月に黒猫 朱雀の華

再びの幕間・十 嘉神の夢

 雪原の上に広がるのは、濃い青の、夏の空――
 その地で二人のそっくりで対照的な少女が向かい合って立っている。
 一人は黒いリボンに黒い服、青銀の髪のレン。
 一人は白いリボンに白い服、白銀の髪のレン。
「……まあ、こんな感じね。
 オシリスの砂は消えたけど……安心してねとは言えないようね」
 はぁ、と白い服のレンは溜息をつく。が、すぐに顔を上げ、じ、と黒い服のレンを見つめた。
「貴女、わたしに隠し事をしてるわね?」
「………………」
 白い服のレンの視線を真っ直ぐに受け止めながらも、黒い服のレンは小首を傾げた。
「とぼけるのね。
 わたしが何を聞きたいかわかってるくせにとぼけて、教えないのね」
 一歩、白い服のレンは詰め寄るが黒い服のレンは答える様子はない。
「……いいわよ。勝手にしなさい。
 でも」
 ぴ、と黒い服のレンの鼻先に、白い服のレンは人差し指を突きつける。
「あのジェダって奴の好きにさせることだけは許さないから。わたしはまだまだ消えたくなんかないもの」
「………………」
 ほんの少し、微かな、幽かな間を置き、しかし白い服のレンから目を逸らすことなく、こくりと黒い服のレンは頷いた。
「貴女も消えたくはないのね。確認できて安心したわ。
 そうね、やっと見つけたんだものね」
 フフ、と小さく白い服のレンは笑う。
「それで、どうなの? あれから少しは進展した?」
「…………」
 知らない、と言うかのように黒い服のレンは顔を背けた。
「ふうん……」
 面白いものを見つけた、そんな顔をした白い服のレンは両手で何かをすくい上げる仕草をする。
 淡く青白い光を宿したそこに、浮かび上がる一つの光景。

 どこかの屋敷の居間だろうか、あたたかな薪の火が燃える暖炉の前のソファに座った一人の男――嘉神慎之介。
 嘉神の膝の上には、黒い猫が丸くなっている。
 猫の頭を撫でる嘉神の手つきも、猫に向ける眼差しも、優しい――

「こんな夢を見る程度には、思い出を自分のものにしたのね」
 楽しげに呟く白い服のレンをちらりと見やる黒い服のレンはむっとした様子で眉を寄せる。
「怒らなくたっていいじゃない。彼が思い出したことは嬉しいくせに」
「…………」
 白い服のレンの指摘を裏付けるように、顔を背けたままながらも黒い服のレンは浮かび上がった嘉神の姿――嘉神の夢に視線を向けている。寄せられていた眉は開き、ほんの少し細められた赤い目は黒猫を見る嘉神の眼差しと似て、優しい。
 やがて、白い服のレンはそっと手を握った。少女の掌に現れていた夢の光景もそれと共に消える。
「あとは彼が貴女がこの黒猫だと気づいてくれるだけね。
 貴女が喋ってしまえば早いのに……」
「…………」
 白い服のレンに向き直り、ふるふる、と黒い服のレンは首を振った。
「頑固ね」
 仕方ない子、と白い服のレンはまた溜息をついた。
「素直になった方が楽よ?」
「……………………」
 じいっと黒い服のレンは白い服のレンを見つめる。
「な、なによ……」
 少し焦った様子で、しかしそれを押し隠そうとして見返す白い服のレンに向かって、黒い服のレンは両手を差し出した。少女の掌の上に、先程の白い服のレンと同じように淡い青白い光が宿り――
「ケ、ケイダッ……わたしのことは、だから、関係ないでしょ! 今肝心なのは貴女のこと。あーなーたーのことよ、レン!」
 黒い服のレンの手に自分の手をかぶせるようにして光を消してしまった。
「…………」
 小さな笑みを浮かべて黒い服のレンは小首を傾げる。貴女も同じじゃない、そう言うように。
「……わたしのことは今は良いのよ」
 赤い顔でぼそぼそと白い服のレンは言う。黒い服のレンと同じ、だが宿る色合いと光はどこか異なる赤い目が向ける視線は、重ねられた自分達の手の上を彷徨っている。
「少なくとも、彼はわたしの操り人形(マスター)だもの。貴女はわたしを気遣ってる余裕なんかないでしょっ」
 振りきるようにそう言うと、ぱ、と白い服のレンは黒い服のレンの手を離した。
「わ、わたし達もあのジェダのことを放っておく気はないわ。あんな奴に好きにさせるもんですか。
 だから、貴女もせいぜい頑張りなさい。地獄門のことは貴女のあの男やそのお仲間達に任せるしかないんだしっ」
 早口でまくし立てながら白い服のレンは宙に浮いた。
「次に会う時までに、彼をマスターにしておくことね!」
 そう言い捨て――しかし口調に比して黒い服のレンに向ける白い服のレンの眼差しは心配そうで――くるりとコートの裾を翻して白い服のレンは消えた。
「…………」
 黒い服のレンはしばし、白い服のレンが消えた宙を見つめていたが、すっと自分の掌に目を向けた。
 小さな掌の上にふわりと現れるのは青白い光。その光の中に揺れ浮かぶ、嘉神が黒猫と共に過ごす、穏やかな一時の光景。

――胸が、痛い。

 強い痛みではない。抜けない小さい棘が刺さったような、ちくちくとした痛み。苦い痛み。そんな痛みを、黒い服のレンは感じている。

――これは、慎之介の、痛み。

 懐かしい夢を見る嘉神は痛みを感じている。白い服のレンは気づかなかったようだが、黒い服のレンにはそれが感じ取れていた。
 嘉神の痛みは、失った時への懐旧の想いや守れなかった小さな命への悔恨の念が生んだもの。

――優しい、慎之介。優しい、痛み。

 ふるりと黒い服のレンの赤い目が揺れた。
 抑えきれない感情があふれ出そうとするかのように。
 それはあるいは喜び。
 あるいは愛しさ。
 あるいは寂しさ。
 あるいは……罪悪感。
 零れそうな感情を精一杯とどめ、黒い服のレンは掌に浮かぶ嘉神の夢を見つめ続けていた。
 現世に夜明けが訪れ、夢に終わりが訪れるまで、ずっと。
                  再びの幕間・終
 

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