月に黒猫 朱雀の華

七の一 残された家

 人の住まない家は死ぬという。
 手入れがされないからだけではない。家の存在意義はそこに人が住むことだ。存在意義を失ったものは滅びゆくしかない。
――だが、この家は……
 嘉神は訝しげに慨世の家を見渡した。
 人の気配はない。そろそろ西の空も赤く染まりはじめたとはいえ、まだ昼間なのに雨戸は全て閉ざされている。
 それでも、この家には生気があった。
――師匠が手を入れているのか?
 レンと共に庭を――雑草はあちこちに生えてはいるが、荒れるまでは至っていない――行きながら嘉神は思う。
 しかし玄武の翁は嘉神が慨世を殺害してから五年の間、自らの結界の内にこもったままだったはずだ。翁の元で修行していたという楓もまたしかり。
 だがこの家には、年単位で放っておかれた様子はない。
 いったい誰が、と疑問を抱いたまま、嘉神は家の隣に設けられた道場の前に立つ。
 慨世が三人の養子に剣術を教えていた道場であり、最期を迎えた場所だ。
 つまり――嘉神が慨世を斬った場所だ。
 道場の戸には鍵などはかけられていなかった。手を掛けてみると意外なまでにあっさりと開く。
 道場にも人の姿はない。
 道場の雨戸も閉められており、天井近くの明かり取りの窓からしか光が来ていないため薄暗いが、入り口で中を見渡した範囲では、埃の積もった様子はない。
 靴を脱いで道場へ上がる。レンも無言で後に続く。
――こちらも掃除されている、が……
 道場の中央で嘉神は片膝をついた。
 そこの床板に薄く見える赤茶けた、染み。薄暗い中でも、それがかなり広く広がっているのが見える。
 それは慨世の血だ。
 嘉神に斬られた慨世から流れた血の跡は、今も消えずに残っている。この染みだけが、あの時の記憶をこの道場に刻んでいる。
 よく見れば、血の染みがある周りの床板はほんの少し、他の板よりきれいだった。
 掃除した者が、懸命に消し去ろうとしたことがそこからうかがえる。
 誰かはわからないが、その必死さを嘉神は感じたような気がした。
 慨世の死を、そこより始まった運命の流転を、必死に否定しようとする誰かの姿が見えたような気がした。
 と。
――……む。
 人の気配が近づいてくるのを感じ、顔を上げた嘉神が開けたままの戸の方へ目を向いた時。
「誰か、いるの?」
 女の声が静かな道場に響いた。
 

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