月に黒猫 朱雀の華
十の九 それは、最初から
これが何かわかるかしら、と、モリガン・アーンスランドはソファの前のテーブルの上のものを示した。
それは精緻な飾りの施された、白い置物のように見えた。丸く輪の形に0から9までの数字が書かれた台座の上にコードで繋がれた別のパーツが置かれていた。
嘉神はそれが何かを知らなかった。
嘉神はそれが何かを知っていた。
それ――電話だけではない。
嘉神はバスも、自動車も、ビル立ち並ぶ街も、アスファルトの道路も、知らなかった。
嘉神はバスも、自動車も、ビル立ち並ぶ街も、アスファルトの道路も、知っていた。
モリガン・アーンスランドは言った。
「知らないはずのものをあなたは知っている。これがMUGEN界に馴染むということ。
今は違和感があるでしょうけど、そのうち無くなるわ」と。
だが嘉神の違和感は消えることはなかった。
この世界、MUGEN界ではない世界に生きてきた嘉神慎之介。
この世界、MUGEN界で生きてきた嘉神慎之介。
MUGEN界ではない世界での記憶を嘉神は自分が本来いた世界だと認識しているが、MUGEN界での記憶が偽というわけではない。
異なる世界の二人の嘉神慎之介の記憶が一人の嘉神慎之介の中にある、そのような状態なのであった。
己のこの状態が、様々な世界が入り混じっているというMUGEN界でも特異であるらしいということは嘉神も感じてはいた。
しかしそのことを突き詰める余裕が目覚めた頃の嘉神にはなく、この世界に慣れ始めた頃には地獄門封印に関わること――そしてもう一つ――が優先するべき事項だった。
――だが、これこそが……ジェダの策の、要だった、か……
哄笑するジェダの姿に嘉神は知った。
『あの時』を再現してもう一人の『嘉神』に地獄門を開放させる、これがまず一手。
第一手が失敗したならば封印の儀を乗っ取る。これが第二手にしておそらく本命の手。
この手のためにジェダ=ドーマは嘉神慎之介がこの世界の者であり、この世界の者でない状態を作り出し、維持している。これにより嘉神の力もまたこの世界の者であると同時にこの世界の者ではない状態、すなわち、他の四神達の力とは異質なものとなり、四神の一人として連なる気を巡らせることが出来なくなった。
そして『嘉神』だ。ジェダによって作り出された黒衣の『嘉神』はもう一人の嘉神慎之介でありながらも完全にこの世界の者なのだろう。その『嘉神』にしてみれば封印の儀を御することなど赤子の手を捻るようにたやすいことだ。なにせ、『嘉神』は儀式の一角たる朱雀なのだから。
――おそらくあと一手あるだろうが、それはこの手の補助に過ぎん……
封印の儀を乗っ取った要であり、今は封印の――開放の儀を御している黒衣の『嘉神』を嘉神は見やる。
今の『嘉神』は儀式の制御に力の大部分を向けていると見える。嘉神は他の者と違い、動きを束縛されていない。『嘉神』を斬るはたやすい。
封印は出来ずとも開放を止める為に、『嘉神』を討つのは理にかなう。
嘉神は剣に手を掛ける。
――……だが。
「試すか。先も言った通り、無駄だが」
嘉神に目を向け、『嘉神』は嗤う。嘲笑の意を多分に含んだその中には奇妙なことに、幾分、苦いものがあった。
「やるがいい」
「っ……」
『嘉神』の言葉に弾かれたように嘉神は抜刀し、刃を振るった。
避けることなく『嘉神』はその一撃を受け、胴の部分であっけなく両断された。断面から黒い霧が吹き出し、『嘉神』の体がぐらりとよろける。
しかし――
――やはり、か。
ビデオの巻き戻しのような不自然な動きで『嘉神』の体勢が元に戻り、霧は互いに絡みあってその体を復元していく。
それを目にしても、嘉神には驚きも動揺もなかった。これまでの状況から、こうなることはわかっていた。
ゆえに、地獄門開放の矢が放たれる寸前のこの状況にありながら嘉神は『嘉神』を斬ることを躊躇していたのだ。
そしてそれがゆえに、嘉神は縛されていないのだろう。『嘉神』を討てず、封印の儀を正すことも出来ない嘉神を縛する理由はジェダにはない。
「私はこの舞台のための役者だ。
幕降りるまでは死することも消えることもなく、我が野望が為にこの力を振るう」
嗤う『嘉神』の声に、表情に、嘉神は怒りと諦めの色を見る。
人の負の感情に絶望し、憎み、この現世から人を一掃する、その意志を揺らぐことなく持っている『嘉神』にとってこの状況は望ましいはずだ。
されど己がジェダ=ドーマ再現された者であり、己自身の意志を果たさんとすることがジェダの思惑であることを『嘉神』も既に理解している。そして『嘉神』もまた『嘉神慎之介』である以上、そのような状況は耐えがたいものであるはずだ。己の意志と思っていることが実はそうではなく、己は誰かに踊らされる駒に過ぎない。それは嘉神の誇りを傷つけることであり、美学にそぐわないことなのだから。
しかし理解していてもどうにもならない、再現された己の意志を果たすだけの存在である己を怒りと諦めを秘めて『嘉神』は演じ続ける。
――……私もさほど変わらぬ状況だがな……
宙にありて自分達を見下ろす冥王、ジェダ=ドーマを嘉神は見上げる。
嘉神には封印の儀を成立させることが出来ず、『嘉神』を滅することも出来ない。どうにかせねばならぬと思っても、打てる手はほとんどない。
――だが手詰まりというわけでも、ない。私にはまだ道はある。
嘉神は剣を握り直した。
地を蹴って、跳ぶ。嘉神の白いコートが翼の如く翻る。
「それでも、行くか」
「借りるぞ」
皮肉な笑みを浮かべた『嘉神』の肩を蹴り、更に高く嘉神は飛ぶ。
剣を持った手を振りかざす。
「それでも、足掻くか」
残念だ、とジェダ=ドーマは呟いた。
「彼女の望みもあり、役に立ってくれた君には是非見届けて欲しかったのだがね。
その為の猶予だったが……あくまでも刃向かうのであれば容赦はしない」
ジェダの手に、巨大な鎌が現れた。無造作に鎌を振りかざし、一閃する。
ぎいんと鈍い音をあげて鎌は嘉神の刃を受け止め、はじき返した。
「ぐうっ!」
はじき返された力に逆らえず、嘉神は地へと落ちる。身を捻って何とか地に叩きつけられることは避け、着地する。
ジェダは追撃は仕掛けては来なかった。嘉神を見下ろし、ゆっくりと地へと降りてくる。
――これ、は……
降りてくるに従い、ジェダは今までとはまったく違う『力』を放ち始めた。
それは物理的な圧迫感すら嘉神に感じさせるほどの、常世の力を得ていたときの嘉神を遙かに上回るほどの『力』だ。しかもジェダから感じる『力』は一種ではなかった。
魔に属する力、嘉神も知る常世の力、負の力、その他にも、嘉神の知らぬ異質な、しかし強大な力をジェダは放っている。
――冥王……ジェダ=ドーマ……複数の力を同時に制するか。
無意識に一つ、嘉神は息を呑む。
「恐れてはいけない。
私は最初であり最後である。
朱雀の守護神、地獄門を開く嚆矢代わりに君の魂を頂くとしよう」
とん、とジェダの足が地についた。
――来る。
嘉神が認識するより早く、風は唸っていた。
――……くうっ
ジェダの『力』に気圧されていた自らの身を叱咤し、嘉神はその場を飛び退る。
白い布のかけらが、宙に舞った。
嘉神の動きにふわりと浮き上がった首のタイの先端が切り裂かれ、千切れた。後一呼吸、いやその半分も嘉神の動きが遅ければ切り裂かれていたのは嘉神の喉笛だっただろう。
「ハハハハハハハッ」
哄笑するジェダの手には刃の如く長く伸びた爪。鮮血に染まった爪を振るい、ジェダは飛び退る嘉神を追う。
「っ」
足が地にしっかと着くと同時に嘉神は身をかがめて爪をかわし、地を剣でなぎ払う。いつの間にか地に広がっていた赤い染みから這い出た無数の手が斬り飛ばされて宙へと舞い、地に落ちては染みに戻っていく。間髪入れず更に地を蹴り、横に飛ぶ。嘉神の身を、ジェダの腕が――異様に伸び、鞭の如くしなる腕が――掠める。
「どうした、かわすばかりかね、朱雀の守護神!」
「ほぉっ!」
ジェダの嘲りを無視し、嘉神は炎を放った。その熱で地に広がる染みをも焼き尽くし、炎はジェダへと襲いかかる。
「フンッ」
赤が、舞った。
ジェダは自らの鮮血をもって飛来する炎を打ち消したのだ。
しかしその時には赤と赤が散る中を白いコートを翻して嘉神は駆けていた。一気に間合いを詰める。
刃が閃く。鮮血を放ったジェダの動きは一手、嘉神より遅い。
はずだった。
「ククククク……」
あり得ない形に伸び、曲がり、ジェダの腕が嘉神の刃を受け止める。更に異様に腕は伸び――
「ヒハハハハハハッ!」
ジェダ=ドーマ自らの首を切り落とした。
哄笑を上げ続けながら首が、落ちる。
次の瞬間には噴水の如く鮮血が切断面から噴き出した。
「!?」
予測の範囲を遙かに超えたその光景に、完全に嘉神は虚を突かれた。かわすことも剣を振るうこともなく、ただ、立ち尽くす。
「魂と血の返済を求めよう」
地に転がったジェダの首が、詠うように呟いた。
高く噴き上がった鮮血が、巨大な腕へと変わる。それは呆然と立ち尽くす嘉神へと襲いかかり獣が獲物に食らいつくが如く、捕らえた。
「……っぐ……!」
やっと我に返った嘉神だが、逃れるには遅かった。容赦なく鮮血の腕は嘉神を握った自らの拳を地に叩きつける。
「が……っ!」
全身を走る衝撃に苦痛の声を上げる嘉神を握った拳を、更に二度、三度、繰り返し鮮血の腕は地に叩きつける。
「麗しき朱雀の魂を今こそ」
ふわりとジェダの首が宙に浮いた。切断面から血を滴らせながら、首は自分の胴へと戻る。
赤い流れのままに今はジェダの首から地へと根を移した鮮血の腕は、もはや声も上げない嘉神を高く高く掲げる。
「さあ」
ジェダの声と共に、宙に、はらりと巨大な紙が広がった。人には読めない文字の記されたその紙は契約書。その下部には不自然な空白がある。
「安寧への契約を」
鮮血の腕が動く。嘉神を掴んだまま低く地へと下り、ぐっと自らを弓なりにしならせる。
ぶん、と空が唸った。
鮮血の腕が勢いよくその拳を契約書の空白に叩きつける。いや、叩きつけようとした。
ひゅん、と空を斬るその音は、鋭く。
暗雲に閉ざされた天の下でも無垢な光を宿すその刃が、鮮血の腕を切り裂く。切り裂かれた断面は見る間に凍り付いた。
契約書に届く前に鮮血の腕は地に転がった。見る間に腕は融けて崩れ落ち、地に伏した嘉神が残される。契約を得られなかった契約書は、塵と化して消えた。
ちりん、と鈴が鳴る。
その音と共に黒いコートの少女は嘉神に駆け寄った。
――レ、ン……
体に残る痛みに耐え、地に剣を刺してそれを支えに片膝をついた嘉神の肩にそっとレンは触れた。心配そうに嘉神の顔を覗き込む。
「下が、れ、レン」
顔をあげ、嘉神は声を絞り出した。
まだ戦いは終わっていない。ジェダがレンをわざわざ攻撃するかどうかはさておき、嘉神の側にいては巻き込まれる。助けられてしまったとはいえ、嘉神はレンがこれ以上この場にいることは望まない。レンが傷つき血を流す姿を見たくはなかった。
「…………」
ふるふるっ、とレンは首を振った。
「レン……!」
厳しい声を嘉神が上げても、レンは引く様子を見せない。強い決意を宿した目で嘉神を一度じっと見つめ、その前へと出る。
「……何故邪魔をするかね」
忌々しげに眉をひそめてジェダが呟く。
「…………」
きっ、とレンはジェダを見据えた。両の拳をきゅっと握ったレンの顔は嘉神からは見えないが、彼女が怒りを見せていることは感じられた。
――……私のため、なのか……?
嘉神の前に立ち、ジェダへと怒りを向ける。その様を見ればレンの行動の理由がなんであるかは明らかだ。
――……レン……っ
剣を握る手に力を込め、嘉神は立ち上がろうとした。レンに守られていてはならない、ジェダとは自分が戦わねばならない、その意志で己の身を奮い立たせようとする。
だが未だ肉体は意志には従わず、がくりと嘉神は膝をついた。
「朱雀の守護神を傷つけたことが不満かね」
足掻く嘉神を一瞥し、ジェダは冷ややかに言った。
「だがそれは君のせいではないか。君の望み通り君を思い出した彼を君の夢に取り込んでしまうなりすれば私が手をわずらわせることもなかったのだよ。
その為の猶予も与えたはずだ」
不快を露わにしつつも聞き分けのない子供をなだめる口調で言うジェダに向かってレンは、首を振った。きっぱりと、強い意志をもって。
「意味がわからないな。
君は君のことを知っている彼を求めたではないか。
私はその方法を君に教え、君はそれに従った」
――何を、言っている……?
苦痛に乱れる呼吸をなんとか整えながら、嘉神はジェダを見る。まだ体にはうまく力が入らない。
「君の望みは叶った。だが君は彼を連れて行かない。どういうことかね?」
腕を組み、ジェダはレンに問うがレンは答えない。ジェダを見据えるのみだ。
――レンと……ジェダの、間に、何か密約が……あったというのか……
今のものだけではなく、これまでのジェダの言からもそれは推測できる。しかもそれは嘉神に関係することだ。そしてそれは先の戦いの中で『嘉神』が言ったこととも関わりがあると考えるのが自然だろう。
――そう、だとしても……
「…………」
肩越しにレンが振り返る。夕日と同じ赤の目が、じっと、嘉神を見つめた。
その目にあるのは強い意志と覚悟と、一抹の寂しげな色。
――……レン……
レンとジェダの間に何があろうと、嘉神の心は変わらない。
レンはかつて嘉神に「信じて」と言った。
嘉神はレンを「信じる」と言った。
それは揺らがない。揺らぐ理由はどこにもない。
故に嘉神は、頷いて見せた。
小さな身で嘉神を守ろうとする少女への感謝と案じる気持ちを伝えてやりたく、また寂しげな少女の心を僅かなりとも楽にもしてやりたく、しかし今の嘉神にはそれが精一杯だった。
「…………っ」
レンが、くるりと嘉神に向き直った。嘉神を見つめる夕日色の目が熱を持って潤んでいる。何か言いたげに口が開くが、やはり言葉は発せられなかった。
代わりのようにレンは嘉神の首に腕を回し、ぎゅ、と抱きつく。いきなり抱きつかれ、まだ力の整いきらない為体勢が崩れかかったが、なんとか嘉神はそれを堪えた。
「レン?」
左手をレンの背に回し、落ち着かせようと嘉神は軽く叩く。
「…………」
顔をあげたレンはいつもと変わらず何も言わない。ただ、その眼にあった寂しげな色はもうない。
「……そういうことか」
――ジェダ。
不快感をあらわにした声に、嘉神は視線を向ける。
「黒猫よ、最初からそのつもりだったということか」
忌々しげにジェダ=ドーマは吐き捨てた。
「…………」
嘉神に抱きついたまま、レンは身じろぎ一つしない。ジェダを無視したその態度は、同時にジェダの言葉を肯定していた。
「……作られた者如きが……」
うぉん、と空がおめいた。
「よかろう」
ジェダは手を前へとかざした。
――……?
微かな違和感に嘉神はジェダを見つめる。絶対的な力を持って冥王ジェダ=ドーマは嘉神とレンを屠らんとしている。状況はジェダが優位だ。それにも関わらず――
――苛立っている。何故だ?
そう、嘉神は感じていた。嘉神に対してか、レンに対してか、それとも他の理由にか。優位に立ちながらジェダは苛立っている。
ほんの僅かなものかもしれないが、ジェダは冷静さを欠いている。
――……好機、にはほど遠いが……
レンを左手でしっかりと抱き、嘉神は地に刺した剣を抜いた。呼吸は先よりは整った。次のジェダの一撃をかわすぐらいは体は動いてくれる、いや動かせると自分に言い聞かせる。
「…………」
レンが、嘉神の頬に触れた。嘉神を見つめるその表情には陰りが見える。
「案ずるな」
不安なのか顔を寄せるレンの耳元に、嘉神は囁く。
その心に浮かぶのはあの黒猫の姿。守ってやれず、死なせてしまったあの小さな命。
――レンだけは、今度こそ、守らなければ。
嘉神の理由はそれだけだった。
「朱雀の守護神とともに我が元へと還してくれよう」
かざしたジェダの手を中心に大きな赤い魔法陣が出現する。魔法陣は光を宿し――
『また同じミスを犯したわね、ジェダ=ドーマ』
響いたのは、この上もなく楽しげな声。
「モリガン・アーンスランド!」
周囲を見渡し、ジェダが声を荒げた。その感情に反応してか、魔法陣の光が強くなる。
「こそこそとした盗み見を続けるか、夢魔の女王!」
『それも悪くはないけれど、かわいそうなあなたのために前に立ってあげましょうか』
クスクスと笑う声と共に、天からコウモリの群れが飛来した。それは戯れるように縦横無尽に舞うように飛び――やがて、一所に集まった。
ジェダと嘉神達の丁度間に集まったコウモリ達の中心から、闇が輝く。
「フフ、こうして顔を合わせるのは久しぶりね、ジェダ=ドーマ」
艶やかに、しかし冷ややかな笑みをたたえたモリガン・アーンスランドが姿を現した。
「フン……相変わらず戯れに生きるか。大いなる救済を前にしてもその態度、君はまったく変わらないな」
「救済?」
モリガンの声には、明らかに小馬鹿にしたような響きがあった。くるくると人差し指に自分の髪を絡め、斜めにジェダを見やる。
「まだ自分にそれができると思っているのね。馬鹿な冥王」
「退屈から逃れるためだけに生きているサキュバスには我が理想は理解できまい」
「アハハッ、理想ですって」
広げた手を口に当て、無邪気な少女のようにモリガンは笑って見せた。しかしその眼には少女のものとかけ離れた、酷薄で淫靡な光がある。
「女の子一人の気持ちも理解できないものが救世主を気取るなんて。
あなた、リリスで失敗したのを忘れて懲りずにレンを利用するなんて、ほんとお馬鹿さん。
レンを利用してたのを私にも気づかせなかったのは、まあ、たいしたものだと褒めてあげても良いけど?」
「くっ……」
明確な動揺がジェダの顔に、初めて表れた。触れられたくない傷をえぐられた、そんな色であった。
「……過去の失敗は君の、アーンスランドの力を侮っただけのこと。
気持ちの理解不理解は関係のないことだ」
「そんな負け惜しみしか言えないから、同じ失敗をするのよ。
強く求めるものを持った女の子の気持ちを軽んじた自分の愚かさ、今度こそ思い知りなさい」
そう言って、モリガンは嘉神とレンを振り返った。
――モリガン……来ていたのか……
出現したモリガンに嘉神は驚きながらも納得もしていた。
モリガンが世界を憂えると言うことはなさそうだが、彼女は生きることを楽しんでいる。生きる場が奪われるのは好むまい。ことにジェダとは因縁もあったようだから現れても不思議ではない。
――だが、何をする気だ。ジェダと戦うのか……?
モリガン自身の戦闘力も高いと嘉神は見ているが、今のジェダの力はすさまじい。モリガンは無傷だが油断は出来ない。
――私も、行かねば……
ちりん。
立ち上がりかけた嘉神の動きを、鈴の音が止めた。
――……レン?
嘉神の青い目を、レンの赤い目が見つめ、捕らえる。
レンの目の夕日色の赤には、覚悟と決意、そして切なさを感じさせるほどに強い一つの想いがある。想いはまた、今にも泣き出しそうな優しい笑みとなって、レンの顔に浮かんでいる。
こんな時だというのに嘉神が目を逸らすことができなくなるほどの強い想い。それがレンが自分へと向ける一つの感情であることを嘉神は今、知った。
あの黒猫が時たま、気まぐれに見せた感情にも似た、しかしそれよりもずっとずっと強い、想い。
レンはそっと顔を嘉神に寄せた。その頬に小さな手を添え、唇を重ねる。
レンの唇は震えていたがやわらかく、あたたかだった。
――……慎之介……好き、大好き……だから……
銀の鈴を振るような声が意識に響く中、嘉神はレンの頬を涙が伝うのを見た。
――ユメは、終わるの――
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