月に黒猫 朱雀の華
幕外・五 呼び名
「か、帰るってどういうことよ!」
「おおむね状況はわかったが、俺には関係ない」
レンの剣幕もどこ吹く風、素っ気なくいうとK´は腰を上げる。
「あなたはわたしのマスターでしょ! 使い魔の問題はマスターの問題、関係なくなんか無いわ!」
むしろK´より素早く建ち上がったレンが、どこかの弁護士のごとくびしっと人差し指を突きつける。
「わめくな、ウゼェ」
渋面を作ってK´は座り直す。このまま立ち去るのも手ではあるが、うるさくつきまとわれる可能性を考えると得策とは思えなくなるのだ。
しかしそれに気をよくしたのか、勝ち誇った笑みをレンは浮かべ、言葉を続ける。
「ここにはあなたの知り合いのケーキ屋があるって聞いたわ。タタリがこの町で発生したらあなたにだって大問題でしょ」
「…………」
数拍無言でいたが、K´はいまいましげに舌打ちをした。
知り合いはケーキ屋だけではない。この町にはK´とそれなりの縁がある者達がいる。彼らに何かがあれば、気分は良くない。特に自分がその「何か」が起きるのを知っていたとなれば。
「……チッ」
もう一度、舌打ち。
話を聞いた時点で面倒なことになっていたということにようやく気づいての、舌打ち。
「手伝ってくれるわよね?」
椅子に座り直し、小首を傾げるレンは腹立たしいまでに無邪気な少女の表情を浮かべて見せる。
――ウゼェ。
眉を寄せつつサングラスをかけ直し、レンの言葉を躱わす方法を考える。
手伝わないわけではない、というか知らぬ顔をするわけにも行かないのであるが、レンの言葉に素直に頷くのはしゃくに障る。
どうしてやろうか、と思いつつサングラスから手を離したところで一つ、K´は思い出した。
「……おい」
「なに? 手伝ってくれるのよね?」
笑みを浮かべたまま問いを重ねるレンの言葉を無視し、K´は言った。
「『白レン』ってのは、どういうことだ」
「…………っ」
レンの笑みが固まり、焦りの色と共に崩れ、頬が彼女の昂ぶる感情そのままに赤く染まっていく。
「な、なによ、なんのことよ!」
「あのシオンってのが言ってたじゃねえか。お前のこと、「白レン」って」
予想以上のレンのうろたえっぷりが、K´の好奇心と嗜虐心をくすぐる。レンの偉そうな態度があっさり瓦解するのはいつものことだが、こういう動揺の見せ方は珍しい。
「なんでアイツは「白レン」って呼ぶんだ。教えろよ」
「…………」
うつむいたレンは、下唇を噛んだ。
「おい?」
「だって……しかた、ないじゃない……」
「……あん?」
一度目は、レンの声が小さかったから。
「……わたしは、わたしは……白いレンだもの……」
「……あん?」
二度目は、レンの言葉の意味がよくわからなかったから。
「……っ」
怪訝な顔をしているK´に、レンは怒りと、悲しみと、どうしようもない苛立ちの入り混じったものを言葉として叩きつけた。
「わたしもあの子もレンだけれども、表だったのはあの子だったんだもの。だからしかたがないじゃない!」
顔を上げ、レンはK´に言葉を叩きつける。その赤い、炎のような色の目には、涙。
「……あー」
しまった、面倒なことになった、と心中で舌打ちしつつも、レンがぶつけた感情に奇妙な既視感、そして共感をK´は覚えていた。
彼女が何を言おうとしているかはおぼろげにしかわからないが、彼女が抱くものを自分は知っている、そうK´は確信していた。
だからK´はサングラスを外した。
「……なっ、なによ!」
レンの顔が真っ赤になる。理由は先程とは別であることは、その表情が雄弁すぎるほどに語っている。
その理由は簡単だ。
レンの白銀の髪の上に、ぽんと置かれたK´の手。問答無用にわしわしとその髪をかき乱す。もとい、頭を撫でる。
「くだらねえことでわめくな」
「くだらないって、なによ!」
「要は、他にレンって奴がいるだけだろ」
「……だけ、って……っ」
カッとなった言葉をレンがまた叩きつけてくるより、早く。
「レン、お前はお前だろうが」
「……!」
目を見開くレンからK´は手を離す。
「わたしはわたし……」
「ちょっと区別するだけの呼び名のことでガタガタわめくな」
つん、とレンの額を指で軽く、突く。
「いたっ……べ、別にわめいてないわよ! あなたが聞くから答えただけじゃない」
素早く目元を袖で拭ったレンは、もういつものレンに戻っている。
「……ふん」
――簡単な奴。……ま、その方が楽でいい。
サングラスをかけ直すK´の口元には、薄く笑みが浮かんでいた。
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