月に黒猫 朱雀の華

五の五 傷痕

 浜辺まで戻った嘉神とレンは駐めておいた車型式に乗り込んだ。
「…………?」
 と、助手席に座ったレンが小さく小首を傾げると、嘉神に手を差し伸ばす。
 触れたのは嘉神の首筋。
 そこには、刀傷と思われる傷跡が白く残っていた。
 普段は襟とタイで隠れているのだが、さっきレンがタイを掴んだ時にずれてしまったようだ。
 どうしたのと問うように、癒すように優しく、レンは傷痕を撫でる。
「これは」
 レンの手首を握って撫でるのをやめさせ、嘉神は低い声で呟く。


 血潮に沈む慨世を冷ややかに見下ろす嘉神の目に浮かぶのは侮蔑と哀れみ。
『愚かな、何故わからぬ。
 四神が情を施す価値など、醜き人にはない。その愚かさこそが、貴様に死をもたらしたのだ』
 嘉神がそう呟くのと同時に、怒りの声が空を震わせた。
『貴様ぁっ! 師を、侮辱するか……!』
 弾指、刹那、それほどの短き一瞬に空が唸り、嘉神の首筋に激痛と熱が走る。
 続いて、鋼がぶつかり合う音。
 二撃目は、嘉神は許さなかった。
 受け止めた刃を、無造作に弾く。
『……くっ』
 たたらを踏みつつも間合いを取り、紅い髪の少年は嘉神を睨みつけた。その剣を嘉神の血が伝い流れ落ちていく。
『……師に、感謝することだな』
 嘉神の視線の先には、倒れた慨世。死に瀕しながらもその眼はひたと嘉神を見据えている。
 慨世の唇が、微かに動いた。


「これは、この傷は……私の愚かさの証だ」
 自嘲しつつ、レンの手を嘉神は離した。
 紅い髪の少年――慨世の養い子、御名方守矢の剣をかわせなかったわけではなかった。既にひとかどの剣士としての腕前は十分にあったとはいえ、嘉神にはまだ到底かなわないものだった。
 慨世が最後の力を振り絞り、青龍の力で我が子を守ろうとしていたからでもなかった。慨世の力でもあの時の嘉神を止めるには弱い。それを誰よりもわかっていたのは慨世自身のはずだ。
――刃を受けたのは油断、御名方守矢をも殺さなかったのは力に酔うが故の傲慢。それだけに過ぎない。
「…………?」
 もう一度軽く嘉神の首筋に触れ、レンは首を傾げる。
「……痛みはない。もう、癒えた傷だ」
「…………」
「心配ない」
 じっと見つめるレンに重ねて嘉神は言った。無造作にタイを引き上げて傷痕を隠す。
「それより、あと二つ行くところができた」
「……?」
「示源を封印した場所、それから慨世達の家だ」
 その説明でレンが理解できるとは思わなかったが、それ以上話す気はなかった。
 それに理解はしなくても納得はする、そんな確信が嘉神にはあり――
「…………」
レンは、嘉神の思った通りにこくんと頷いた。
    五・終
 

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