月に黒猫 朱雀の華

六の六 見送り

 最終的に「常世の影響が及んだ結果色々おかしくなったに違いない」と結論づけることで嘉神と示源がパンツ問題に決着をつけることにした頃には、三十分ほど時間が過ぎていた。
 とっくに二人の言い合いに飽きた都古とレンは二人して菓子を食べていた。
「……色々と無駄に費やした気がする……」
「そう言うな、わしは結構楽しかったぞ」
 疲れた様子で呟く嘉神とは裏腹に、豪快に示源は笑って見せる。
「楽しい?」
「おうとも。確かに最初は少々腹も立ったが、お前と言い争うのも久しいことと思うと何やら楽しゅうなってな」
「……そうか」
 本気で楽しげな示源の顔に、嘉神はつっこむ気は失せた。口を開けば開いただけ、疲れるような気がしている。
――だが……あぁ、そうだな……
 屈託のない示源の笑みに、和やかな雰囲気に嘉神は思う。
「……悪くは、ない……」
「ん、何か言ったか?」
「なんでもない」
 首を振り、嘉神はすっかり冷めてしまった紅茶を口にする。気分の所為か冷めたティバッグの紅茶でさえ悪くない味の気がする。
「む、茶は冷めているだろう。淹れ直すか」
「いや、構わん。そろそろ出る」
「そうか。ならばそこまで見送ろう」
「わざわざすまんな」
「なに、遠方より来たる朋を見送るのは当然だろう?
 都古、嘉神を見送りに行くぞ」
「はーい!」
 立ち上がった都古は口の周りをぐいっと拭くと、レンの手を引いて駆け戻ってきた。どうやらそれなりに仲良くなったらしい。
 都古に対してもレンの態度が変わるとは思えない。子供の順応性の高さに嘉神は密かに舌を巻いた。


 示源と都古と共に、嘉神とレンは都古と出会った場所――示源をかつて封印した場所へと戻った。
「おう、これはお前の式か。相変わらず器用だな」
 さっきは気づいていなかったのか、自動車型式を目にした示源が感嘆の声を上げる。
「なるほど、ああいう式を作れば、街に出るのが楽になるな」
「親父、アタシも乗りたい」
「よし、今度作ってみようか」
「やめておけ、お前は式を作るのは下手だ」
「……言われてみれば……ならば慎之介、今度作ってくれぬか? お前の式なら安心だ」
 嘉神にちくりと言われてもまるで堪えた風無く、あっさりと示源は頼んでくる。
「人に自分の式を与える術者がどこにいる」
「貸すぐらいなら良かろう」
――簡単に言うか……?
 呆れる嘉神にも示源は気づいた風はない。あるいは気づいていても知らぬ振りをしているのだろう。
 六年前と何も変わっていないと嘉神は思いながら車型式のドアを開けた。
 レンを助手席側に乗せ、自分も乗り込んだところで窓を開け、示源を見上げる。
「なんだ、慎之介」
 口を開きかけた嘉神に気づいたのか、示源は先に問いかけた。
「示源、お前は……」
 自分を恨んでいないのか、そう言いかけて嘉神はやめた。
 今日出会ってからの示源の顔を、言葉を思い出せばそれが愚問であるのは明らかだ。今とてこうして、先に言葉を掛けてくれる。甘いと思うが、それが、直衛示源という人間だ。
――だから、私は……
 示源を封印した崖を一瞬見やり、嘉神は別の問いを一つ口にした。
「示源、私は猫を……黒猫を飼っていたことはあるか?」
「黒猫だと? わしの知る限りではそのようなことはなかったと思うが……どうしてまた」
「いや……知らぬのなら構わん」
 示源が知らないならば、あの記憶は示源に出会う前か、それとも――MUGEN界ではない世界での記憶か。
「ふむ……? レン殿は黒猫のようだがな」
「…………」
 示源に視線を向けられてもレンはいつもと変わりない。
――レンが猫、か……確かにそういうところはあるな……
 嘉神が初めてレンを見たときの印象はまさに「猫」であり、彼女の行動も猫のように気まぐれかつマイペースなものが多い。ほとんど口をきかないのも猫らしいと言えるだろう。
 今もまた、レンはまさに猫のように興味のないことには我関せず、といった表情をしている。
「ではな」
 嘉神はレンから示源に目を向けると短く言った。ハンドルを軽く叩けばエンジン音を式神が上げる。
 おおー! と都古が声を上げるのを横目に一度見て、示源は手を伸ばして嘉神の肩を叩いた。
「またな、慎之介」
「……あぁ」
 一瞬の間を開けはした者の、嘉神は頷くと式神を走らせた。

――またな、か。

『憎しみのため鬼となるか……貴様もくだらん人間どもと同じというわけだ』

 かつて嘉神は示源を『くだらん人間』と見下した。
 その示源が人に戻り、嘉神にかつてと変わらぬ顔を見せる。
「示源は、四神だ。人とは違う」
 口にしてみて、その馬鹿馬鹿しさに自分で呆れる。状況に合わせて見方を変えることに、今は何ら意味はない。
 バックミラーを見れば、示源と都古の姿がまだ小さく見える。
 断絶を乗り越え、共に生きる親子の姿。
 積怨を乗り越え、友を見送る男の姿。
――同じことが、私なら出来ただろうか。
 見えなくなる二人の姿に、嘉神は思う。同時に、示源をうらやんでいる自分にも気づく。
 その心の強さを、そして
――……誰かと、共に……か。
 相手が示源とはいえ他人をうらやむ自分に戸惑いつつも、隣に座っているレンを見やる。
 モリガンの屋敷で目覚めてからほぼずっと、一緒にいる夢魔の、猫のような少女。
「…………」
 嘉神の視線に気づいたか、レンも目を嘉神に向けた。懐かしさを呼び起こす夕日の色の目を。
――……少なくとも……悪くは、ないな……
 この少女が傍にいることは。
 その小さな手を振り払う気にならない程度には。
「…………?」
「いや、なんでも……」
 小首を傾げたレンに首を振りかけた嘉神の動きが、止まった。

 ちらっ

 レンが、ほんの少し、スカートをめくってみせていた。といってもせいぜい黒いタイツをはいた膝が見えるぐらいまでだが。
「そ、そんなことをするものではないっ」
「…………」
 慌てて目を前に向ける嘉神を、仕方ないと言いたげな目で見つめながらレンはスカートを元に戻す。
――本当に……悪くないのだろうか……
 軽く額に手を当てながら、嘉神はしばし自らの感情を疑い続けた。
      六・終
 

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