月に黒猫 朱雀の華
幕間・二 刹那と久那妓
とある家のベランダで、刹那は真円を描いた月を見上げていた。
「刹那、こんなところにいたのか」
「あぁ」
窓を開けて出てきた久那妓に、振り返らずに答える。
「いい月だな」
「あぁ」
隣に並んで月を見上げた久那妓を、ちらりと刹那は見やった。
「皆はどうしている」
「デザート食べてる。
サキエルお手製のチョコケーキだって」
はい、と久那妓が差し出した皿の上に、ケーキが二切れ乗っている。
「月見団子の代わり……には無理があるか?」
ほんのりと頬を赤らめた久那妓に、刹那は微笑んで「もらおう」と言った。
二人がこの家に身を寄せたのは、弓塚さつきという少女の誘いによるものだ。
深手はないとはいえ傷を負った刹那と共に、路地裏に身を潜めていた久那妓にさつきは恐れる風もなく声を掛けたのだ。
「怪我してるみたいだけど、大丈夫?」と。
警戒心も露わな二人にあたふたとしつつも、逃げもせずさつきは二人にあれやこれやと話しかけ……いつの間にやらさつきの家に世話になることになっていた。
「私の家って言うか、サキエルさんが見つけたところで、そこにシオンさんが結界を張ってくれてる、みんなの家なんだけどね」
「結界? なんでそんなものを」
「……あたし達、普通の人間じゃないから。
結界がないと、色々怪しまれちゃうの」
久那妓の問いに、僅かだけためらったものの、笑顔でさつきは答えた。
「あ、アレックスさんは普通の人間なんだけどね」
「その家にはいったい何人住んでるんだ?」
「アレックスさんとシオンさん、サキエルさんと私の四人だよ」
「お前以外の三人は、私達が来ても文句は言わないのか?」
「んー……大丈夫だと思いますよ? みんないい人だから」
少し考えはしたものの、屈託のない様子でさつきは言った。
――そうだといいけど……
久那妓はずっと無言で歩いている刹那を心配そうに見上げた。
「心配するな。俺なら大丈夫だ」
ぽんと久那妓の肩に手を置いて、刹那は言った。
傷のことだけではない。たとえさつきの家の者に受け入れられなくても、という意味がその言葉の裏にこもっている。
「うん……」
こくりと久那妓は頷いた。
肩に触れた刹那の手は、あたたかだった。
結果的には、久那妓の不安は当たることなく、さつきの家の者たちは二人を受け入れてくれた。
すんなり、ではなく、シオンという名の少女は渋っていたのだが他の三人、特にさつきの説得で最後は頷いてくれたのだった。
そのまま、「じゃあ歓迎会をしよう」というさつきの言葉に乗ってちょっとしたパーティが始まり――シオンが刹那の手当もしてくれた――今に至る。
言葉数が少なく一見無愛想なアレックスも、神気というべき気を纏ったサキエルも、取っつき悪そうに見えたシオンも二人をあたたかく受け入れてくれている。そんな彼らに最初は戸惑いながらも、いつしか久那妓も刹那もパーティを楽しんでいた。
「これだけ安心して過ごせるのは……初めてかもしれんな」
ベランダで並んで座ってチョコレートケーキを食べながら、刹那が呟く。
「そうだな。
でも、刹那と一緒の日々は楽しかったぞ?」
「楽しかった?」
「あぁ。楽しかった。
大変なことや危ないこともあったけど……私は刹那といられて良かった」
刹那を見上げて、久那妓は微笑んだ。
照れくさいのかほんのりと頬を染めたその笑みは、言葉に偽りがないことをなによりも強く刹那に感じさせる。
「そうか……
久那妓」
「なんだ?」
「俺も、お前といられて良かった」
久那妓から月に目を向け、ぼそりと刹那は言った。浅黒いその頬が月明かりの下、赤く染まったように久那妓には見えた。
「うん……」
「命の意味を知らず、全てを憎むことしか知らなかった俺に、お前は人の心を教えてくれた。
感謝してもしきれるものではない……」
「私が勝手にしたことだ」
素っ気なく言っても、頬の朱を濃くしていては意味がない、と刹那は思う。
常世より生を与えられ、ただ殺して回るだけだった刹那が出会った少女――天楼久那妓。
激しい戦いの末、紙一重の差で刹那は久那妓に敗れた。
とどめを刺されるのだろうと刹那は思い、久那妓への憎しみを深めながらその時を待った。
だが、久那妓は刹那を殺さなかった。
それどころか、刹那の手当をしたのだ。
その理由を、未だに「なんとなく、放っておけなかっただけ」としか久那妓は言わない。
久那妓に、それから刹那はついて回った。久那妓の行動が理解できなかったゆえに興味を持ったからであり、今度こそ殺すつもりだったからだ。
――それがいつの間にか……久那妓に惹かれて、俺に「心」というモノが宿るようになった……
まだ気恥ずかしさが消えてないのか、黙々とケーキを食べる久那妓をこっそりと刹那は見つめる。
――今や俺にとっての命の意味は、久那妓と共にあること、久那妓を守ること……
だから、と、刹那は天を見上げた。
青白い光を放つ真円の月を。
夜闇なお暗く、ぽっかりと口を開ける地獄門を。
――あれを、放っておく訳にはいかない。
自分に何が出来るかなどはわからない。だが、久那妓を失わぬ為にはあれをそのままにしておいてはならない。
たとえ、やっと手にしたこのひとときの安らぎを捨てることになっても――
「刹那」
「……なんだ?」
「私は、ずっと刹那と一緒だからな」
顔を伏せたまま、しかしはっきりと久那妓はそう言った。
「…………」
まるで自分の心を読んだかのような久那妓に、刹那は口にする言葉を見つけられない。
「楽しかった、で終わらせるつもりなんかないからな」
ばっと顔を上げて、久那妓は刹那を見た。
「あ、あぁ……そうだな。もちろんだ……」
刹那は危険な場所に久那妓を連れて行きたくなどない。だが、久那妓の言葉が刹那には嬉しかった。
同じ未来を望んでくれているのだという確信に、胸が熱くなる。
「……俺も、同じ気持ちだ、久那妓」
「刹那――」
「わ、わ……」
「押すな、馬鹿!」
「!?」
後ろから聞こえた声、同時にがらがらと窓が開き、ばったりと人が倒れる。
「……お前達」
「あ、ご、ごめんね! 盗み聞きするつもりはなかったんだけど」
「二人が出て行って戻ってこないから……」
「俺はやめろと言ったんだ」
「チョコケーキは美味しかったかな?」
「…………」
「…………」
刹那と久那妓はしばし無言で倒れっぱなしの四人を見つめていたが……
「お、お前達ぃっ!」
「落ち着け、落ち着け久那妓!」
顔を真っ赤にして拳を振り上げて立ち上がった久那妓を、必死で刹那は抑えようと、した。
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