月に黒猫 朱雀の華

五の一 終焉の地へ

「何かあったの?」
「いいや」
 朝食の席で、意味ありげな笑みを浮かべて問うモリガンに嘉神は即答する。
 レンは黙々とトーストにジャムを塗っていた。
「……何故そのようなことを聞く」
「貴方の頬が不自然に赤いから、かしら」
「気のせいだ。
 貴様の方こそ、その傷はどうした」
 いつものように優雅にティーカップを傾けているモリガンの体にはあちこち包帯が巻かれ、長いつややかな髪も痛んでいる。更にいつもモリガンに従っているコウモリ達も、疲れているように見える。
「フフ……ちょっと昨夜は戯れが過ぎただけ」
「そ、そうか……」
 何故かモリガンの笑みに異様な迫力を感じ、嘉神は曖昧に頷いた。モリガンは異様な迫力を背負ったまま、何やらぶつぶつ呟いている。
――……タマネギ頭……?
 僅かにそんな言葉が聞こえたが、嘉神は追求はしないことにした。
「あー……ところで、だな」
 話題を変えようと、サラダに手をつけながら嘉神は口を開く。
「今日も出かける。帰りは遅くなるだろうから、夕食は用意しなくていい」
「あらそう。どこへ行くの?」
「私の屋敷だ」
 嘉神の答えに、モリガンの手が止まった。
「……貴方の?
 それって……」
「地獄門開放の儀を行った場所だ。
 あぁ、その時に屋敷は大破してしまったから、正しく言うなら私の屋敷跡だな」
 サラダを食べながら、淡々と嘉神はモリガンの問いかけの視線に答えた。
「何しに行くつもり?」
「明確な目的があるわけではない」
「ふぅん……することもないけどとりあえず、行ってみるってこと?」
「そうなるな」
 サラダを平らげ、嘉神はようやく視線をモリガンに向けた。
 興味深そうな目でモリガンは嘉神を見ている。
「…………」
 モリガンの視線には答えず、トーストに視線を移し、かじる。
 昨夜色々考えてとりあえず達した結論だった。
 地獄門封印に動くか否か、それを決めるためには自分の行いと今一度向き合う必要がある、と。
 あの時の感情、思考と向き合う、その為には彼の地に再び立つのが最善。そう嘉神は考えたのだった。
「ねぇ、一応聞いておくけど」
 問いかけるモリガンに嘉神は視線を戻す。
「レンも一緒よね」
「……は?」
「レンも一緒に行くんでしょ? あなたたちの夕食の用意をしないんだから、一応確認しておきたかったのよ」
――何が「一応」だ?
 さも当然のように言うモリガンに嘉神は眉をひそめる。
「…………」
「…………」
 感じた視線に目を向ければ、イチゴジャムを塗ったトーストをかじりながら、レンがじーっと嘉神を見つめている。
「……連れて行く理由は……ないだろう……」
 レンの視線から顔を逸らしつつ、ぼそりと嘉神は言う。しかし既に声には力がない。
「ないのかしら?」
 楽しげにモリガンが追い打ちを掛ける。
「…………」
 少し顔を俯きがちにして、上目にレンは嘉神を見つめている。
「……連れて行けばいいのだろう、連れて行けば」
 諦め、嘉神は二人の女に屈服した。
「連れて行けば……ねえ?」
「まだ何か言いたいのか」
「いいえ。今はそういうことにしておきましょう? 嘉神慎之介」
 怪訝な顔をする嘉神に、モリガンは優雅に微笑んで見せた。


 アーンスランド邸とは街を挟んだ反対側、つまり街の南は海に面している。
 その海に浮かぶ小島に、嘉神の屋敷はあった。
 この、MUGEN界では。
 「元の世界」では入り組んだ崖に囲まれた海岸だった。
――どちらにしても、訪れるには面倒なところだ。我が屋敷ながら。
 自分の屋敷に訪れる立場になって初めて、嘉神はそう思った。
 どちらの世界でも辺鄙で不便な場所にあるのは理由がある。嘉神の屋敷――朱雀の屋敷には、地獄門封印の要があったのだ。
 朱雀は封印の要を守る役割を背負っていた。それは同時に、朱雀が地獄門にもっとも近い場所に常に在るということを意味する。
 四神の中で嘉神ただ一人が常世の負の気を受け、その有り様を見せつけられた理由がそこにあった。嘉神が己の屋敷で地獄門開放の儀を行った訳もまた、屋敷に封印の要があったからだ。
 封印の要を置くために人の近づかない辺鄙な場所が選ばれたのは至極当然の理由であるが、赴くのは一苦労だ。更にアーンスランド邸からはかなりの距離がある。
「……これでよかろう」
 目を開き、印を結んでいた手をほどいて嘉神は言った。
 その前には、白い自動車が一台。式神の術を用いて作ったものだ。嘉神の力を持ってすれば、木偶や影武者を作るよりたやすい。
 自動車の形をしているが式神だ。ガソリンで動くわけではないので地球に優しく、地面を走るだけでなく、水上走行も可能。これで小島まで行こうという算段である。
 サイズの問題があり、空はさすがに飛ばない。
「乗れ」
 助手席のドアを開けてやり、嘉神はレンを促した。こくりと頷いてレンは助手席に座る。と、自動的にシートベルトがレンの体を固定した。
 助手席のドアを閉め、嘉神は運転席に乗り込む。嘉神の体も自動的にシートベルトが固定する。
「行け」
 嘉神がそう言えば、音もなく自動車型の式は走り出した。嘉神は形ばかりハンドルを握っているだけだ。
「…………」
「なんだ?」
 何か言いたげな顔のレンに、嘉神は顔を向けた。その間も式はアーンスランド邸の門をくぐり、外の車道を進んでいく。
「………………」
 レンは車のメーターの辺りを見て、それからまた嘉神の方を見た。
 なんとなくそれで、嘉神はレンの言わんとすることを察する。
「静かすぎる……か?」
 こくりとレンが頷くのを見ながら、なるほどと嘉神も頷いた。
 もとよりエンジンで動いていないのだから、この式がエンジン音を立てないのは当然だ。最近は電気自動車が増えているとはいえ、このままでは街に入ったときに不審がられるだろう。
 右手をハンドルから離すと、軽くメーターの上を人差し指で叩く。するとすぐさまエンジン音が上がった。もちろん、音だけである。
 その後はなんの問題もなく――信号で止まったときにエンジン音が走行時のままだったりもしたが――港までついた。
 式を止め、中から嘉神は海に浮かぶ小島を見やる。
 小島は春の緑に包まれ、何事もなかったかのように見えた。嘉神の屋敷は元々港からは見えない位置に建っているのでここからではその跡をうかがうことは出来ない。
――…………
 しばらく島を見つめていたが振りきるように首を振ると、再び嘉神は式に行けと命じた。

 海へと飛び込んだ車に目撃者が驚きの声を一度上げ、何事もなかったかのように水面を走る車に再び驚きの声を上げたことを嘉神は知るよしもない。
 

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