月に黒猫 朱雀の華

九の二 一番簡単な答え

「“地獄門”新書」「異なる次元を繋ぐゲートについての概論」「“スキマ”とは何か」「常世と現世」「死者の世界に関する考察」――――
――……なるほど、地獄門の特性を「異界と現世を繋ぐもの」と考えれば、存在自体は特異ではないか……
 アーンスランドの図書室の本に次々と目を通しながら――じっくりと読んでみたいと思う本もあったが、残された時間と目を通さねばならない本の数を考えればその余裕はない――嘉神は思った。
 そういった他の「異界への門」とでもいうべき物の存在をよく知らなかったとはいえ、“地獄門”を特別なものだと嘉神は、いや嘉神だけではなく皆そう考えていたがそうではないという視点に立ってみれば、「封印の儀」以外の“門”を閉ざすすべの可能性は少しは大きくなる。
――易々と見いだせるものではないだろうが……
 目を通し終えた本を棚へ戻し、嘉神は次の本を手に取った。
 これまでの封印の儀に関わってきた四神達とて、好きこのんで巫女を犠牲にしてきたわけではないだろう。それでも封印の儀の方法を変えることはできなかった。それは他に方法がない、というのが一番単純な解だ。
 嘉神の二つの記憶の一方の世界にはアーンスランド邸の図書室やその書物など存在しなかったが、だからといってここで少々調べた程度ですぐに他の方法が見つかっては過去の儀式に関わってきた四神達の立つ瀬はない。
――他の手段など存在しない可能性の方がまだ高い……
 手に取った本を開き、まずは目次に目を通す。本の内容に見当をつけ、必要と思われる箇所を探す。ここまで十数冊の本と同じ手順を取っていた嘉神は、ふと視線をあげた。
「…………」
 嘉神の向けた視線の先には、ちょこんと椅子に座ったレンの姿がある。レンには少々高い椅子であるため床につかない足を、所在なげにぶらぶらと揺らしている。本が読めないのか、それとも興味がないのか、はたまた邪魔をするまいと思っているのか、レンは本には近づきもしていない。図書室の中を散策したり、椅子に座って本に目を通す嘉神達を眺めたりしているだけだ。
――退屈そうだな。
 そうは思うが、嘉神は声は掛けなかった。少し前に一度「お前は無理にここにいる必要はない」と言ってある。が、レンは暇でもここにいたいらしい。
――ここでいるより、出かけて主を探す方がいいだろうに。今のところはひどく弱った様子はないが……
「あの使い魔が気になるかのう?」
「っ」
 不意に掛けられた声に、取り落としそうになった本を慌てて持ち直し、嘉神は声に顔を向けた。
 声の主はヴァルドール。興味深そうな――それは観察対象の反応に興をそそられた者の目だ――色を眼に浮かべている。
「……否定はせん」
 数瞬、ヴァルドールを無視するか迷ったが、嘉神は口を開いた。レンが弱っていることを魔道学者であるタバサは以前見抜いた。ならばこの魔道師ヴァルドールもまた気づくだろう。
――ならば、この魔道師なら何か……レンを説得する案を出せるかもしれん。
 レンがこのまま弱って死んでしまうのを嘉神は見ていたくない。死なせたくないと思っている。だからレンに主を探す様に何度も言っているのだが、レンはまるで聞く耳を持たない。
 レンのことを案じながら、ここまでレンに構う自分のことを嘉神は奇妙に感じていた。案じている相手であっても、その意志を尊重する、これまでの自分ならそうだったはずだと嘉神は思う。
――……目覚めてからほぼずっと、傍にいるのだ……情も移るか……
 嘉神の脳裏を、ちらりちらりとこれまでのことが浮かんでは消える。思い出すに少々羞恥を覚えるあれこれも含まれる――例えば自分の屋敷跡であったことなど――それらを見なかったことにして嘉神は自分の心の動きに理由をつける。
――それだけではない……あの猫とレンを重ねている……か。
 かつて飼っていた黒い猫。あの猫は守れずに死なせてしまったが、レンには自分ができることはあるのではないか。そう嘉神は思っている。いつの頃からか、思い出す前にも無意識にそうだったのか、あるいは思い出した後からか、それはわからないでいるが、そう思っている己を嘉神は自覚している。
――だが何故レンは私の言うことをきかない、主を探そうとしない……?
 生きることを否定しないが、生きる為の道を進もうとしない、矛盾したレンの行動。理由は嘉神にはわからず、レンも答えは見せない。それが嘉神を悩ませている。
 そんな嘉神の思いを知ってか知らずか、ヴァルドールは浮かぶ興味の色はそのままにレンへと視線を移していた。
「相変わらず主を持っておらぬようじゃな。以前見たときよりは力を回復している様に見えるが……ふむ」
 どうやって回復したのかのう、と髭を撫でながら呟くヴァルドールはやはりレンの状態を大まかに見抜いている。
「主を探せと言っても聞かん。正直、困っている」
「ほう……。元来、主に仕える為に作り出される使い魔は自滅を望む意識などあるはずもなし……いや、相当高度な術式で括られた使い魔であり、さらに“育った”使い魔ならそれほどの自意識も確立しておる可能性はあるか……」
 しかし、とヴァルドールはレンを見つめたまま言葉を続ける。
「そのようなことを望んでいる風にも見えぬの。自滅を求めるならば、手段はともかく回復などはせぬだろう」
「ならば、何故」
「さて、あの使い魔になにやら思うところがあるとしかわからぬな。確かタバサ殿の申し出も断ったのだったか。
 自ら主を選定し、己が身の危機にあっても曲げる事なき強き意志を持っておるとは大層な使い魔よな」
「だがこのままでは、いずれは……死ぬのだろう」
 平静さを嘉神は保ったつもりだった。故に、興味を持って向けられたヴァルドールの視線を嘉神は無視した。
「主から魔力の供給を受けられず、また使い魔としての存在意義を満たされぬままでは、いかに百年級の使い魔といえどもいずれは。
 されど彼の者の眼鏡にかなう主など早々はおらぬのだろう。わしとて認められるかどうか……」
 苦笑を浮かべたヴァルドールは、ふと気づいた様に、おお、と小さく声を上げた。
「朱雀殿、一つ聞くが、そなたは試さなかったのか?」
「試す? 何をだ」
「かの使い魔の主となることをよ。朱雀の守護神たるそなたなら十分な魔力はある」
「私がレンの主に、だと?」
 これまでまるで考えもしなかったヴァルドールの提案に嘉神は思わず問い返していた。
「うむ。聞けばそなたとあの使い魔はずっと共にいるのだろう? ということは使い魔もそなたを気に入っているのだろうから、主として認める可能性は低くはないと思うが?」
――……私が……そうか、その手があったか。
『どうしてあなたは一番簡単な答えを選ばないのかしら』
 以前モリガンに言われたことを思いだし、まったくだ、何故気づかなかったのだと嘉神は一つ嘆息した。
――式神を使うことには慣れているが、使い魔は持ったことがないからか……それとも。
 嘉神やヴァルドールの視線には気づいていないのか、レンは先と変わらず椅子に座って暇そうに足をぶらつかせている。そのレンを見つめて嘉神は思う。
――私はレンを使い魔と理解はしているが、認識していなかったのだろうか。
 口では使い魔なのだから主を探せと嘉神は言いつつ、レンを使い魔とは思っていなかった。だから自分が主になればという発想が浮かばなかったのかも知れない。
 使い魔でないとすれば、何か。
 残るのは、無口な、だが強い意志を持った少女。
――……夢魔の、だ。
 嘉神は一つ、付け加えた。こちらは“使い魔”という要素よりは認識していたはずだ。おそらくは。
――ともあれ、今日一区切りをつけたらレンに聞いてみよう。
 手にした本に視線を落とし、嘉神はそう決めた。
 『生贄と形代』、そう題された本の中身は、先程までのどの本よりもずっと頭に入ってきた。
 

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