月に黒猫 朱雀の華
八の一 穏やかなひととき
慨世の家の庭で、嘉神と刹那は対峙していた。
刹那の黒き刃が空を唸らせ、振るわれる。
その刃から放たれるのも、黒き雷。
――力任せで洗練とはほど遠い。だが、強い。
黒き刃を弾き、雷からは身をかわしつつ嘉神は刹那の力を見定めていく。
「うるぁぁぁっ!」
刹那は迷い無く突進し、斬撃を繰り出す。片手で振るわれているとは思えぬほどその一撃は重い。
「っ……ここまで、としよう」
「……わかった」
刃を受け止めた嘉神の言葉に、少々不満そうな表情を見せながらも刹那は剣を引く。
「どうした」
「俺には力を見せろと言ったが、貴様は本気ではなかった」
白い梟――ナギという名らしい――から刀の鞘を受け取り、収めながらぼそりと刹那は言う。
「私が本気でやれば、共に無事ではすむまい。手合わせ程度で怪我をするわけにはいかん」
「……それはそうだが……」
「それに私の剣は一度見ただろう」
「……そうだったな」
ナギを肩に止まらせた刹那は頷きはしたものの、憮然とした顔をしている。
――思い出させぬ方が良かったか。
あのダークハンターに敗れたことは刹那にとっていい記憶ではないはずだ。
――しかし……どうもこの男は、幼いな。
刹那の横顔に嘉神はそう思わずにはいられない。今の顔も子供が拗ねたもののように見えるがそれだけではない。短い時間とは言え見てきた限りでもそう思える。
ただ幼いのではなく、アンバランスというべきか。普段はおおむねそれなりに外見相応の立ち居振る舞いだが、幾つかの面で刹那は幼さを見せることがある。
常世によって不自然に生まれた命であるが故であろうか。
――今後気をつけてやらねばならんとすれば、そこか。
ダークハンターにおくれを取ったのもその辺りが原因かも知れん、そう思った嘉神の耳に、ちりん、とレンの鈴の音が届いた。
「…………」
「ちょうど終わったところだ」
家から出てきたレンは嘉神の声を聞くとぱたぱたと駆けてくる。嘉神の腕を取り、ぐいぐいと引っ張るレンからはほのかに甘いにおいがする。
太陽の傾き具合からしてそろそろ三時。いわゆる八つ時だ。
「刹那、お茶にしよう」
玄関に顔を覗かせた久那妓が刹那を呼ぶ。
「今日は蒸しケーキを作ったぞ」
「そうか」
応える刹那の声が心なしか弾んでいるように嘉神には聞こえた。
――のどかなものだ。
湯呑みの茶を口にしながら嘉神は思う。
嘉神の前では雪、久那妓、刹那、レンが茶を飲み、今日のおやつ――カップケーキを食べている。みかんを使った蒸しケーキだというそれは、菓子皿に山盛りになっている。
一番この時間を楽しんでいるのはレンだろうが、刹那もまた結構甘いものが好きらしいと言うことを嘉神はここ数日で知った。
――これも幼さの発露か……それとも、単なる甘党か……?
嘉神が思う間にも、長身の青年は実にうまそうにケーキを頬張っている。
「刹那、おいしいか?」
「あぁ、うまい」
大きく頷く刹那を見つめる久那妓は嬉しそうだ。
「今日のケーキは久那妓さんとレンちゃんが作ったのよ」
「だからうまいのか」
雪の言葉になるほど、と納得した様子で更に刹那はケーキを食べる。
「誰が作っても、うまいはずだ。簡単だったから」
自分もケーキを食べながら言う久那妓の口調はことさらに素っ気ない。
「いや、久那妓が作ったのだから更にうまいのだと思う」
菓子皿からもう一つケーキを取る刹那は、真顔だ。
「…………」
黙々と久那妓はケーキを食べ続けるがその頬は赤い。
その様子を見ていたレンが、ケーキにかじりついたところで動きを止める。そのままじいっと、少し上目がちに嘉神を見つめた。
「なんだ?」
「…………」
はむはむはむっ、とかじりついていたケーキを一気に食べ――喉が詰まらないか嘉神は少しはらはらした――菓子皿の上からケーキを一つ取ったレンは、嘉神に差し出す。
「食べろと言うのか」
こく、と頷くレンの手から、嘉神は薄いみかん色のケーキを受け取った。
「どれ……」
一口かじると、みかんの良い香りとほのかな甘さが口に広がる。ケーキの口触りは軽く、なかなかにうまい。
「あぁ、うまいな」
じーーっと見つめているレンに言えば、レンは自分でもまた一つケーキを取った。
はむ、とかじりつく。何事もなかったかのような振る舞いだが、どこか満足そうな表情のようにも見える。
――……ふむ。
「レンちゃん、がんばっていたわ」
「そうか」
なぜか微笑ましげな雪に嘉神が頷くと、なぜか雪は更に目を細くした。楽しそうであり、何か面白いものを見ているかのようでもある。
――のどかなものだ。
繰り返し、嘉神は思う。
ここ数日はずっとこんな感じで過ごしている。
剣の修練――今日は刹那だったが、雪や久那妓とも嘉神は手合わせをした――をしたり、家の仕事――薪割りや掃除――を手伝ったり、そして、今のように皆で茶を飲んだりと。
あれからオシリスの砂は現れていない。ジェダもまたしかり。
穏やかな時が過ぎていく。
それが薄氷の上の平穏であることは、この場にいる誰もがわかっている。ジェダやオシリスの砂が諦めるはずがないのだから。
それに加え、嘉神の懸念はもう一つ。
――……レン。
レンははむはむとケーキを食べている。いつもと変わらないその様を見ているとレンが弱っているようには思えない。だが主を持たない使い魔のレンは、確実に弱っているはずだ。
――ここにいさせて良いのだろうか……
もう何度目か、嘉神は自問自答を繰り返す。主を探させるにしても街から少し離れたここではなかなかに難しい。街に連れて行くにしても、雪の護衛を考えればそうそう出かけるわけにも行かない。
その上、何度か促してもレン本人がここから離れたがらない。主を探す気がないのだろうかと嘉神が思うほどだ。
――……どうしたものか。
一応の答えを見いだしている地獄門のことよりも、レンのことの方が嘉神を悩ませている時がある。
――のどかなままではいくまいな……む。
感じた気配に嘉神は食べかけだったケーキを平らげる。茶も飲み干して立ち上がる。
「少し、出てくる」
四人の問いかけの視線にそれだけ答えると嘉神は部屋を出た。
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