月に黒猫 朱雀の華
九の幕外 少女の誇り
「ヴァルドールでもわからないのね。プライドの高さはあの子が使い魔だからじゃないわ。
あの子が女の子だからよ……」
屋敷の自室に戻ったモリガンはフフ、と小さく笑った。
「モリガン、楽しそうね?」
モリガンの分かたれた魂の化身である少女、リリスが小首を傾げる。
「ええ、楽しいわ。想いに惑い、迷う者、己の抱える欲望に気づかず、溺れつつある者の魂はとてもきれいでおいしそうだもの」
「……でも、あの人は食べないんでしょう?」
食べられないご馳走を前にして何が楽しいの? とリリスは更に疑問を深くする。
「レンとの約束だからしかたがないわ。
でもね、リリス」
モリガンはリリスの、己の半身であると同時に妹、あるいは娘のような存在の少女の鼻先をちょんと指でつついた。
「嘉神達を見ているのはとても楽しいのよ。退屈を忘れさせてくれることで、食べられなくても許してあげられるの」
「……そうなんだ」
まだよくわかっていない様子ながらも、こくんとリリスは頷いた。
「でもこのままだとあの子、レン、死んじゃうよ?」
「命なんてね、身を焦がすような想いに比べたら安いものよ。
リリス、あなたにもわかるでしょう? 私の所に戻る為なら、あなたは命だって賭けられた」
「それぐらいレンにとってそれは大事なことなんだ」
「使い魔にとって契約は絶対的なもの……それをあんな気持ちで結ばれるのは……ね」
「困った人なのね」
「男はそんなものよ」
ねえ、と唇に指を当て、妖艶な流し目をモリガンは「もう一人」に向けた。
「そこで同意を求められても困るのだがな」
部屋でもっとも日当たりの良い場所に用意された椅子に腰をかけたその男――デミトリ・マキシモフは素っ気なく答える。
「そんなことより私を呼び出しておいて放置とはな。用意した席といい、客人に対する礼がないのか、アーンスランドの当主よ」
皮肉と抗議をふんだんに内包したとげとげしい言葉はしかし、幾分の諦めが見え隠れしている。モリガンに言っても仕方がないことだと、長い長い関わりの中でこの吸血鬼は嫌と言うほど理解している。
「怒らないで。ちょっと朴念仁をつつきたかっただけだから」
デミトリが理解している通り、欠片も悪びれた風もなく言ってモリガンは彼に歩み寄った。
「ちゃんとそこに座ってくれるあなたの無駄なプライドが好きよ」
並の男ならそれだけで昇天するであろう、淫靡な笑みと共にモリガンはデミトリに顔を寄せる。
ふん、と一つ鼻を鳴らしてデミトリはモリガンのほっそりとした首に指を滑らせ、その顎に触れた。
「話を聞かせろ。ジェダ=ドーマのことだろう?」
「あまり早い人は好きじゃないけど…今は悪くないわ。
ジェダにはあなたも遺恨はあるでしょう? 共同戦線といかない?」
「地獄門とやらはあの連中に任せるのが一番早いのだろう?」
あとほんの僅かで唇が触れそうな距離で、サキュバスと吸血鬼は見つめ合う。淫らな、殺伐とした、血の臭いのする雰囲気を漂わせる二人の間にはどこか張り詰めたものが漂う。
「楽しみの場は色々あってよ? 知ってる? ジェダ=ドーマは『タタリ』を得たわ」
「ほう……なるほど、門一つに全てを賭けてはいないか」
「学習したのね」
「何を考えている?」
「楽しいこと」
「私を利用するか?」
「利用されると思ってるの?」
「愚問だな」
「だから共同戦線と言ったわ」
「ふん……」
二人は笑う。妖艶に、不遜に、美しく、残酷に。
張り詰めた緊張感が一瞬弾けそうなまでに膨らみ――
「よかろう」
「リリス、お茶を持ってきて」
デミトリが頷いたのと、モリガンがいつの間にかメイドの格好になったリリスを振り返ったのは同時だった――
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