月に黒猫 朱雀の華

幕間・四 玄武の翁と直衛示源

 山中にある玄武の翁の家からも、その日の月はよく見えた。
 家を囲む木々の間からではあるが、それはそれで風情がある。
「そうでしたか、慎之介が来ていたと……」
 翁と共に縁で月を見ていた巨漢――直衛示源がしみじみと呟く。
 四神の一人白虎であり、嘉神慎之介の親友であった男である。
「ならばもっと早くこちらに来れば良かったですな」
「なに、また会う機会はある」
 示源に茶と、クッキーを乗せた菓子皿を出しながら翁は言った。
「これは扇奈殿が買ってきてくれた菓子での、なかなかうまいぞい」
「これなら、ワシも知っております。ぱちすりー・まきしまの菓子ですな」
「うむ、そうじゃ。よく知っておるな」
「都古が好物でしてな」
「ならば少し持って帰るかの?」
「それはありがたい」
 にこりと、強面ながらも優しい笑みを示源は浮かべる。養女の話をするときの示源は、たいていこんな顔だ。
「都古で思い出したがの、慎之介も女の子供を連れておった」
「ほう?」
 クッキーを一つ食べながら、意外そうな表情を示源は浮かべた。
「もっとも、ただの子供ではなくてのう。あれは夢魔じゃな」
「夢魔を、慎之介が連れておると?」
「うむ。
 なかなかに、興味深いであろう?」
「確かに」
 言葉を交わす二人は、実に楽しそうな顔をしている。
「その夢魔は、可愛らしいですかな?」
「うむ、あの子は相当に可愛らしい」
「それを慎之介が連れておると。
 ううむ、やはりそれは見ておきたかったですなあ」
 顔を見合わせて、楽しそうに示源と翁は笑う。
「何、今度来るときもあの子と一緒じゃろうて。
 慎之介はまだ気づいておらんようじゃがの、あの子は慎之介に必要じゃよ」
「そう思われますか」
「うむ。久しぶりに会うた慎之介は、ずいぶん表情に余裕が出ておった。
 人並みにはまだ遠いがの」
 髭を撫でながら翁は以前の嘉神の表情を思い返す。
 地獄門を開こうとし、人の醜さを蔑みながらも嘉神の表情にも声にも、張り詰めたものがあった。限界まで引き絞られ、後は折れるか矢を放つかどちらかしかない弓のように。
 常世に心を囚われる前ですら、常に自らを厳しく律していた嘉神が和らいだ表情を見せることは滅多になかった。
 しかしレンを連れてこの家を訪れた嘉神の雰囲気はずいぶんやわらかなものに変わっていた。
 少女を膝に座らせるなど、昔の嘉神には考えられなかったことだ。
「その分、迷うことも増えたようじゃがの」
「なれど、慎之介には悪くはないかと。昔のあれは、迷わなさすぎた」
「そうじゃのう」
「……翁」
 茶を一口飲んで、示源は天を見上げた。
「慎之介を生かしたのはやはり」
「うむ、慨世じゃ」
「そうか。
 慨世殿には感謝せねばなりませぬな」
「…………」
「この身を封じられ、確かに慎之介を恨みました。
 体も変わり果て、五年もの月日を奪われたこと、忘れたとは言えませぬ。
 しかしそれでも、慎之介は我が友。生きて会えるは、嬉しい。
 殊に翁の言う通り、慎之介めが変わっているならば会うのが楽しみです」
 訥々と語ると、示源は翁に視線を戻した。
 眼を細め、翁は一つ、二つ頷く。
「慎之介はよい友を持ったのう。
 その言葉、聞かせてやりたいわい」
「はははは、面と向かって言えるかどうかは、わかりませぬがな」
「面と向かって言われては、慎之介も戸惑うじゃろうのう。
 じゃがお主がそう言うてくれて、ほっとしておるよ」
「しかし、楓や守矢は簡単には納得せぬでしょうな」
「あれらもきっと、わかってくれる。
 たとえ慎之介を受け入れられずとも、慨世の意ならば伝わろう」
「そうですな……
 そうでなくては、あれは……」
 再び示源は天へ目を向けた。
「地獄門は閉ざせませぬ」
「うむ……」
「封印の巫女は?」
「複製じゃという扇奈殿はおるが……未だ見つからぬ。もっとも手がかりが首飾り一つではなかなかに難しい」
「さようか……。
 ワシも、捜索に力を尽くしましょうぞ」
「うむ、頼むぞ」
 頷いて翁もまた、天を見上げた。
 清浄なる月の光があってさえ、地獄門の存在は強い。
 翁はその門にて、一人常世から現世を守っている慨世――黄龍を思った。
――慨世、今しばらく……門を頼んだぞい。必ずや、助けにゆくからのう……
 

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