月に黒猫 朱雀の華
四の五 仇であること
「本当に、生きていたのか……」
険しい顔で嘉神を睨むように見つめる少年――四神の一人、青龍。名は楓という――の手は、腰の刀に掛けられていた。
「……何故、ここにいる。今度は何を企んでいる!」
「楓さん、落ち着いてください」
扇奈が静かな口調で言うが、楓は聞こうとしない。
「また地獄門を開こうって言うのか!? 今度はみんな殺す気か!?」
風もないのに楓の髪が揺らいでいる。その黒い髪が金色を帯び始め、体からはぱちぱちと青い火花が飛んでいた。
「そんなことはさせない……もう誰も、失わない……!」
だん、と音を立てて楓は上がり口に足をかけて抜刀しようと、した。
さくさく。
張り詰めた空気に不似合いな音がする。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
四人の目が一斉に音の元へ向く。
さくさく。
「……レン」
嘉神の足の間に座ったレンが、黙々とクッキーを食べている。
「あ、そのクッキー、私が持ってきたものですね。美味しいですか?」
ぱんと手を合わせて明るく言った扇奈に、こくこくとレンは頷く。ずいぶん気に入ったようである。
「よかった♪ せっかくだから私たちも食べましょうか。ね、楓さん?」
「え……」
「うむうむ、それがよかろう。戻ってきたばかりで喉も渇いておろうからの、茶を飲んで一休みするがよい」
たたみかけるように翁も言う。
「じゃ、まずは手を洗ってきましょうか」
「え、ええ、ちょっと、扇奈……」
「行きますよ、楓さん♪」
有無を言わせぬ勢いで楓の手を取ると、扇奈は楓を引っ張って行ってしまった。
さくさく。
何事もなかったかのように、レンはクッキーを食べている。
「……レン……」
「…………」
嘉神の声に、レンは食べるのを止めて嘉神を見上げる。
「…………?」
「いや、いい……」
「いる?」というようにクッキーを差し出すレンに、嘉神は首を振った。
「だが……助かった」
脇に置いた愛刀にちらりと目を向け、掴んでいた左手を、ゆっくりと離した。
――抜かずに、すんだ……
そのことにほっとしている自分がいることに嘉神は気づいている。
レンは、嘉神が受け取らなかったクッキーに口をつけた。
そんな二人を白髭を扱きながら優しい目で翁は見つめていた。
「ふむ、これはなかなかうまいのう。甘さ控えめで、食べやすいぞい」
「クッキーなんですけど、バターをぎりぎりまで控えてあるんだそうですよ♪」
「…………(さくさく)」
「…………」
「…………」
和やかに話を交わす扇奈と翁、黙々とクッキーを食べているレンとは裏腹に、楓と嘉神はただ無言である。
無言と言っても、楓は嘉神を睨み付けており、嘉神は考え込むように目を閉じている。
「どこの店のじゃ?」
「パティスリー・マキシマっていうお店です。美味しいって評判のお店ですよ♪
和菓子風のスイーツにも取り組むそうなんで、また買ってきますね♪」
「いつもすまんのう」
「……そうじゃないだろ!」
クッキーにも茶にも手をつけずにいた楓だったが、ついにたまりかねて怒鳴った。
さすがに、扇奈も翁も口を閉じる。
「…………」
ゆっくりと嘉神は目を開く。
「老師も不思議に思わないんですか! 嘉神が生きていたんですよ!」
「……それなんじゃがのう、楓」
髭についたクッキーの粉を払って翁は言う。
「慎之介が生きておったことはわしは知っておった。
数ヶ月前だったかの、慎之介はこの家の前に倒れておったからのう。
もっとも、先に見つけて傍におったのはそちらのレン殿の方じゃが」
「……どうして……黙ってたんですか……」
怒ればいいのか、驚けばいいのか、決めかねた中途半端な表情で楓は翁を見る。
「知ればほれ、今のように怒るではないか。
……あの頃は守矢もおったしのう。慎之介も酷い怪我をして追った故、静かに養生できる場所にと思うたのじゃよ」
「……それでモリガンに預けたか」
「アーンスランドの先代とは、ちと縁があっての。それに近所じゃし」
ほっほと翁は笑う。その声を遮るように再び楓は声を荒げた。
「どうして、嘉神を助けるようなことを……!」
「楓や。お主が慎之介に怒る気持ちはよくわかる。
先の行いも許せぬ所行じゃ。
それでもの、慎之介はわしの弟子なのじゃよ。お主と同じくのう」
すまなそうな響きはあった。だがそれよりも優しさのこもった声で、翁は楓に、そして同時に嘉神にそう言った。
「……でも、僕は……っ!」
声を震わせ、楓は拳を床に叩きつける。
「…………」
レンが鈴の音も立てずに立ち上がると、嘉神の右に座り直した。
――……レン?
「嘉神さん」
申し合わせたように扇奈が口を開いた。
「……なんだ」
「楓さんと、立ち合っていただけませんか?」
「何?」
「扇奈?」
扇奈の言葉に、嘉神も楓も同時に戸惑いの声を上げる。
「たぶん、それが一番良いと思います♪」
穏やかに微笑んでいたが、扇奈の声は至って真剣だ。
「そうじゃのう」
扇奈の言葉に、翁も同意する。
「駄目だと思ったら、私が二人を止めますから。
だから、思い切りやってください。
それからもう一度話をしませんか?」
「…………」
「…………」
無言で、嘉神と楓は視線を合わせた。
楓の眼には抑えられてはいるが強い怒りがある一方、嘉神の眼はあくまでも静かだ。
「……よかろう」
先に口を開いたのは、嘉神だった。愛刀を取ると、立ち上がる。
「……!」
きっ、と自分を見つめる楓を見下ろし、嘉神は言う。
「言葉で話すより、この方が早かろう。
それに、貴様も納得できるのではないか?」
「……僕は、あなたを殺すかも知れませんよ。
扇奈からあなたのことは聞きましたが、僕は、あなたを許しはしない」
「ここで死ぬのならばそれが私の天命だろう。あの時と同じくな」
「……わかりました」
頷くと楓も刀を手に取った。
その刀の銘は疾風丸。
慨世の愛刀だった剣だ。嘉神が慨世を斬ったときにも、慨世はこの刀を振るっていた。
そして数ヶ月前、楓が嘉神を倒した剣でもある――
翁の家から庭に出た楓の周囲には、既に風が渦巻き、青い火花が飛び交っていた。
楓の髪を結っていた紐がぶつりと切れ、黒い髪が風になびく。
「……扇奈が何を考えてるか知らねえがな……」
感情的でも丁寧だった先程までの口調とは違う、乱暴な言葉が楓の口から流れ出す。
そして、稲妻が走った。
「俺は、ここでもう一度お前をぶっ倒す!」
金の髪に緋い瞳、口元には自信に満ちた笑みを貼り付けた少年は、抜刀するやいな嘉神に斬りかかった。
「…………」
その一撃を無言で嘉神は受け止める。
ギチギチと刃を食い合わせ、刃を挟んで二人は睨み合った。
次の瞬間、同時に飛び退る。
一呼吸、二呼吸、動きが止まるがすぐに地を蹴って間合いを詰める。
「おりゃぁっ!」
「やぁっ!」
楓は稲妻を、嘉神は炎を纏って宙に舞う――
嘉神の、楓の刃が唸りを上げ、蒼き稲妻が疾り、赤き業火が天を衝く。
「……嘉神……!」
服のあちこちが焦げ、いくつか傷を負いながらも楓は立っている。
「…………」
楓と変わらぬほどに傷を負った嘉神も、静かに剣を構えている。
――あの時より、腕は上がっている……だが……
剣を最上段に構えた楓に、嘉神は眉を僅かに寄せた。
「それでは、勝てぬ」
「こいつを喰らっても言えるか、嘉神!」
だっ、と地を蹴って楓は斬りかかる。嘉神も当然、迎え撃つ。
が。
「活心奥義、伏龍!!!」
振り下ろされた刃と共に、巨大な稲妻の柱が、嘉神を貫かんと天より走る。
嘉神の表情は、僅かも変わらなかった。
くるりと身を翻すと同時に地を蹴る。稲妻は紙一重のところで虚しく地に突き刺さり、炎に包まれた嘉神は天へと舞っていた。
風をはらみ、翼のごとく大きくコートが広がる。
「!」
「紅蓮!」
獲物に襲いかかる猛禽のごとく舞い降りる嘉神の炎が、楓を呑み込んだ――
「楓さん!」
扇奈の悲鳴にも似た声と共に楓が倒れ、嘉神は地に降り立った。
仰向けに倒れた楓の髪の色は、元の黒に戻っていた。
「楓さん、しっかりしてください、楓さん!」
倒れた楓を抱き起こして何度も揺さぶる扇奈に、剣を納めて嘉神は歩み寄る。
「命に別状はないはずだ」
「そう……みたいです……
気絶してるだけ……すみません、取り乱しました」
「…………」
「止めます、なんて言っておいて……私……」
「私達でなくとも、そう簡単に真剣勝負を止められるものか
だが」
片膝をついてしゃがむと、嘉神は楓を抱き上げた。
「……確かに、話すよりは色々とわかった。
貴様の提案に乗ったのは、間違いではなかったぞ」
――青龍にとっては……どうだったのか……
ぐったりとした楓の顔をちらりと見やり、嘉神は思った。
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