月に黒猫 朱雀の華

七の二 慨世の娘

『愛する者を護るため?
 それだけとは健気なことだ……
 だが人の言う愛など、所詮は虚ろ。真の救いなどありえぬ……
 今ここでそれを証明してやろう』
『あなたにはわからないわ……
 人はいくらでも強くなる事が出来る。
 そう……愛する人を護るためなら……』

 道場に姿を現せたのは、金の髪と白い肌、そして青い眼の娘だった。
 それは常世の力を宿す嘉神を前にして、僅かも臆することなく愛を語った娘。
 慨世の養い子の一人で、名は雪といったか。異人――このMUGEN界ではその認識はおかしい、と嘉神のこちら側での記憶が告げているが――の娘が何らかの理由で身寄りを亡くしたところを慨世が引き取った、ということは嘉神も知っている。
――……この娘……
 雪を見る嘉神の目が、すっと細くなった。以前対峙した時とは違う何かを、この娘から感じる。力と言うべきか、まとう気と言うべきかはわからない。だがその何かに嘉神は――それも、朱雀の守護神としての嘉神は引っかかるものがあった。
「あなた……嘉神、慎之介……?」
 嘉神の眼差しに気づいているのかいないのか、道場に入ってきた雪の唇が、驚きと共に言葉を紡ぐ。
「そうだ」
 嘉神は頷いて立ち上がると雪に体を向けた。
「楓から生きていたって聞いたけど……でも……」
 手に槍は携えているものの、構えることなく雪は嘉神を見つめている。その青い眼に浮かんでいる色に、嘉神は困惑を覚えた。
――これは戸惑い……か?
 それと、驚きの色。雪の表情に怒りや憎しみは見られない。
――この娘も、か……
 ゆくゆくお人好し揃いだと内心で溜息をつく嘉神の眉が、怪訝に寄せられた。

「あなた、本当に嘉神なの?」

 この、雪の言葉に。
「どういう意味だ」
「以前のあなたとまるで違うもの……」
 足を止め――自分の間合いをとっているのはさすがと言えよう――しげしげと雪は嘉神を見つめる。睨むでもなく、凝視でもない。ただ不思議そうに見ている。
 いっそ無邪気とさえ言えるその視線は実に心地悪く、嘉神は一つ咳払いをして言う。
「常世の力を失ったから、そう見えるのだろう」
「そうじゃないわ」
 言った雪の青い目が嘉神から、その傍らのレンに向けられる。
「常世の力の有無じゃない、あなたは……」
「変わった、か」
 先を制した嘉神の言葉に、あら、と雪は首を傾げる。
「皆そう言う」
「みんなにそう見えるのだから、あなたは変わったのよ」
「仮に私が変わったとしても、私の為したことが変わるわけでもない」
「そうね……」
 目を伏せ、雪はゆっくりと道場を見渡した。
「師匠は戻らない。
 この地で私達兄弟が共に暮らすことも……もう、無いでしょうね。
 でも」
 目を上げ、雪は再び嘉神を見つめた。
「あなたの過去をもって、あなたの今を否定することは出来ないわ」
 雪と嘉神の間には、槍の間合いが保たれたままだ。
 だが雪には敵意はない。槍を構えもしない。
「……私は、私の為したことを悔いてはいない。
 貴様らに詫びる気もない」
「私もあなたを許してはいない」
 そう言った一瞬だけ、ぴんと空気が張り詰める。
「でも私はあなたを憎まない。憎しみの連鎖は嫌だから……」
 少しぎこちなくではあったが、雪は微笑んで見せた。

『また同じ道を歩めることを願っておるぞ』
 
 不意に、慨世の言葉が思い返される。
 あの時の慨世は背を向けていたが、笑みを浮かべていた。何故か今、嘉神は確信した。
「貴様は」
 一歩、嘉神は雪に近づいた。雪は動かない。
「慨世に似ている」
「当然だわ」
 クスリと雪は笑った。今度は自然に、嬉しそうに。
「私は師匠の娘だもの」
「……そのようだな」
 僅かな間の後、嘉神は頷く。
 いま一つの確信と共に。
 

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