月に黒猫 朱雀の華

朱雀の華 十の十五 封印の儀

 央には黄龍――慨世と二人の封印の巫女。
 東には青龍――楓。
 西には白虎――直衛示源。
 北には玄武――玄武の翁。
 そして南には朱雀――嘉神慎之介。
 再度封印の儀の陣が布かれ、黄龍の手にした剣が弓へと変じた。
「土気、金気を生じ」
 ひゅん、と一つ黄龍は弓の弦を鳴らす。
「金気、水気を生じ」
 示源が鋼と化した拳を天に掲げる。
 ひゅん、とまた一つ黄龍の弓の弦が鳴る。


「あれが封印の儀……」
 封印の陣が布かれた地を囲む崖の上から、紫の髪の少女――シオン・エルトナム・アトラシアは下を見下ろした。
――自然の気の循環を圧縮モデル化することにより、歪みを正す力を強化するもののようですね。
――東洋の魔術、実に興味深い……
「気になるんだったら、近くで見ればいいのに」
 ツン、とした口調で言ったのは白い服の少女――白レンだ。
「いいえ、私達は自分達のするべきことを果たしたのですから、長居は無用です。あの儀式のことは、いつか四神の方々に直に聞きにいけばいいですし、さつき達も待っていますしね」
「あら、シオンが早く会いたいのはアレックスじゃなくて?」
「っ……、貴女こそ、K´のところに早く帰りたいのではないですか?」
「…………っ、そ、そんなことないわ!」
 動揺しつつも返したシオンの言葉に、シオン以上に動揺を露わにして白レンは首を振った。
「……なるほど」
 クスリと笑んでシオンは白レンを見る。
「ではあの場に残りたかったというわけですね? 契約は為されたとはいえ、彼女が心配なのはわかりますよ」
「誰がっ、心配なんかしてないわよっ」
 じったんばったんと足を踏みならして力説する白レンはつくづく素直ではない、とシオンは思う。
――ある意味とても素直ですが。
「そうですか。私は貴女が朱雀の守護神に助言をするほどにあの黒い貴女を気にかけているように思いましたが……」
「気のせいよ!」
 ぴしゃり、と白レンは言うがその顔が赤く染まっていては説得力は著しく落ちる。が、シオンはそれ以上は追求しなかった。
――あまり言っても頑なになるだけですからね。
「では、帰りましょう。私達の家へ」
 そう言って封印の儀が執り行われている地にシオンは背を向けて歩き出す。
「待ちなさいよ!」
 慌てて白レンはその後を追った。小走りに走りながら、ちらりと一度だけ後ろを振り返る。
 白レンの半身である黒い服のレンは、封印の陣から少し離れた位置でじっと、朱雀の守護神であり今は彼女のマスターとなった男を見つめている。
――……しっかり捕まえておきなさいよ。
 心の中でそう黒い服のレンに囁きかけ、りりん、と鈴を鳴らして白レンは駆け去った。


「水気、木気を生じ」
 翁が魚籠を抱えてくるりと回れば、水柱がそそり立つ。
 ひゅん、と更に黄龍の弓の弦が鳴る。
「木気、火気を生じ」
 風をまとう楓の手の疾風丸に、ばちりと稲妻が走った。
 ひゅん、と応じて黄龍の弓の弦が鳴る。


「……」
 ドノヴァン・バインは踵を返した。頭のない人形を抱きかかえたアニタはいつも通り黙ってその後を追う。
 歩み去るドノヴァンの後ろには、殺戮本能や破壊衝動のままに暴れることしかできない下等な異形のモノの死骸が無数に転がっていた。地獄門の気に、ジェダの魔の気に惹かれて集まってきていたのだ。
「見事だった」
 その背に声をかけたのは、白い服を纏った黒と白の髪の青年――サキエルであった。
 ドノヴァンは答えない。無言で去っていくばかりだ。
 やれやれ、とサキエルは苦笑と共に肩をすくめる。
「まあいい、私も帰るとしよう。シオン君達も帰ったようだし、何より、さつき君が待っている」
 独り言ちたサキエルの背に、光の翼が広がった。


「火気、土気を生ず」
 言葉と共に嘉神が剣を引き抜けば、ごおと赤い炎が踊った。
 ひゅん、と黄龍の弓の弦が五度、鳴る。
「ここに、五気相生の円環を為す!」
 四神と黄龍の声が唱和して響き、光が四神を、黄龍を繋ぐ螺旋を描いた。
 黄龍の構えた弓に、光の矢が顕れる。
 嘉神が人の形をかたどった紙片をひらりと投じる。それは祈りを捧げる二人の巫女の前へと舞う。
「我らは願う、我らが力、祈りをもって地獄門の閉ざされんことを!」
 雪と扇奈の言葉と共に、二人から清浄な光が放たれ、紙片へと集約する。光を受けた紙片は人の姿、美しい女性の姿――その面影は雪にも扇奈にも似ていた――へと変じ、ふわりと天へと舞い上がる。
 封印の陣を巡る螺旋の光が、女性を追い、絡みつく。
「現世と常世は交わらぬが理。ここに、地獄門を封印す!」
 黄龍が矢を、放った。


 孤児院『ねこのこはうす』の花壇には色とりどりの春の花が咲き乱れている。
「今日もみんな、元気ね」
 シスター服を纏って花壇に水をやっていたフェリシアは、にこりと微笑んだ。ミュージカルスターとしての華やかで元気な姿とはまた違う、穏やかな雰囲気が今のフェリシアにはある。
 そこへ、にぎやかな声を上げて『ねこのこはうす』で暮らすフェリシアのかわいい子供達が駆けてきた。
「フェリシアママ、今ね、星が飛んだよ」
「僕も見た! 青いきれいなお星様、黒い雲に向かったんだ!」
「そうしたら雲、消えちゃった!」
「でもね、でもね、お星様、地面の方から飛んだんだよ!」
 口々に報告する子供達に、フェリシアは「そう」と優しく頷きを返す。
 一通り報告して満足したらしい子供達は、またわいわいと声を上げながら次の遊びへと駆けていく。
「……うん、嫌な気配、消えちゃったね」
 じょうろを置き、フェリシアは空を仰いだ。何とはなしにフェリシアも感じていた、空に在った重く嫌な雰囲気はもう無い。
「きっと、頑張った人がいたんだね」
 胸の前で手を握り合わせ、フェリシアは一人静かに祈る。
――ありがとう。
 感謝を捧げるフェリシアが思い浮かべていたのは、幼い少女を伴い、巨大な剣を携えていたあの男――ダークハンター、ドノヴァンだった。


 地獄門を封じ、常世の気を打ち払う強力な封印の力が光と化す。その光の余波が天より降り注いでその地を呑み込む。
――これは……強すぎる……!
 余波とはいえ、光はあまりに強い。このままでは地獄門のみならず嘉神達の存在、生命すら封じてしまいかねない。
 どうするか、言葉は発せずとも四神の間に緊張が走ったその時、
――大丈夫。
――私達が、させません。
二人の娘の声が、凛と、響いた。
 同時に、ふうっと光が弱まる――優しく、柔らかく、皆を包み込んで守るかのような光へと変質する。
 やがてその光も薄れ、世界は元の姿を取り戻した。
「……どうやら終わったようじゃのう」
 いつの間に中に隠れていたのか、大きな魚籠からひょっこりと玄武の翁が顔を覗かせた。
「うむ」
「はい……あ、扇奈、姉さん!」
 示源と共に頷き、しかしすぐに楓は封印の巫女達の方を見る。
「楓さん!」
 長い黒髪の封印の巫女、扇奈が楓に抱きついた。
「っと、扇奈、大丈夫かい?」
 しっかりと扇奈の体を受け止めて楓は問う。その声が弾むのを抑えられない。守りたい者を守れた、愛しい者が腕の中にいる、その喜びと達成感が楓の顔に笑みとなって表れる。
「はい、大丈夫です♪」
 楓と同じくらい嬉しそうに、いたかった場所にいられる喜びを露わに、扇奈も笑みを浮かべた。
「大事ないか」
「ええ、師匠。私も大丈夫です」
 問いかけてきた師であり、養父である慨世に雪は微笑んで頷いて見せた。
 そんな「家族」の様を離れた位置から守矢が見守る。腕を組み、いつもどおり無言の守矢の口元はしかし、幽かに笑んでいるようにも見えた。
「終わったか……」
 もう地獄門の影もない空を見あげ、ぽつりと刹那は言った。
「ああ、終わった。だがな、刹那、これからが始まりだ」
 刹那の隣に並んで立ち、久那妓もまた天を仰ぐ。
 刹那が天から久那妓へと顔を向けた。じっと久那妓を見つめ、
「始まり……そうか、始まるのか……」
ややあって、何か感慨を噛みしめるような口調でそう、呟いた。
――皆、無事か。地獄門の封も完全に為せた。どうやら、一区切りがついたな。
 嘉神は無事を喜び、これからを思う一同を見渡す。
――久那妓の言ではないが、これで全てが終わったわけではないがな。
 地獄門が閉じたからといって、嘉神の過去の行為が消えたわけではない。これからなのだ、と嘉神は思う。
 人というものの有り様を見守っていく、言葉にすれば簡単なそのことを、嘉神はこれから続けていく。己の為したことを負って――
「……む」
 右手に――手袋を外したままだったその手に触れたぬくもりに嘉神は視線を落とした。
「…………」
 夕日色のレンの眼が、嘉神の青い視線を受け止める。やわらかく嘉神の右手を握る手に、力を込める。
「……ああ」
 嘉神は頷いた。
 過去を背負い、人の有り様を、行く末を見守っていく自分の傍には、この愛しい少女がずっと在ってくれるのだという確信と共に。
           十・終
 

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