月に黒猫 朱雀の華
九の三 すれ違った想い
昼になると、一同はアーンスランド邸の食堂で食事を取った。昼だけではなく午後のお茶や夕食も世話になることがある。
「図書室を使わせてもらうだけでもありがたいというのに、食事まで出してもらってすまぬのう」
「フフ、客人をもてなすのは当然のことよ。それに世界が破滅するのはつまらないこと。あなた達には頑張ってもらわなきゃね」
ちゃんと用意されていた湯呑み――この屋敷にも日本の湯呑みがあったらしい――の茶をすすりながら礼をいう玄武の翁に、モリガンは優雅さを艶で彩った笑みを向けた。
その笑みに好奇心を乗せて、モリガンは楓に視線を向ける
「それで、順調に進んでる?」
「……いえ」
力なく楓は首を振った。現在の所、封印の巫女を犠牲にせずに封印の儀式を行う方法は発見できていない。そもそもそんな方法が実際にあるのかどうかすら定かではない。
「そう。頑張りなさい。応援しているわ」
モリガンの声に気遣いの響きを感じ、怪訝に嘉神は眉を寄せる。
「どうした、慎之介」
それに気づいた示源が、おそらく彼に合わせて用意されたらしい大きな湯呑みを持ち上げながら問うた。
「いや……なんでもない」
――まさか……な。
意外なそれを気のせいだと思おうとした嘉神であったが、モリガンの笑う声がそれを阻んだ。
「私が気遣うと意外かしら、嘉神慎之介?」
「…………意外だった」
モリガンの言葉が、彼女が声に乗せた感情が真なのだと嘉神に教えてしまう。
「あなたはずいぶん私を誤解していたようね。
恋する相手の為に骨を折る可愛い坊やを応援したくなるのは当然のことじゃない」
自分の言葉に顔を真っ赤にする楓と、その隣で嬉しそうな、少し困った様な顔をする扇奈を見やってまた、モリガンは笑う。楽しげに、妖艶に。
「可愛い健気な子は好きよ」
そうモリガンが繰り返したとき、彼女の妖しい光を宿した目が自分を見た様に嘉神は思った。
「面白い御方だな」
湯呑みを置いて呟く示源の声が笑っている。それが釈然としない思いの嘉神の眉間のしわを更に深くした。
「レン、少しいいか」
昼食が終わると嘉神はレンに声をかけた。
「……」
小さく首を傾げたがレンはすぐに頷いて椅子から降りる。
他の皆が手洗いに行ったり、一刻も早く調査に戻ろうと図書室に行く中、嘉神はレンを伴ってかつて自分が使っていた部屋の方へ向かった。どうしたのだろうというという視線をいくつか感じたが、それらを振りきって嘉神は食堂を出る。
――別に人目をはばかる話ではないが……
そう思いつつもためらいはいかんともしがたい。一応、封印の巫女を救う方法を調べるという目的がある中で他の話をするのは気が引けると言い訳しつつ、勝手知ったるアーンスランド邸の廊下を嘉神はレンとともに歩く。嘉神が前を行き、レンがその後をついてくる。
ちりんちりんと鳴るレンの鈴の音しか聞こえず、人の気配も絶えたところで嘉神は足を止めた。二人きりになれればいい。部屋に行く必要まではないのだ。
「レン」
レンの方に向き直り、声をかける。
「………………」
レンはいつもと変わらぬ顔で嘉神を見上げる。
少し考えて嘉神は片膝を突いてレンに視線を合わせた。
「まだ主は決まっていないのか?」
こくんとレンは頷く。
やはりそうか、困ったものだ――そう思いつつも同時に安堵するという、自分では理解しがたい矛盾した感情が広がるのをまた感じながら、嘉神は言葉を続けた。
「ならば私がお前の主になろう」
「…………」
レンが大きく夕日色の目を見開く。はっきりと現れているレンの驚きの感情の中に、嘉神は喜びの色を見た。
――私で大丈夫そうだな……
ほっとしたものを覚えながら、嘉神は更に言葉を続ける。
だが――
「私が主になっておけば、お前は気に入る主を見つけるまでの時間ができるからな」
嘉神がそう言った途端、レンの表情は曇った。
先程の嘉神ではないが眉間にしわを寄せている。怒っているような、呆れたようなレンの表情に嘉神は戸惑った。
「なんだ? 何か気にくわないのか?」
はぁ、とレンは俯いて小さな溜息をついた。
「レン?」
嘉神がレンに声をかけても顔を上げない。どうしたのかと顔を覗き込もうとすれば、ぷいっと背けられてしまった。
「私が主になるのは駄目なのか?」
「…………」
顔は背けたまま、ちらりとレンは嘉神を見る。寂しげな色をそこに見て、嘉神の戸惑いは深くなる。
――最初は喜んだように見えた。しかし今は拒んでいる。更にこの様な顔をする。なんなのだ、何をレンは言いたいのだ……?
ちりん、と鈴が鳴った。
黒いコートの裾を翻し、レンが踵を返す。
「レン、待て」
自分が主では本当に駄目なのか、駄目ならその表情の意味はなんなのか。それを問おうとかけた嘉神の言葉はレンの動きを止めることはなく。
鈴の音と共にレンは駆け去ってしまった。
――……どういうことなのだ……
嘉神はただ、遠ざかるレンの背を見つめることしかできなかった。
その胸の内にはレンの目に浮かんだ色が移ったかのような寂しさと苦いものが入り混じったものが広がっていた。
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