月に黒猫 朱雀の華
再びの幕間・九 あがく者
楓は懐かしい家への道をひたすらに辿る。早足に、ぐいぐいと進む楓の後ろに扇奈が続く。
――まだ、時間はある。きっと、きっと何かあるはずだ。誰も死なせずにすむ方法はある。必ず。
封印の巫女を――姉を、扇奈を死なせない為に、楓は師の遺品に何かの手がかりがあることを、そして「あの人物」の協力を期待し、求めてかつて暮らした家へと向かっているのだ。
楓の歩みは力強い。その心には未だ、雪が封印の巫女であったことへの動揺はある。ジェダの囁いた言葉も消えていない。だがそれを抑え込めるだけの決意がある。
――姉さんも扇奈も死なせない。地獄門も閉ざす。それが僕の、青龍の決断だ。
真っ直ぐに顔を上げ、楓は歩む。
無理をしていないわけではない。時は迫っているというのに封印の巫女を救う手がかりの一つも得たわけではなく、師の遺品に何かあるという保証も、「あの人物」が協力してくれる保証もない。あるのは希望だけというこんな状態で、不安が強くならないはずがない。加えて四神の一人、青龍の守護神であることの義務感、責任感は今も重く楓にのしかかる。現世を護らねばならない四神である以上、時が来れば楓も青龍として封印の儀を行わねばならない。
例え、封印の巫女を救うすべを見いだせなくともだ。
――それでも僕は、諦めない。諦めるものか。諦めたら……終わってしまう……
歩む楓の心をよぎるのは、あの日、師であり父である慨世を失った日のこと。
毎日、家族皆で鍛錬をしていた道場で、血だまりの中に倒れていた慨世。その傍らに立つ、刀を手にした守矢。
白刃を伝い落ちる、赤い、赤い雫。
その赤を目にしたとき、楓の頭は真っ白になっていた。真っ白な頭のまま、一歩踏み出す。その足に当たったのは、師の刀「疾風丸」。
ぎこちない動きながらも、楓は疾風丸を拾った。
雪が何かを言っているが何を言っているのかがわからない。
守矢は無言で楓を見つめている。いつもと変わらない、表情の薄いその顔が、楓の疳に障った。
「兄さん、なの?」
楓の問いは既に問いではない。確信していた。慨世を斬ったのは守矢だと。
この光景がそれを示している。何より楓には、慨世を斬れるだけの力がある者が守矢以外にいるとは思えなかった。子供の楓の世界には、齢わずか十七にして時折師をしのぐほどの技の冴えを見せる守矢以外に、慨世を殺せる者がいなかった。
守矢は何も言わない。無言で刀を手にした腕を上げる。一振り。赤い雫が舞う。そのまま鞘に刀を収める。
行ってしまう、そう楓は悟った。師を殺し、兄はこのままどこかに行ってしまう。
体は、はじけ飛ぶように動いていた。真剣は重い。重いが、爆発する感情が楓の体を突き動かし、子供の手には余る刀を振り上げさせる。何か自分が叫んでいると楓は自覚したが、自分の声さえ聞こえない。
知覚していたのは、眼前の御名方守矢ただ一つ。
守矢は動かない。動かずただ、楓を見ていた。真っ直ぐに、何もかも受け入れるかのように。
刀を楓は振り下ろす。がつ、と刃が固いもの――骨を食んだ感触が伝わり、新たな血のにおいが広がる。守矢の白い着物がみるみる赤く染まっていく。
響いたのは、雪の悲鳴――
あの時、自分は諦めたのだと楓は思う。
真実を知ることを、慨世の死の悲しみに耐えることを諦め、抑えられない怒りを悲しみを全て、兄にぶつけてしまった。
子供だったから、かけがえのない人をいきなり失ったことがあまりにショックだったから、言い訳はいくらでもできる。人によってはそれは当然のこと、仕方がないことだと許してくれるだろう。自分のことでなければ楓とてそう思う。
諦めたのだと思っているのは楓一人だ。誰がなんと言おうとそうなのだと楓は思う。
――僕が諦めたから、兄さんにも姉さんにも辛い思いをさせてしまった。だからもう、諦めない。逃げるものか。
懐かしい、家族皆で過ごした家が近づいてくる。ここを訪れるのは、いや、ここに「帰ってきた」のはいつぶりだっただろうか。
ほんのわずかな感傷と共に楓は家の戸を開いた。
「誰か、いますか」
家の内へと声をかける。雪は先に戻っているはずだ。
――そうでなくとも、ここには――
落ち着け、と楓は一つ深呼吸をする。
ちりん、と鈴の音がする。続いて近づいてくる足音。足音と鈴の音は次第に近くなり――現れたのは朱雀の守護神、嘉神慎之介とレンという名の少女。
――老師は言っていた。「封印の巫女は慎之介と共にいる」と。姉さんが封印の巫女ならば、嘉神はここにいることになるのは当然だ。
予想通りの二人の姿に、それでもこみ上げる複雑な思いを抑えつつ、楓は口を開いた。
「話がある。
僕に力を、貸して欲しい」
-Powered by 小説HTMLの小人さん-