月に黒猫 朱雀の華
幕間・三 ドノヴァン・バインとフェリシア
街の外れに、その家はあった。
さほど大きくないその家は、可愛らしくパステルカラーで壁や屋根が塗られている。
門に掛けられた看板にはやはり可愛らしい字で「ねこのこはうす」と書かれている。
ここは、キャットウーマンにしてミュージカルスター、フェリシアの開いた孤児院であった。
「…………」
孤児院の居間の窓辺で、ドノヴァン・バインは月を見上げていた。
真円を描いた月は青白い光を放つ。
夜の闇を明るく照らし出すそれは、闇に光を与えるものでありながら、夜の住人に活力を与える。
――奇妙な、ものだ……
胸元を押さえ、ドノヴァンは思う。ドノヴァンの体に流れる忌まわしき魔族の血も、今宵の月の輝きにざわめいている。
――……だが……
夜空を睨むように見据えるドノヴァンの目は、月の光の中に、得体の知れない影を見いだしていた。
その影から放たれる力、あるいは波動とでも呼ぶべきものが、いっそう強くドノヴァンの中の「魔」をざわめかせる。
――あれは、なんだ?
数ヶ月前、突如現れたそれ――一時は力を増していく一方だったが、今は極弱い状態で安定しているように見える――の正体は、未だにドノヴァンにはわからない。
だがあれが、この世にあってはならない、忌まわしいものだということは本能的に理解できた。
そしてダークストーカーを討つ一方で、あれを滅する手がかりを探していたドノヴァンは、あれと同じ気を持った銀髪の青年を見つけ出したのだった。
しかし青年を討つことは、一人の男によって邪魔をされてしまった。
強力な炎と――神聖な気を宿した、あの男に。
――あの男は何者だったのか……「あれ」と関係があるのか……?
「アニタちゃんも他の子と一緒に眠ったよ」
シスター服で身を包んだフェリシアの声が、ドノヴァンの意識を思考の海から引き上げる。
「……そうか」
「みんなで遊んで、疲れちゃったんだろうね。かわいい寝顔だよ。
ドノヴァンも見てくる?」
「いい」
「そう?
あ、お茶入れるね。みんなと遊んで、ドノヴァンも疲れたでしょう?」
そう言っていそいそとお茶の用意を始めたフェリシアを、ドノヴァンはようやく振り返った。
「…………」
家の中だからかケープをかぶらず、キャットウーマンの特徴である大きな耳を露わにしたフェリシアは、鼻歌を歌いながら紅茶の準備をしている。
キャットウーマンもまた、ダークストーカーである。
人間に害をなすモノがほとんどいない種族のためドノヴァンが滅ぼす対象には入ってはいない。しかし彼女たちからすれば、ダークハンターは恐怖の対象のはずだ。少なくとも、今まで会ったキャットウーマン他、人に無害なダークストーカーの反応はそうだった。
最初は友好的でも、ドノヴァンがダークハンターだと知れば途端に恐れ、あるいは嫌悪の表情を向けた。
だがこのフェリシアは違った。
ドノヴァンがダークハンターと知った上で、一夜の宿のないドノヴァンとアニタを自分の孤児院に招いた。
「はい、どうぞ」
紅茶を注いだカップをフェリシアがテーブルに置く。
「あったかい内に飲んだ方がおいしいよ?」
にっこりと微笑むフェリシアに、ドノヴァンはテーブルに歩み寄った。
「……アタシは猫舌だから、熱いのは飲めないんだけどね」
えへ、と舌を出してフェリシアは笑う。
「お前は」
カップには触れず、ドノヴァンはフェリシアを見た。
「何故私を恐れない?」
「?」
きょとんとした顔で、フェリシアはその大きな目を瞬かせた。
「私はダークハンターだ。お前達ダークストーカーの敵だ」
「でも、ドノヴァンがやっつけるのは悪さをするダークストーカーだけって聞いてるよ?」
ようやく合点がいったのか、フェリシアは微笑んで答えた。
「そりゃ、仲間や友達を攻撃する人は嫌いだけど……ドノヴァンが戦う相手は、アタシ達にとっても敵ってことがあるし」
それにね、とフェリシアは言う。
「ドノヴァンは恐い人じゃないわ」
「恐くない?」
「アニタちゃんがあんなにドノヴァンになついているんだもの。
それにうちの子供達だって、ドノヴァンを恐がったりしなかったでしょ。
だからドノヴァンは恐くないよ」
「アニタが、私になついて……?」
フェリシアの言葉に、ドノヴァンは戸惑った。
自分と似た境遇のアニタをドノヴァンは大切に思い、守るために戦ってきたが、アニタが自分になついているなど考えたこともなかった。
「うん。
アニタちゃんは、誰が自分を一番思ってて、守ってくれているかをちゃんとわかっているよ」
「……お前には、そう見えるのか」
「うん」
こくんと頷くフェリシアの表情は、先の言葉が本心からのものであると語っている。
「そうか」
嬉しい、とドノヴァンは感じた。
同時に、そんな風に感じたのはいつが最後だったかと思う。
――まだ、私にはそう感じられる心があったか……ならば……
この心がある内に。
天に存在する禍々しいあれを、滅しようとドノヴァンは誓った。
自分を頼ってくれるアニタのために、そして、この心優しいキャットウーマンとその子供達のために。
――まずは、あの銀髪かあの男を探してみるか……
紅茶のカップに口をつけながら、ドノヴァンは思った。
フェリシアが入れた紅茶は、心地よいあたたかさだった。
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