月に黒猫 朱雀の華
五の四 悪くない気持ち
車型式神を駐めた浜辺までは少し距離がある。
まず屋敷を囲む険しい岩場を越えなければいけない。一応道はあるが楽な道ではない。
レンの様子を見ながら、嘉神はその道を辿っていく。
――……私より年上か……実際はいくつなのだろう?
ちりんちりんと鈴の音を響かせながら軽やかな足取りで進むレンの表情を見る内に、先のやりとりを嘉神は思い返していた。
タバサは『百年級の使い魔』と言っていたのだから、レンは百年は生きているのだろう。四神最年長の玄武の翁よりも年上だ。
一方、嘉神は三十一だ。二人の生きてきた時には少なく見ても三倍以上の時の差があることになる。
――…………三倍、か。
レンは夢魔であり使い魔なのだから実年齢の通りの姿であるはずがないと嘉神もわかっているのだが、この少女の姿を前にすると実感がいまいちもてない。
――それにしても……私は、レンのことはあまり知らないな……
アーンスランド邸で目覚めてから今日までレンと一緒に過ごした時間はかなり長いというのに、である。
――知っていることと言えば……レンが夢魔で、使い魔であること、それから……何故か私につきまとっていて……
ケーキを美味しそうに食べているレンの表情が嘉神の脳裏に浮かぶ。
その瞬間、自分が小さく微笑んでいたことも、レンがじっとその表情を見つめていたことも嘉神は気づかなかった。気づかないまま、考えながら道を進んでいく。
――ケーキが好きなことぐらいか。ふむ……
変わらない足取りで進むレンを、嘉神は見た。
――私はもう少し、レンのことを知っても良いかもしれん。
そう結論づけた嘉神は、岩場を越えたところでレンに声をかけた。
「レン、少し聞いてもよいか」
「…………」
なあに? と言うようにレンは小首を傾げる。表情はないが、その仕草は外見にふさわしい少女のものだ。
その夕日色の目を見つめながら、嘉神は何から聞こうかと考えた。
「……お前は、どれぐらい生きているのだ?」
不躾かとも思ったが、嘉神は最初の問いを口にした。
「………………」
くるり、とレンは嘉神に背を向ける。聞いてはまずかったか、と嘉神はすぐに言葉を続けた。
「すまん、問うようなことではなかったな。今のは忘れてくれ」
「…………」
またくるり、とレンは嘉神に向き直ると、ふるふると首を振った。
そして両手を嘉神の方に伸ばす。
右手は開き、左手は人差し指と中指、薬指の三本を立てて。
「八?
……八十年、か?」
ふるふる、とまたレンは首を振る。
「……」
まさか、と思いながら嘉神は言う。
「八百年か?」
こくん、とレンは頷いた。
「八百年……」
呟く嘉神にレンは手を下ろして小首を傾げる。
「少し、驚いた。いや、驚いたというか……」
自分の感情がなんなのかわからないのが落ち着かず、嘉神は考え込む。
――……取り残された……? いや、何に取り残されたという?
「……やはり、驚いたのかもしれん」
結局わからないまま、そう呟いた。
「…………」
ぽんぽん、とレンが嘉神の腰の辺りを軽く叩く。
嘉神が思わずレンをしげしげと見れば、小首を傾げてみせる。
なにやら慰められたような励まされたようなそんな気分で、嘉神は苦笑した。
嘉神を見上げたまま、レンは反対側に首を傾げる。
「他には?」ということなのだろうと納得して嘉神は口を開く。
「そうだな……
お前は使い魔だそうだが……主はいるのか?」
「…………」
顔を真っ直ぐに上げたレンが、嘉神を見つめる。
いつもと変わらないその表情が、しかし酷く真剣に見えて嘉神は少し狼狽えた。そんなに難しい質問をしただろうか、答えにくいことだっただろうかと考え込む。
「…………」
ややあって、レンはゆっくりと首を振った。
「そうか……。
主を、探さなくて良いのか?」
重ねて問いながら、嘉神は自分が安堵していることに気づいた。
――何故? 私は何を、安堵している?
レンがまた首を振ると、更に安堵感は強くなる。
――レンに主がおらず、探しもしないことが……私は嬉しいのか?
そこまでは自分の感情を分析できたが、そこからがわからない。
また考え込む嘉神の右手を、レンが握った。もう行こう、と言うようにくいくいと引っ張る。
「あ、あぁ……そうだな……」
頷き、嘉神は歩き始めた。
ここからの道は今までに比べればぐっと歩きやすくなる。手を繋いでいても大丈夫だろう。
レンはしっかりと嘉神の手を握っている。手袋を通しても、その手のぬくもりは感じられる。
――レンと話していると何かがおかしい。……調子が狂うというか……色々と、わからなくなる……
自分の手を引いて歩むレンを見ながら、嘉神は自分の胸元に空いている手を当てた。
――だが……それが悪くない……悪くない、気がする……
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