月に黒猫 朱雀の華
六の三 変わらないもの
「久しぶりに会えたのだ。茶でも飲んでいけ」
昔と変わらぬ口調で示源はそう言ったが、嘉神は首を振ろうとした。
まだこれから行くところがあるというのが一つ。
そして、屈託のない示源とは異なり、嘉神自身は示源との距離を未だ測りかねているというのがもう一つの理由だ。
示源の性格上、ある程度は昔のように接してくるのではないかと嘉神も考えてはいたのだが、想定以上の屈託のなさに、どういう態度で自分がいればいいのかを決めかねているのである。
『相変わらず難儀よの、お主は』
先日の玄武の翁の言葉が不意に思い返され、嘉神は眉を寄せる。
――私が難儀なのではない。皆が甘いだけだ。私のしたことを考えれば私を恨んでしかるべきだ。青龍や示源の娘の反応の方が正しい。
眉を寄せたまま心の内で翁に反論する嘉神をよそに、示源は言葉を続けた。
「丁度菓子もある」
「……!」
「えっ」
続いた示源の言葉にレンの目が見開かれ、示源の肩の上の都古は驚きと困惑の入り交じった声を上げている。
「都古、そのような声を上げるな。翁からもらった菓子はたくさんあるのだぞ」
「……はい」
「では行くか」
示源の言葉にレンは大きく頷くと、元気よく歩き出した。
もちろん、嘉神の手を引いている。
「……レン?」
心中で反論を続けていた嘉神は腕を引かれてようやく状況が動いていることを認識した。
「ちょっと待て、レン、私はまだ行くとは……」
足を踏ん張ってレンに抵抗し、嘉神は首を振った。
「往生際が悪いぞ、慎之介」
都古を肩に乗せて先に行く示源が振り返って呆れた声を上げた。
「往生際の問題ではないっ」
「ただ茶飲み話をするだけだ。また深く考えすぎていたのだろう?」
「お前は考えないのか」
「何をだ?」
とぼけた顔で問い返す示源にむっとして嘉神は言い捨てた。
「お前は考えなさすぎだ」
「だから丁度よいのさ」
笑みを浮かべて、示源は言う。
「慎之介、お前もわしも存外変わらんものだな」
「変わらない、だと?」
嘉神の声が一段、低くなった。
レンが振り返って見上げるも、嘉神は示源を睨むように見据えている。
――変わらない、ものか……
示源の姿は変わり果てた。身動き一つ取れぬ嘉神の封印の中で抵抗を続けていた結果だろう。体は巌のような筋肉で元の倍ほどにも膨れあがり、顔立ちも別人のようになった。
心とて、一時は狂気と復讐の念に囚われて鬼と化していた。
それでも今、嘉神を見る示源の目には穏やかな光だけが宿っている。昔と変わらぬ軽口をも叩く。確かに今の示源の心は、昔と変わりはなさそうだ。
ならば、嘉神自身はどうなのか。
常世を垣間見て人に絶望し、人を滅ぼそうとしたが阻まれ、死のうとして生かされた。これで変わらないはずはない。
だが示源は変わらないという。
――示源は私の何を見た?
自分を見据えたままの嘉神に、示源はふむ、と一つ唸る。
「慎之介。そう睨んでも何も出んぞ?」
「……あ、あぁ、すまん」
「また考えすぎておったな」
ククッと示源が喉を鳴らすのと同時に、レンがぐいっと嘉神の腕を引く。
「とりあえずゆこう。
レン殿も都古も、菓子が食べたかろう」
「アタシは、別に……」
レンはこくこくと頷くが、都古はそっぽを向いて口をへの字に結んだ。
「腹がさっきから鳴っておるぞ。菓子だけではなく、握り飯でも出そうか」
「……っ、親父のバカ!」
顔を真っ赤にして都古はぽかぽかと示源の頭を叩くが、示源は堪えた風もなく笑うとまたのしのしと歩んでゆく。
「……」
「そうだな。とりあえず、ゆくか」
見上げるレンに、一つため息をついて嘉神は答えた。
確かに自分は考えすぎているかも知れないと、ほんの少しだけ思いながら。
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