月に黒猫 朱雀の華
十の幕外・四 彼の在る場所
「……天沼矛が破壊されるとは」
呆然と――ジェダ=ドーマともあろう者が呆然と、天を仰いで呟いた。
その眼に映るのは、砕けて消えていく矛、薄れ行く黒雲、そして天に舞う四頭のドラゴン。ドラゴンのうち三頭の背には、人の姿がある。
魔族たるジェダの目には、その者達が何者かはっきりと見えた。
金のドラゴンに座するは夢魔の女王、モリガン・アーンスランド。
赤のドラゴンに座するは白髪白髯、青い肌に赤い衣をまとった老魔道師。
青のドラゴンに座するは紫のとんがり帽子にらしからぬ無骨なマントを羽織った女魔道師。
「魔道師……そうか、あの者達が力を与えたか……。
天沼矛を破壊するだけの力を付与できるとは、なんと優れた魔道師か」
呆然としたジェダの表情が、感嘆、歓喜のものへと変わっていく。素晴らしい宝を、あるいは弄び甲斐のある玩具を見つけたかのようなその表情が次の瞬間、僅かに不快の色を帯びた。
その視界に入ったのは、風切り音が上がる中に舞う赤、そして地を走る黒い稲妻。
花片が乱舞するかのごとくの赤の中に在るのは、雪と京堂扇奈、そして銀の髪の青年と少女の姿。
囚われていた雪と京堂扇奈を護るように、銀の髪の青年――刹那は雷を宿す黒い刃を、銀の髪の少女――天楼久那妓はその左手に青白く光る異形の力を宿し、構えている。
「……常世の申し子と魔に浸食されし娘か。
その力は認めるが、魂無き者が水を差してくれることだ」
「違うな」
低く、刹那は否定する。
「ふむ、何がかね。君は常世が作り出した木偶だ。魂などありはしない」
自らのおとがいに軽く手を添え、怪訝にジェダは首を捻って見せた。
「そんなことはない!」
声を荒げたのは久那妓だった。その感情の昂ぶりにか、左手の青白い光が一瞬輝きを増し、数歩久那妓は前に踏み出した。
「刹那には魂がある、貴様に何が……っ」
「久那妓」
まるで弓を引き絞るかの如く僅かに身を沈めた久那妓を制したのは、刹那の声。
「…………」
ほんの僅か、久那妓の張り詰めた気が弛む。
「俺の魂の有無はどうでもいい。
貴様の言が間違っているのは、俺が常世のモノではないことだ」
ゆっくりと一歩、二歩と刹那は前に出る。久那妓の隣に立つと静かに言葉を続ける。
「……ほう?」
「現世の器に常世の思念が取り憑き、俺が作られた。故に俺は常世のモノではなく、また現世のモノでもない」
刹那の白にも近い銀の髪の下の赤い目は、ひたとジェダを見据えている。その目はなんの感情もなく、ただ、ジェダを倒すべき敵としてのみ認識している。
「つまりどっちつかずの半端物か。
常世の申し子であるよりなお質が悪い。そんなモノが私の救済にいらぬ手を出すとは身の程知らずにもほどがある。
疾く去るがいい。そして我が救済の為される時、君の消滅の時まで惰眠を貪りたまえ」
「断る」
バチィッ! と音を立てて稲妻が刹那を中心に乱れ飛ぶ。それは密かに刹那達を襲おうとしていた赤い血の手の群れを再び引き裂き、蒸発させた。
「巫女、貴様らは四神の元へ戻れ。お前達が離れていては封印の時に困る」
振り返ることなく、背後の雪と扇奈に刹那は告げる。
「え、でも」
「こいつは俺と久那妓が倒す」
「あぁ、任せてくれ」
久那妓は肩越しに振り返り、二人に向かって頷いて見せた。
ためらいとわずかな迷いに、二人の巫女は視線を合わせたがそれはわずかな時のこと。二人とも自分の役目は誰よりもわかっている。
「わかったわ。ここは、お願い」
「すみません。お願いします」
短く言うと、二人は身を翻して駆けた。黄龍と刃を交える四神と守矢への元へ。
「わからないな」
雪と扇奈を追うことはなく、そして自信と優雅さをその物腰に取り戻し、ジェダはおとがいから額へと手を動かす。
「何故守ろうとするのかね? 元は人のそちらのお嬢さんはともかく、君には現世に固執する理由はないはずだ。
命懸けで私と敵対する理由があるとは思えないのだがね」
そう言いながらも風を切る音一つさせ、ジェダは翼を広げた。
「造花であっても散る花の最後の声ぐらいは聞いてあげよう。訳を言ってみるがいい」
「貴様は俺の在る場所を奪う」
二人の足音が聞こえなくなったのを確認し、刹那は剣を持った手をだらんと下げた。そのままその腕を後方に引き、ジェダに対して半身の姿勢を取る。一見無防備な、しかしこれが刹那の構えというべきものであった。
「在る場所、だと?」
「俺は現世のモノでなく、常世のモノでもない。俺の在る場所など俺には与えられなかった」
ジェダに向けて構えを取ったまま、刹那は視線だけを傍らの久那妓に向けた。
久那妓も、刹那を見ていた。
赤と金の眼差しはほんの弾指の間、交錯し、同時にジェダを再び見据える。
「だが俺は俺の在る場所を見つけた。
俺はこの俺の在る場所を失いたくない。
だから俺は、俺の在る場所を壊すお前を倒す」
「己が在る場所を見出し、欲する……」
興味深い、とジェダは嗤った。
「木偶に魂が生まれるというのか。実に興味深い。
ならばその価値、私自ら測ってやろう」
刹那達に向かってジェダは軽く拳を握った手を差し伸ばした。その手に吸い寄せられるように周囲から赤い霧が集まり、渦巻く。
霧がその赤を増すほどに、濃い血の臭いが空を漂う。
「君のいかずち程度では私は消せない」
渦巻く霧が宙に図形を描き出す。真円に描かれるのは、禍々しい魔法陣。
「見せたまえ、君の魂が救済に値するかどうかを」
言葉と同時に、ジェダが手を開く。
魔法陣が赤い光を宿す。
強さを増す光と共に、そこに「力」が集約されていく。
「行くぞ、久那妓」
「あぁ、刹那」
二人は今度は視線を交わすことはなかった。
久那妓が駆ける。風の如く、いや風よりも速く。
刹那の全身に黒きいかずちが走る。黒き輝きを宿した刹那は地を蹴り、久那妓に続く。
ジェダは、笑んだ。
慈悲深きも冷酷な笑みと共に宣言する。
「魂と血の証明を!」
魔法陣から砲弾の如き鮮血の波動が無数に、刹那と久那妓に向かって放たれた。
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