月に黒猫 朱雀の華

十の七 背負うのは一人にあらず

 子供達と言葉を交わしていた黄龍が顔をあげた。
 ふっ、と一つ気を吐き、自分を支える楓と守矢の手から離れ、自らの足で立つ。
 その眼差しは歩み寄る嘉神に、懐かしげに向けられていた。
「良い顔になったな、慎之介」
 黄龍の言葉とその表情に、嘉神は眉を寄せる。またか、と思いつつも反論する言葉までは出てこない。
 実際、黄龍によって常世から現世に送り返されて以降、自分が変わったことは嘉神も認めざるを得ないのだ。
「……貴様は変わらぬな」
「変わらぬがゆえに醜態を見せた」
「恥じるのは全てが終わってからだ」
 苦く表情を歪めた黄龍に、素っ気なく嘉神は言う。
 弱音を口にしてしまったのは黄龍の、人としての弱さだ。それを嘉神は慰めも励ましもない。それらが今は不要であることを嘉神も、黄龍自身も知っている。
 自らの弱さを、過ちを認めた上で為すべき事を為す。それは黄龍――慨世が嘉神に示した道であり、今また慨世もまた行くべき道だ。
「今は、地獄門を封印することが先決」
「そうだな。時は十全ではないが、それを待っている余裕はないか」
 頷き、地に刺した剣を黄龍は抜いた。
「お師さん、じゃあ」
 はっと表情を硬くして楓は師を見上げる。
「うむ、封印の儀を」
「お待ちください」
 黄龍の言葉を遮ったのは守矢だ。
 険しい表情で師を、養父を睨むように見据え、守矢は問う。
「一つだけ、確認を。封印の儀を、行うのですね」
「うむ。地獄門を封じ、現世を護る。それが我が役目であり運命だ」
 真っ向から守矢の視線を受け止め、黄龍は頷いた。
「いかなる犠牲を払ってもですか」
「……兄さん、それなら」
 守矢の言葉の裏にあることに気づき、楓が口を開く。が、黄龍はそれを手で制した。
「守矢、それが封印の巫女のことであるというのならば、それは犠牲ではない」
「…………」
 守矢は、黄龍からその傍らの雪に視線を移した。
 雪は風のない湖面のような静かで穏やかな目で守矢を見つめている。
「巫女だけではありません。黄龍、あなたもです。いや、黄龍だけではない、四神も皆そうだ」
 義弟を見、義父を見、守矢は声を絞り出す。
「運命のままに己が身を顧みず、その手を血に染め、命まで捧げる。これを犠牲といわずして……」
「それは守矢、あなたも同じだわ」
 守矢を見つめて言った雪の声は眼差しのままに静かであったが、ほんの少し悲しい響きが宿っていた。
「なんだと」
「あなたは一人で何もかもを抱え込んで、背負って、自分の身を顧みずに戦い、傷ついた」
「そうだよ兄さん、兄さんは僕達のために自分を犠牲にしてたじゃないか」
「違う、私は」
 決して責めているわけではない、むしろ切々と訴える弟妹の言葉に守矢は首を振る。
「守矢」
 ぽむ、と。
 黄龍――慨世は大きな手を守矢の頭の上に置いた。親が、小さな子にするかのように。
「己の為すべきことを知り、その為に力を尽くす。お前はそのように生きる者だ。
 運命とはまさにそういうものだ。唯々諾々と従い、犠牲になるものではない」
 優しい、穏やかな声で慨世は守矢に言い聞かせる。遠い昔、まだ守矢が小さな子供だった頃にそうしたように。
「師匠……」
「わしも、雪も、四神の皆も、そしてお前も、自らの意志で自らの為すべき事を選び、それを為す。それは犠牲ではないのだ」
「……はい」
 答え、守矢は頷く。
 目を伏せたその顔には、覚悟の色があった。師の言葉を噛みしめ、その意志を受け容れた者の色があった。
――……問うたは、拒むためではなかったか。己の覚悟を確かなものとするため……
 守矢を見つめながら、だが、と嘉神は思う。
――御名方守矢の知らぬことはまだある。
「案ずるな、守矢。自らの意志をもって動く者は、時として新たな道を切り開く。
 そうだな」
 守矢の頭から手を離し、慨世――黄龍は確かめるように楓と嘉神に目を向けた。
「はい、お師さん。
 兄さん、僕達は封印の巫女を――姉さんも扇奈も、死なせたりしない」
「……何?」
「僕だって姉さん達を死なせたくない。お師さんは犠牲ではないと言ったけれど、でも、姉さん達がいなくなるのは僕は悲しいし苦しい。だから探したんだ」
「探した……」
 驚いた顔を見せた守矢に、うん、と楓は頷いてみせる。
「そして見つけた。兄さん、見ていてくれ。僕は、僕達はこの手で運命を切り開く」
「この場でいきなり試す方法だ。うまくいく確証はないがな」
 無粋か、そう思いながらも嘉神は口を挟んだ。
 地獄門開放の気配にアーンスランド邸を飛び出してきたため、あの方法の細部まで詰めていない。ここでのんびり試したり検討する余裕もない。
 本番一発勝負、失敗の可能性は低くはない。五分、いやもっと高いかもしれない。
 それを理解しているはずの楓は、
「確証は、やって掴めばいい。僕は……いや、僕達ならやり遂げられるはずだ」
強い光を眼に宿して嘉神を見つめる。
「信じるか」
――他の者はともかく、嘉神慎之介を。
「信じるよ」
 楓の言葉に揺らぎはない。口元に笑みすら――藍の髪の少年のものではない、金の髪の少年の笑みを――浮かべて楓は言った。
――つくづく……
 黄龍や翁、示源、雪、扇奈、それどころか守矢までもが自分を見つめていることに気づき、嘉神は一つ息をつく。
――お人好しばかりが揃ったものだ。
 今更であり、何度も思ったことだが、やはり嘉神はそう思ってしまう。
「慎之介、事には皆で当たるのだ。一人で気負うな」
 とん、と示源が軽く嘉神の背を叩く。
「……っ、フン。元より、私一人で為せることではない。負うに負えん」
 僅かにたたらを踏み、嘉神はふいっと示源から顔を背けた。
「ほっほっ、ならば皆で背負って始めようかの。のう?」
 楽しげに笑った翁の言葉に、一同は頷く。
――……やれやれ……まったく……
 呆れながらもその下にある己の別の感情をも嘉神は自覚する。
 素直に受け入れるのに抵抗のある、だが否定することも出来ないその感情と自分の心の有り様を厄介だと思いながら、嘉神は視線を戻しかけ――
「………………」
 じっ、と自分を見上げるレンの視線に気づいた。
 夕日色の眼には先よりも一層強さを増した意志の光、覚悟と決意の光がある。その光はとても強いというのに、レンの表情自体はどこか儚い。
――……っ
 嘉神の脳裏を、先刻の白昼夢、消えていくレンがよぎる。胸の奥に重い石の塊が詰め込まれたような息苦しさと共に、漠然とした嫌な予感を嘉神は覚えた。
「嘉神、どうしたんだい?」
「なんでもない」
 声をかけた楓に嘉神は首を振る。楓の言葉へ返すのと同時に白昼夢の記憶も悪い予感も振り切るように。
 

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