月に黒猫 朱雀の華
九の五 難題
夕刻まで黙々と図書室の本を調べ続けた一同は、そこまででわかったこと、それぞれが検討したことを話し合おうと、図書室に用意されたテーブルを囲んだ。
「タバサ殿の仮定に添って考えるならば」
ちょこんと椅子に座った翁は足が床に届いていない。それを委細気にした風無くいつものように白髯を撫で、どこかのんびりした口調で口火を切った。
「地獄門を封じる巫女の力の部分はなんとかできそうじゃな。
もう一人の巫女である扇奈殿の力を借りることでのう」
「私が雪さんと力を合わせるということですか?」
楓の隣に座っている扇奈の問いに、翁はうむと頷いた。
「巫女一人の力全てを必要とするという仮定に立つならば、巫女二人で当たれば一人当たりの負担は減るはずじゃ」
「可能性の話だがな。巫女二人でかかって、地獄門に二人の力全てを持って行かれる可能性もある」
「まあそうじゃが、検討に値する手段ではあろう」
にべもない嘉神の一言に苦笑する翁に、嘉神はそれ以上の否定も肯定もしない。続けて口を開いたのは示源だ。
「常世に巫女の力を過剰に持って行かれぬようにすることは、我ら四神および黄龍でできるのではないか?」
「どういうことですか?」
示源に向けた楓の目は、誰よりも真剣だ。姉と大切な存在の命がかかっている以上、当然のことだろう。
「巫女の力に現世の理を付加するのが我ら四神と黄龍が儀式を執り行う意義の一つ。つまり巫女の力に干渉することが我らはできるわけだ。
ならばその際に地獄門へと流れる力を制御することも可能ではないか?
言葉を変えれば、我らが巫女を護るのだ」
ゆっくりと、自分でも言葉や考えを確かめるように話す示源の言葉。それを聞く内に楓の顔には理解と希望の色が強く浮かんでいく。
「僕らが、巫女を……扇奈を、姉さんを、護る……」
楓の目が、傍らの扇奈に向く。応えるように楓に顔を向けた扇奈の顔にはにかんだ笑みが浮かぶ。
「そんな風に言われると照れちゃいますね♪ 四神の皆さんや黄龍さんが護るのはこの現世、私はそのお手伝いをするのがお仕事なのに」
「扇奈、君だって現世の者じゃないか。君だけじゃない、姉さんだって今までの封印の巫女だってそうだ。
今まで僕ら四神は、そんなことを気づかないふりをし続けてきたのかもしれない。仕方がなかったとは思うけど……」
「手の届かぬ過去の話をしている場合ではない。それにまだ問題はある」
楓の言葉を遮ったのは嘉神だ。
「そもそも我らに巫女の力の強さを本当に制御できるかどうかもまだわからぬことが一つ」
感情を見せない冷静な口調に鼻白む楓に取り合わず、嘉神は言葉を続ける。
「またタバサの考えに寄れば封印の巫女の役割は二つ。
一つは地獄門を封じるための力の供給源。
もう一つは、地獄門への生贄」
『開かぬことへの対価、とでも言いましょうか。現世をひとまず諦めさせる代わりの供物、生贄として封印の巫女を常世に差し出しているのではないかと推測します』
自説への自信とそれを披露する快。それを顔に表し、僅かも揺るがせずにあの時タバサはそう言った。
直感的に嘉神は、そして他の四神もそのタバサの説は正しいと感じ、ここで目を通した様々な書物からもそれを否定するだけのものは見つけられなかった。
常世と現世と、異なる理の世界が交わってはならぬのは当然のことであり、その当然のことを守るために供物を捧げなければならないというのは馬鹿げていると嘉神は思う。
しかし馬鹿げていようとそれもまた一つの道理。現世に仇なすものであっても礼を尽くし供物を捧げ、こちらの意を受け入れてもらう、それが古来よりの儀式の一つの形なのだ。
――……む……?
思い返したことの中に、微かに引っかかるものを感じて嘉神は眉を寄せた。何か今、見過ごしてはならぬことがあったような気がする。
――……何か……
言葉を切ったまま続けない嘉神に皆の怪訝な目が向けられていた。それに構わず嘉神は何が引っかかったのか、もう一度今し方の己の思考を辿る。
――そうだ……異なる……
「生贄なんて駄目だ!」
言葉を続けない嘉神に焦れたか、楓が大きく声を上げた。その強い声が嘉神の思考を打ち切り、つかみかけたものがこぼれ落ちていく。
――やむを得んか……
ひとまず引っかかったものを探るのは諦め、嘉神は口を開く。
「落ち着け。生贄自体は否定するものではない。一つ為したきことあれば常に対価は必要だ。
それが食物や花か、戦って流す血か、誰かの命かの違いに過ぎん」
「だけど……」
悔しげに、辛そうに更に言いつのろうとする楓の言葉を嘉神は遮る。
「可能性だけで言うならば、巫女を生贄に捧げない手はある」
あっさりと示される別の道にむしろ驚きと戸惑いの色を浮かべる楓を、嘉神が何を言おうとするか聞き届けようと見つめる他の者達にすっと視線を走らせ、嘉神は言う。
「古来より人や獣そのものの代わりとなるものを捧げる儀式の事例はいくらでもある。
生贄を嫌った者達は知恵をこらして人形や紙切れ、他の食物を生贄の代わりとしてきている。
封印の儀でも同じ手は使えるかもしれん」
「しかし相手は常世、地獄門。そう易々と代わりとなるものが用意できるかのう?」
「一応案はある。
うまくいく保証はないが」
玄武の翁の問いに、嘉神は一枚の紙片をテーブルの上に置いた。白い、人の形に切り抜かれた紙だ。
「なるほど、人型(ひとかた)か」
「昔からある手法をなぞる、だけ……っ」
言いかけた嘉神の表情が歪んだ。顔が青ざめ、額に手を当てる嘉神の呼吸が荒く乱れる。
――なんだ、この、感覚は。頭の……中が、かき回される……ようだ……
それに、と痛みと不快感に混濁する意識の中で嘉神は感じた。
――来る……早い……っ
「慎之介、どうし……む、これは……」
腰を上げた示源も、翁や楓達も次々に異変に気づく。
「馬鹿な、まだ早い。どういうことじゃ」
「あの時の感覚と同じだ……でも、まさか……」
「でも、間違いじゃありません……」
感じたそれへの不安と自らの使命を意識してか、扇奈の表情が強張っている。
気分の悪さを堪え、嘉神はゆらりと立ち上がった。
――間違いなどで、あるものか……
この気配、この感覚、他の者ならともかく、嘉神が間違えるはずがない。この場にいる誰よりも、いや現世に生きる何者よりも近く、誰よりも長くそれの側にあり、かつてはその力を己が身に宿したのだ。
一つ大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。強く拳を握りしめ、ともすればぼやける意識を無理矢理にでも鮮明にしようとする。
「…………」
左手首に、ひやりと冷たい感覚。
――……む、ぅ……?
目を向ければ、レンがそこに触れていた。
レンの手には青白い光をほんのりと宿っている。その光の心地よい冷たさが不思議と嘉神の意識をはっきりとさせ、何者かに頭をかき回されるような嫌な感覚を薄れさせていく。
「…………」
心配そうなレンの眼差しに、嘉神は一つ首を振った。完全に嫌な感覚は消えていないが、先程よりはずっと楽だ。
――それに、あれは……
嘉神は顔を上げる。
嘉神の感じたもの、いずれも立ち上がった四神達の感じたもの。間違いない。
「地獄門が……開く」
低く言った嘉神の言葉に誰も反論しなかった。
九・終
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