月に黒猫 朱雀の華

幕外・六 闇を狩る者と地上の天使

 太陽は中天から降り始めた。
 この時間の住宅街は、表に人の姿が少ない。
 故に、チベット辺りの仏僧風の衣をまとい、背に大きな抜き身の剣を背負った男と表情の乏しい幼い少女の二人連れを見とがめる者もない。
 といっても、このMUGEN界ではこのような二人連れもたいしておかしなものではないのであるが。平穏な住宅街では少々浮く、といった程度だ。
 もっとも男――ダークハンター、ドノヴァン・バインは自分がこの住宅街にそぐわないかどうかなどまるで意識した風はない。少女――アニタとただ無言で歩んでいる。
――手がかりがまるでない故仕方がないが……
 足を止め、ドノヴァンは周囲を見回す。そこは先日ドノヴァンが銀髪の青年と、白い洋装の男と戦った場所だ。
 天に存在する禍々しき影、それに関わりがあると思われる二人のどちらか一方でもを探し求めてドノヴァンはここへ来た。ここに手がかりがあるとも思えなかったが、名前も知らぬ二人だけにまずここを訪れることしかドノヴァンには思いつかなかったのだ。
 見回す限りは手がかりになりそうなものはない。それぐらいは予測済みだ。
 ドノヴァンは軽く目を閉じ、意識を集中した。小さく呪を唱え、風の精霊に呼びかける。銀髪の青年と白い洋装の男のイメージを浮かべ、その痕跡を追わせる。
 風の精霊はくるりとドノヴァンの周囲を一度回ると、何処かへと吹き去った。
 精霊を使っても、数日前の痕跡を追わせるのは難しい。それでも他に手段がない以上、この手でいくしかない。
「……ドノヴァン」
 ドノヴァンが目を開くと同時に、アニタが小さく名を呼ぶ。
 自分の服の裾を掴んだアニタの視線が自分ではなく前方に向けられていることに気づいたドノヴァンは、その視線を追った。
 アニタの視線の先には、こちらへと歩いてくる白い服の一人の青年。ほとんど黒だが、染めているのかそれとも他の理由からか前髪だけ白い髪が印象に残る青年は、買い物帰りなのか大きな紙袋を抱えている。
「あの青年がどうかしたか」
「………………」
 問うてもアニタは答えず、少し怯えたようにドノヴァンの服の裾を掴む手に力を込める。
 そうしている間にも青年は近づく。
 近づく青年の気配に、ドノヴァンは彼がただの人ではないことを感じた。おそらくそれが、アニタがあの青年に反応した理由だ。
 MUGEN界では人でない者も珍しくはない。だがこの青年の力は強力であり、またそれが属するのは聖であろうことをドノヴァンのダークハンターとしての、そして半魔としての本能が告げる。それでいて、人のにおいもこの青年からはする。
 通り過ぎていく青年を、無意識にドノヴァンは注視する。
「…………」
「…………」
 視線に気づいたか、青年がちらりと二人に視線を向けた。
――……この、男……
 ドノヴァンは軽く眉を寄せた。
 青年のアイスブルーの目に微かに浮かんだのは興味の色。
 それだけなら、ドノヴァンは気に止めなかっただろう。興味、あるいは好奇の視線を向けられることには慣れている。
 青年の目は語っていた。
『お前達か』と。
 ドノヴァンもアニタも初めて会うはずのこの青年は、二人を知っているのだ。
「…………」
 何事もなかったかのように歩み行く青年を見据えるドノヴァンの周囲で風が優しく踊る。
【……、……】
 風の精霊の囁きに、ドノヴァンの眉間のしわが深くなった。
 その視界の中で、青年が足を止める。

「精霊を使うか。間違いないようだな」

 言いながら、青年は持っていた紙袋を街路樹の根元に置いた。
 ゆっくりと、何かの猶予をドノヴァン達に与えるがごとく振り返る。
「ダークハンターよ、逃がした獲物を追ってきたか?」
 言葉と共に、空間が変質したことをドノヴァンは知覚した。
 結界が張られたと言うべきか、位相がずれたとでも言うべきか。手段はわからないが結果は認識できる。
 この青年の場に、取り込まれたということ。
 そしてこの青年がドノヴァンに友好的ではないということ。
 理由も、わかっている。
「……銀髪の男と女の二人連れのことか」
 アニタに下がるように手で示しながら、半身にドノヴァンは構える。
「問うているのはこちらだ。追ってきたのか?」
 ゆったりと青年は腕を広げる。動きは優雅だが放たれるプレッシャーは尋常ではない。
 しかしそれで怯むドノヴァンではない。
「探している」
「何の為に」
 問う青年の周りを一つ、また一つ、光の玉が舞う。
「…………」
 ドノヴァンは口を閉ざした。この正体もわからぬ青年にどこまで話すべきか。おそらくあの二人を知っているだろうが、友好的ではない青年にこちらの事情を話すのは躊躇われる。
 そもそも、あの二人を邪悪なる影に繋がる手がかりだとは思っているが、ドノヴァンは彼らを討つべき対象から外したわけではない。
「話せないということは、彼らに危害を加えると言うことかな?」
「…………」
 強くなるプレッシャーに反応してか、ドノヴァンの背の魔剣、ダイレクが震える。
「彼らに何かがあると、さつき君が悲しむ。
 君が彼らに危害を加えるなら私は見過ごすわけにはいかないのだよ。
 ダークハンター、今一度聞こう。君は何の為に彼らを探す?」
「………………」
 無言でドノヴァンはダイレクを背から抜き、地に突き立てた。
「……答える気はない、か」
 呟いた青年の背に一瞬、光の翼が広がったのをドノヴァンは見た。
 酷薄なまでの慈愛に満ちた笑みを青年が浮かべたのも、また。
「まあいい」
 笑みと共に青年の姿が消える。
「うしろ」
 ダイレクが舞う。風が唸る音に続いて、ぎぃん、と鈍い音が響いた。
「人にしては勘の良い少女だ」
 片手でダイレクを受け止めた青年はアニタを見ていた。
 首のない人形を抱きしめ、昏い眼で青年を見つめるアニタの小さな口が開いた。
「……天使……」
――天使、か。
 アニタの呟きにドノヴァンはダイレクを引かせ、青年から間合いを取りながらも納得していた。
 聖なる力、背に広がった光の翼。そして何より酷薄なまでの慈愛に満ちた笑み。まさにこの青年は「天使」の名にふさわしい。
 「天使」が闇に連なる者に力を貸すのは一見奇妙だが、実はそうではないことをドノヴァンは知っている。天使は神の使いなどではなく、ただその力が魔と相反するものであるだけの「人ではない」者だ。確かに魔族他、ダークストーカー達の大半よりは人に対して好意的であることが多いが、それでも彼らが「人ではない」ことに変わりはない。
 どれだけ人に姿が近かろうとも、人とは異なる世界に生きる者であり人とは異なる理に生きる者。それが「魔族」であり「天使」――すなわち双方共にダークストーカーなのである。
「ほう」
 その「天使」は感心した様子でアニタを見ていた。
「その少女は……。なるほど……」
 のんきとも取れる口調だったが、「天使」から放たれるプレッシャーに変化はない。また、「天使」の周囲では相変わらず光の玉がドノヴァンを威嚇するように舞っている。
「少女よ、一つ問おう。
 君はあの天にある『異界への門』に気づいているかい?」
「何?」
 思いもしない言葉に、ドノヴァンは思わず声を洩らし、僅かに視線を天へと向けていた。
 昼日中でも存在を揺るがすことなく、そこにある『影』。「天使」の言う『異界への門』とはあの影のことで間違いないだろう。
「おや、君も気づいていたか、ダークハンター」
 そう言って、ふむ、と青年は片手を顎に当てた。
「……君があの二人を追うのは、あの『門』に関わりがあることかな?」
「…………」
 ふわりとダイレクが宙に舞う。ゆっくりと回転するダイレクを背にしつつ、ドノヴァンは問う。
「貴様はあれが何か知っているのか」
「あぁ、知っているよ」
 こともなげに「天使」は答える。
「詳細を知りたいかい?」
「貴様がまことにあれを知っているならば」
「私は嘘は言わない。「天使」だからね」
 二人が言葉を交わす間も、魔剣ダイレクは変わらずゆっくりと回転している。
 「天使」の光の玉も変わらず存在している。
――確かに偽りではなさそうだが……
 「天使」は口元に笑みをたたえたまま、ドノヴァンの答えを待っている。

「ドノヴァン」

 アニタが、ドノヴァンの服を握る。
 その昏い眼でドノヴァンを見上げ、アニタは小さく頷いた。
「わかった」
 ドノヴァンも頷くのと同時に、回転していた刃がドノヴァンの背へと戻る。刃の魔神たるダイレク本人はつまらなさげに舌打ちをしていたが。
「話を聞かせてもらおう」
「承知した……と言いたいところだが、一つだけ条件がある」
 変わらぬ表情で「天使」は人差し指を立てる。
「あの二人のことか」
「話が早いのはありがたい。彼らを傷つけることはやめて欲しいのだよ」
「貴様の話次第だ」
「なるほど。では、期待に添えるように努力しよう」
 そう「天使」が答えると光の玉がはじけるように消え、プレッシャー、そして「天使」の領域までもがあっけないほどあっさりと消え失せる。
「とりあえずは、無用の戦いが避けられたのはありがたい」
 先に仕掛けたのが自分であることなど忘れたかのように「天使」は言う。
「無用の戦いをすれば、さつき君が悲しむからね」
 さらりと、「天使」はそう言ってのけた。
 

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