月に黒猫 朱雀の華
幕外・八 やるべきこと
「本当はさつきは巻き込みたくなかったのですが」
シオンと名乗った紫の服の少女はそう呟いた。
「もう、そんなこと言ってー。なんでも一人で片付けようとするの、シオンの悪いクセだって言ったでしょ?」
ぷうっと頬を膨らませるさつきに「すみません」と苦笑を浮かべてシオンは詫びた。
「でもシオンの気持ちもわかるわ」
さつきが新たに用意した紅茶を口にしていったのは、白い服を着た十歳ぐらいの少女、レン。
シオンもレンも普通の人ではないという。シオンは半吸血鬼――ドノヴァンのようにハーフではなく、吸血帰化の進行が止まっている状態だという――であり、レンは夢魔だと言った。
「さつきはドジだから、足引っ張りそうだもの」
「ひどいよ白レンさぁん」
「真に受けるな。シオンはさつきを心配しているだけだ」
そう言ったのはシオンの後ろに立っているアレックスという名の金髪の青年だ。レンの後ろにはもう一人、K´という名の黒い革のスーツを着た青年が興味なさそうな顔で立っていた。
ドノヴァンの直感だが、K´も普通の人間ではなさそうだ。つまりドノヴァンやアニタを含めてもこの場で普通の人間なのはアレックスただ一人。もっともアレックスはそのようなことを別に気にした風もなく、ドノヴァンやアニタにも特に興味を持った様子もなく、さつきが入れたコーヒーを立ったまま口にしている。
「それで、ドノヴァン、でしたか」
苦笑しながら彼らを見ていたシオンがドノヴァンへと視線を移す。移したその目には知性と怜悧さを感じさせる済んだ光が宿っている。
「あの門は「地獄門」というのですが、地獄門そのものは私達にはどうすることもできません」
さらりと、僅かのよどみもなくシオンは言った。
「……何?」
「ええっ!? それってどういうこと?」
ドノヴァンとさつきは驚きの声を上げるが、白レンやアレックスは平然としており、K´は興味なさげに窓の方を見やっている。どうやら彼らの間では話はまとまっているらしい。サキエルが落ち着いた体なのはおそらく彼の性格によるものか、人と思考の異なる「天使」だからだろう。
「地獄門を閉ざすにはある儀式が必要なのですが、それは定められた者達の手でしか行えないものです。幸いにもその者達は既に動いているとか」
「では、我らはそれを黙って待てと」
「そうです」
至極当然のようにシオンは頷くが、ドノヴァンには引っかかるものがあった。
――黙って待てと言いつつ、「巻き込みたくない」と言うのはおかしい。
それをドノヴァンが口にするより早く、
「でも、私達にも何かできることはあるよね!」
さつきが元気よく言った。
「何かって、何?」
白レンがカップをおいて少し意地悪な目で問うと、途端にさつきはう、と言葉をつまらせ視線を泳がせた。
「えっと……それは、これからかみんなで考えるとか……。
で、でも、きっと何かあると思うの。ここのところずっと何か嫌な感じがするんだもん。
門がちょっと開いてるからだと思うけど、その開いてる門から悪いモノが出てきてるからかもしれないし、それだったら私達がそれをやっつけるとか、何かあると思うんだ」
もごもご言っている内に勢いを取り戻し、「ね!」と全員に――ドノヴァンやK´まで含めてだ――さつきは同意を求める。
――どこまでこの少女は真っ直ぐなのだ……
感嘆にいささかのあきれが混じった感情がドノヴァンの胸をよぎる。シオンの言葉にドノヴァンは違和感はあるが、さつきはそれを感じた様子はない。それでいて、さつきはあのようなことを言う。自分達が関わる必要もなく、懸念していたことが解決できるならばそれで手を引くのが多くの人間の考えであろうというのに、彼女は自分の得にはならないことを進んでしようとしている。
「さつきらしいな」
そう言ってシオンの肩を叩いたのはアレックスだ。
「ええ」
シオンも頷いた。その冷静そのものだった顔が、ほんの少し、笑んでいる。
「お人好しよね」
つん、とした様子で、だがその実優しい眼差しを――その姿とは不釣り合いなまでに――レンはさつきに向けた。
「うう、私、変なこと言った?」
「さつき君は何もおかしなことを言ってないよ。皆、さつき君が正しいとわかっている」
戸惑った様子のさつきにサキエルは微笑んで首を振った。
「そうだね、ドノヴァン?」
「…………」
サキエルに同意を求められ、さつきはそうなんですかと妙な期待のこもった表情を浮かべ、シオン達はドノヴァンを興味深げに、あるいは観察するような目を向けてくる。
「私はやるべきことは己で見いだす。誰かから与えられる必要はない。
だが」
それらを振り払うように低くドノヴァンは言って、冷静怜悧な目を自分に向けるシオンを見据え返した。
「この状況でもっともやるべきことを知っているのは貴様だろう」
「そうでしょうね」
「あら、わたしも色々知っているわ」
頷くシオンに、心外そうな顔でレンが言う。
「そうですね。あなたの情報のおかげで結論まで早く達することができました。感謝していますよ、白レン」
「わかってればいいのよ」
満足そうに笑むレンをよそに、ドノヴァンは「それで」とシオンを促す。
「何をするべきだ」
シオンは答える前に、コーヒーカップを手に取った。少しぬるくなったコーヒーを一息に飲み干す。何をもったいぶるのかとドノヴァンは思い、すぐに違うと思い直した。
――緊張しているのか……?
そんなそぶりをシオンはほんの僅かも見せていない。匂わせるモノさえない。だがドノヴァンにはそう感じられた。
――……共感、か……
そうだ、と示す根拠は何もない。それでもドノヴァンは確信していた。
半吸血鬼とダンピール。人でも魔族でもなく、人であり魔族である者同士であるが故の共感。
――……拒絶を恐れているようだな。しかし何故恐れる……?
ここにいる者達の多くはこのシオンの、おそらくは友と呼べる存在だろう。違うのはドノヴァンとアニタ、そしてここではドノヴァンと同じく新参らしいK´ぐらいだ。拒絶をシオンが恐れる必要はないとドノヴァンには思える。
もっと理由を見とるには、シオンの言葉を最後まで聞かねばなるまい。ドノヴァンはシオンの言葉の続きを待った。
「地獄門が開きかけているために動き出した者達があります。その者達の目的は地獄門を完全に開くこと」
一度口を開いたシオンは冷静に言葉を発していた。僅かな揺れもそこにはない。
「当然のことながら、地獄門を閉ざすための儀式の妨害に出るでしょう」
「そうならないように、私達がやっつけるんだね?」
目を輝かせてさつきは言う。やるべきことを得た少女は胸の前できゅっと両手を拳に握り、やる気を全身で示している。
「その通りです、さつき」
「何者だい、その、地獄門を開こうとしているモノは」
「あ、そうだ。誰なの?」
シオンは問うたサキエルとさつきを、そして同じことを視線で問うドノヴァンを見た。
ドノヴァンを見つめたシオンの紫水晶の色の眼が、僅かに細くなる。しかし口調は今までと何も変わらず、あくまでも冷静にシオンは言った。
「そのモノの名は「オシリスの砂」。
それはシオン・エルトナム・アトラシアの未来の姿です」
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