月に黒猫 朱雀の華
四の九 師と弟子と
翁の家から続く小道を嘉神と翁は並んで歩く。
その後ろでレンは、翁の大亀――だいごろうの背中に揺られている。
「……なんの話がある」
振り返っても翁の家が見えなくなった頃、低い声で嘉神は問うた。
「おや、気づかれておったか」
悪びれた風なく、翁は笑った。
「何の、一つ確かめておきたくてのう。
慎之介、お主を現世に戻したのは慨世じゃな?」
「そうだ」
素直に嘉神は頷く。
「楓の前でそれを言わなんだのは、楓を気遣ったかの?」
「問われなかったからに過ぎん」
「ほう……」
笠の下から、翁は斜めに嘉神を見上げる。
「慨世は何故お主を救った?」
「ずいぶん知りたがるな」
「逆の立場ならば、お主でも知りたかろう?」
「…………」
「……ならば、別のことを聞こうかのう」
髭を撫でて、翁は道の先に目を向けた。
木々の間を縫う道の先は、まだ同じ景色の中だ。
「ずっと気になっておったのじゃがな、慎之介や、お主は六年前、何故わしや示源、そして楓を殺さなんだ?」
「何?」
予想もしない問いかけに、嘉神は眉を寄せて翁を見た。
翁はただ真っ直ぐと前を見ている。
「お主が地獄門を開くために殺したのは慨世一人。
示源は封印したのみ、わしには手も出そうとしなかった。わしの元に慨世より青龍を受け継いだ楓がおったことは知っていたであろう?」
「……別に……深い意味など無い……」
「そうかの?
お主ならわかっておったはずじゃ。わしらを生かしておけばいつか必ず障害になると。
しかしお主はわしらを殺しはせなんだ。慎之介、もしやお主は……」
「やめろ」
声を絞り出して嘉神は翁の言葉を遮った。
「過去のことだ。私が何を考えていたかなど今更どうでも良かろう」
「わしは慨世がお主を戻した理由も、そこではないかと思うのじゃがのう」
「っ……」
絶句した嘉神を、翁は見上げた。その眼には優しい光が宿っている。
「慎之介、わしはの、慨世に感謝しておるよ。
お主を現世に戻してくれたこと、再び生きる機会をくれたことをのう。
そしての、その機会をお主が得ることができたのは、お主自身の心によるものじゃと思うのじゃよ」
「私は」
言いかけて、嘉神は言葉を切った。
自分が何を言いたいのか、自分の中でまとまりがつかない。
翁の言葉を否定したいのか、何か反論したいことがあるのか。そうだと認めたいのか。
「……皆、甘すぎる」
まとまらない考えの代わりに、嘉神の口から突いて出たのはそんな言葉だった。
ほっほっほ、と声を上げて翁は笑った。
「相変わらず難儀よの、お主は」
「どういう意味だ」
「さてのう」
髭を撫でてとぼけた翁は、足を止めて振り返った。
「レン殿、かような弟子じゃがの、なにとぞよろしく頼みまするぞ」
「…………」
こく、とレンは頷く。
――何故レンに頼む。何故頷く。
憮然となった嘉神に、また翁は笑う。
「さて、わしはここまでとしようかの。年寄りに山道は堪えるでのう」
翁がそう言うと、レンはだいごろうの背から飛び降りる。
「衰えてなどおらぬくせに、よく言う」
「久しぶりに会うたというのに、よくわかるのう?
師のことをよく見ておる弟子で嬉しいわい」
嘉神の皮肉を込めた言葉にも、けろりとして翁は言葉を返す。
「この道をずっと行けば、モリガン邸前の停留所に出るぞい」
「……何?」
「道をつけるのに良い場所を選んだ所為で、大きく弧を描いておるがのう。その分、歩きやすい道になっておるはずじゃよ」
「…………」
「どうした?」
「なんでもない」
――道に気づかなかったのは、最短のルートを選んだからか……
道を知らなかったのだから仕方がないとは言え、無駄なことをしたという思いに更に嘉神は憮然とする。
「それでは気をつけての。
近々また会おうぞ」
嘉神の思いを知ってか知らずか、髭を撫でながら翁は言う。
「慎之介よ、今度はお主の答えをしかと聞きたいのう」
「……わかっている」
今度は、嫌でも出さざるを得まい。
己の答えを出さないままいることなど、嘉神自身が許さない。
しかし同時に、出せるのだろうかという不安もある。
「達者での」
迷いを抱く嘉神に、翁はそう言葉を掛ける。その背を押すように。
「……師匠も」
ちらりと翁を見て、嘉神はそう答えた。
四・終
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