいいのだろう。
「オシリスの砂とやらは「シオン・エルトナム・アトラシア」という人物の未来の姿であるが、今ここにいるシオンからは繋がらない。そういうことだな?」
「その通りです。
 人の未来へと進む道は幾つもある。「オシリスの砂」は私がかつて歩んでいた道の先にいた「私」です。しかし今の私の道の先には「あの私」はいない」
「なるほど。
 しかし短時間の間によくわかったものだ。シオン、君はオシリスの砂と接触したのかい?」
 サキエルの問いにシオンは首を振った。
 だが答えたのはレン。
「わたしがヒントをあげたのよ。
 まさか、シオンの未来とは思わなかったけれど」
「白レンさんがってことは、そうか、タタリ! タタリならシオンの違う未来も現出させられる……って、あれ?」
 理解の声をさつきは上げたが、すぐにまた首を傾げた。
「残念ながら、わたしもシオンもタタリの全てを掌握してはいないの」
 さつきの疑問を察して答えるレンの表情にはいまいましげな色が混じる。
「わたしもシオンもそれぞれタタリの後継者の資格と力はあるけれど、わざわざ展開する気はない。
 でもそれは、死徒タタリの本能には背くのよ。
 だから、本能に忠実な別の後継者にふさわしい意思が現れれば、それが新たなタタリの意思となりうるの」
「そうなんだ……。
 タタリが動き出すなら、本当に何とかしないと大変なことになるね」
――タタリ、か。そんなものが関わっているのか。
 ダークハンターであるドノヴァンはその旅路の中で吸血鬼――死徒――タタリの噂は幾つか聞いたことはある。
 正体不明、住処も不明。突然現れてはその地の人々の血を吸い尽くして消息を絶つことを繰り返す、ということだけが伝わる吸血鬼タタリ。被害は甚大だというのに、タタリそのものの実体についてはほぼ何もわかっていないという。実際、実在すら疑う者もいたほどだ。例えばタタリとはこの吸血鬼ではなく、吸血鬼またはそれに類する闇の者の集団のことではないか、等――
 それがこの地には実在するという。どころか、レンの話を真に受けるならば、今、この場所にもタタリに連なる者が二人もいることになる。
「………………」
「どうしましたか、ドノヴァン。
 討つべき者の多さに、気分を害されましたか?」
「見通すか」
「ええ」
 ニコリともせず、シオンは頷く。
 さつきなどはまだ想像にも及んではいないが――この無邪気な少女がそんなことを考えつくかどうかは疑問だが――シオンは理解している。ダークハンターであるドノヴァンにとっては、闇の者、ダークストーカーは討つべき存在だと。それが死徒タタリほどの大物であればなおさらだ。
 例えそれが少女の姿をしていようとも。
「だが何を優先すべきかも理解している」
 そう、迫る脅威こそが今は肝心なのだ。
「感謝します。あなたの存在は予想外でしたが、あなたの助力を願えることは実にありがたいのです」
 ほんの少し、シオンの口元が弛んだ。
「貴様の思惑通りに行くかどうかはわからんぞ」
「それも理解しています」
 表情を引き締め直し、シオンが頷くのと同時にさつきがまた声を上げる。
「シオン、それで、オシリスの砂はどこに……ううん、いつ現れるの? もう現れてるの?」
「オシリスの砂は既に出現しています。タタリの起動はまだですが」
「場所はわかる?」
「計算済みです」
「じゃあ……」
 ゆっくりとさつきは一同を見回した。
「行こう。この街のみんなを守る為に!」
 一片のためらいもなく、右腕を大きく掲げてさつきは叫んだ。

 が。

「さつき、行くなら夜中ですよ。
 昼よりもタタリの力は増すでしょうが、できる限り人目を避けねばなりませんからね」
 シオンがやんわりととどめる。他の皆もシオンに賛成のようだ。
「日のあるうちはさつき君は動きづらいしね」
「はぁい、そうでした……うぅ、でもちょっとぐらい乗ってくれてもいいじゃない……」
 がっくりと肩を落としつつも、さつきは素直に頷いたのであった。
 

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