月に黒猫 朱雀の華

八の五 月下

 月明かりの下を、白い小鳥が飛ぶ。
 その白い翼に朱の色が不自然に混ざっているのが、ぼうっと浮かんで見える。
 月の光を受けているからだけではない。小鳥自体が、蛍のように淡い光を放っている。
 光を放つ小鳥がただの小鳥であるはずがない。姿形は小鳥であっても闇を飛ぶのに何も不自由のないそれは、嘉神の式神。
 光を放つ式神を追い、嘉神は一人夜を行く。
 御名方守矢の居場所への道はイメージとして式神から読み取っているため案内はなくても良いが、明かりついでである。月も星も天に輝いているが、それだけでは少々心許ない。
――誰もついてきてはいないな。
 時折足を止め、嘉神は耳を澄ませ、気配を探る。
 夜の帳に包まれた周囲には、人の気配はない。不自然な音――例えば鈴の音――も聞こえない。
 家には式神の身代わりをおいてきた。レン達が気づくことはまずあるまい。
 雪の言葉に考えることはないではないが、御名方守矢との決着は自分一人でつけるのが一番良いのだと嘉神は思う。
 普通ならば義妹である雪がいた方が、一時であっても御名方守矢の考えを変えさせるには良いのかもしれない。だが御名方守矢はそういうことで考えを変える人物ではないと嘉神は見ている。
 人の言を耳に入れない、という人物では元来ないだろうが、ことこの件に関しては御名方守矢は他者の言葉で考えは変えまい。どういう形の決着になるにせよ、嘉神ともう一度対峙しない道はないだろう。
 故に、嘉神は一人家を出たのだ。
 御名方守矢のことで長く時間をかけるわけにはいかない。レンや雪達も今宵嘉神が動くとは思わないはずだ。まだ傷は癒えてはいないが、剣を振るう邪魔になるほどではない。
――ひとたび抜けば、気にしている余裕もあるまいしな……
 首筋に触れかけたところで、嘉神は足を止めた。
 先を行っていた明かり――小鳥が近くの木の小枝に止まっている。
 更にその先には、一軒の小屋、そして月下に剣を振るう青年。
 振るう刃の軌跡は昼間と同じように月のごとく怜悧な白銀の弧を描く。
――慨世の剣を基としているが、己独自のものを作り上げているか。
 これまで二度、嘉神は御名方守矢と剣を交えたが、こうしてじっくりと眺めるのは初めてだ。
――青龍と言い、封印の巫女と言い、慨世は後継に恵まれていた……
 弟子であり、子である彼らを慨世は慈しみ、彼らは師であり、父である慨世を慕った。
 だからこそ、慨世を失った彼らは仇を討つために嘉神の前に現れ――

『ダメだ!!……には、…を………!』

――……?
 幽かに脳裏をよぎった声に、嘉神は眉を寄せる。
 確かに覚えのある声だが、それが誰でなんと言っていたかよく思い出せない。
――もう一息、というところだが……
 のんびり思い出している余裕はないらしい、と嘉神は携えた剣を握り直す。
「……貴様……っ」
 嘉神の視線に気づいたか、守矢が月明かりの下でもわかる、鋭い、射貫くような目を向けてきていた。目を向けるだけではない。既に身を低くし、剣を下段後方に構えている。
――やはりこれしか、ないか。
 嘉神もまた、剣を抜いた。
 嘉神の鞘が炎と化して消えると同時に、守矢が動く。その身が一瞬霞んだかと思うと、既に守矢は自分の間合いに嘉神を捕らえている。朱雀である嘉神の目を持ってしても捉えきれない、瞬息の動き。
 しかし動きは見えねども、その剣閃を予測することは可能。
 ぎん、と鈍い鋼の音と共に、嘉神は守矢の一撃を受け止める。
――……む?
 受け止めつつ、嘉神は僅かに怪訝の色を浮かべた。何か今、音を聞いた。剣戟の場にそぐわない音――
 しかしそれを確認する余裕などあるはずもなく。
 次の瞬間には嘉神は音のことなど忘れ、飛び退った守矢を追ってその刃を繰り出していた。

 煌々と輝く月の光の中、嘉神と守矢の刃が疾る。
 ある一瞬は銀の弧を描き、またある一瞬には乱れ舞う風花のごとく閃く守矢の刃。
 ある一瞬は鳳の翼のごとく翻り、またある一瞬は真紅の炎を宿す嘉神の刃。
 互いに卓越した技、ただ見るだけなら美しいとさえ言える洗練された技は、相手を打ち倒す為の必殺の技。
 月下に肉を裂き、血潮を散らし、二人は剣を振るい、戦う。
「おぉっ!」
 裂帛の声と共に、守矢の刃が真円を描く。それを嘉神が受け、流すのに合わせ守矢は間合いを詰める。
「……っ」
――来る。
 避けるのは無理。下がるのも無理。
「くらえっ、十六夜月華!」
 月光を弾き、守矢の刃が鈍くきらめく。無数の流星のごとく襲い来る連斬を、嘉神はかろうじて戻した刃で受け止める。しかし致命傷を避けるだけで精一杯。否応なしに嘉神の身に、新たな傷が刻まれていく。
――だが。
 流星がいずれ消えるのと同じく、守矢の連斬も永劫には続かない。振り抜かれた刃がくるりと翻り、攻撃が途切れる。
 次の一手への弾指の間隙。
 嘉神の剣が疾る。横一閃。
「くっ」
 僅かに焦りの色を浮かべながらも、守矢は退かなかった。ひう、と高い空の唸りと共に刃が閃く。
 二人の動きが、初めて完全に止まった。

「……なんの、つもりだ」

 低い声を洩らしたのは、守矢。
 その首元に触れる直前で止まった、嘉神の剣。
「この期に及んでふざける気か!」
「貴様の方こそ」
 怒りに声を荒げる守矢に比して、嘉神の声は静かだった。
 その腹部には守矢の刀がほんの僅か、食い込んでいる。
 じんわりと血のにじみの広がるベストをちらりと見やり、皮一枚よりは深いか、と嘉神は思う。
「…………っ」
 守矢の紅い目に浮かんだ怒りの色が濃くなる。が、刃を引くことも更に押し込むこともない。
 嘉神もまた、剣を動かさずに守矢を見据える。
「言ったはずだ。私には貴様を倒す理由はないと」
 だが、と無造作に嘉神は守矢の腹を蹴りつけた。
 不意を打たれ尻餅をつく守矢から一歩、二歩、離れる。
「貴様に倒されるわけにも、いかん」
 それほど強く蹴ったつもりはない。現に守矢は腹部を押さえつつ立ち上がり、嘉神を睨み付ける。
「私にはやるべきことがある。
 今貴様の相手をしている余裕はない。私との決着を望むならば」
 すっと、嘉神は剣を守矢に突きつけた。
「全て終わってからにしてもらおう。
 私は逃げも隠れも……」
「黙れ!」
 淡々と告げる嘉神の言葉を、守矢の絶叫が遮った。
「貴様に選択する権利などない!」
 肩を震わせて言葉を吐き出し、守矢は刀を構える。
「貴様は師匠を倒した。故に私は貴様を倒さねばならんのだ!」
――む……?
 それは微かな、微かな違和感。
 守矢の叫ぶ声に、月明かりに見える守矢の紅い目に浮かぶ感情に。
 そこにあるものが嘉神への怒りと憎しみであることは何も変わっていない。
――だが、これは……
「はぁぁぁぁっ!」
 嘉神にそれ以上の思考をする猶予を与えず、守矢が翔る。
「月夜にあがけ、嘉神ぃっ!」
「くっ!」

 闇に舞う銀閃、そして赤き炎。
 空が鳴き、鋼が喚き、炎が唸る――

 月光の下に静けさが戻ったとき、立っていたのは嘉神一人であった。
 

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