月に黒猫 朱雀の華

四の二 扉

「それじゃ、おやすみ」
「待て」
 朝食後、席を立ったモリガンを嘉神は呼び止めた。
「あら、なあに?
 お誘いなら夜の方が嬉しいけど?」
「…………」
「……冗談よ。面白味がないわねえ」
 無言で冷ややかな目を向ける嘉神に、クスリと笑ってモリガンは肩をすくめた。
 優雅に椅子に座り直すと、モリガンは嘉神に体を向ける。露出の多い服で、ことさらに胸元を協調した姿勢のように見えるのは、嘉神の気のせいではあるまい。
「それで、なんのお話?」
「ジェダ=ドーマとは何者だ」
「あなたは何も知らない? 朱雀の守護神サマ?」
「……いや、記憶にはない」
 少し考えて嘉神は答える。強力な力を持った魔族のようだが、嘉神の記憶にはその名も姿もない。
「“冥王”なら、どうかしら?」
「魔界三大貴族の一人……だったか。
 確か、ずいぶん前に行方不明になったと何かの書物で読んだ記憶があるが」
「ご名答。でもちょっとその知識は古いわ。
 ほんの数年前、“冥王”ジェダ=ドーマは帰ってきた。
 そして……簡単に言えばこの世界を破滅させようとした。ま、失敗したんだけどね」
 そう言ってモリガンは悪戯な笑みを浮かべた。
――「失敗」にモリガンは無関係ではなさそうだな……しかし、世界の破滅だと……?
「失敗して消えたはずだったのだけど……復活しちゃったみたいね。しつこい奴だわ」
「確認したいが、ジェダの狙いは「破滅」なのか? 奴は「救世」と言っていたが」
「どちらも同じことよ。
 詳しいことは知らないけれど、ジェダは全ての魂を一つとすることで争いのない世を作ろうとした。
 でもたった一つの魂しかない世界なんて世界って言える? つまらない、退屈な世界だわ。そんなの、破滅と変わらない」
「退屈が死に繋がるサキュバスらしい意見だな」
「そう思うのは私だけじゃないでしょう?
 「一つ」にされると言うことは自らの時、自らの生を放棄させられること。そんなことを誰が望むというの?
 もっとも……全き平穏のためなら手段を選ばない人なら……ジェダに賛同できるかも知れないけれど?」
 モリガンの声に、軽く皮肉の響きが宿ったかのように、嘉神には思えた。
「…………」
「甦っても、ジェダの狙いは同じみたいね。進歩のないこと」
 無言の嘉神に構わず、モリガンは立ち上がる。
「ずっと昔、ジェダが失踪したとき、ある「扉」の力に関わったと聞くわ。その「扉」の力はどこかのタマネギ頭の吸血鬼も利用していた。今は、どこにあるのかわからなくなってしまったけど。
 嘉神……あの、「地獄門」にはどれだけの力があるのかしらね……?」
「…………」
「おやすみなさい」
 そう言い残し、モリガンは食堂を去った。
――……全ての魂を一つとすることで……救世する……
 モリガンの言葉を心中で繰り返し、嘉神は席を立つ。食堂を出て、玄関ホールへと向かう。
 ジェダの目的は確かに過去と変わっていないようだ。その意志が「救世」であることも。少なくともジェダは世界を破滅させようなどとはかけらも思っていまい。そしてジェダが目的を達すれば、確かにそれは一つの救世となる。
――救世……以前の私ならば……ジェダに賛同していただろう……
 醜き人間を一掃し、完全な秩序ある世界を作る。手段は違えど、ジェダと目指すところは同じだった。その為ならば、自らがジェダの言うがままに一つとなっても構わなかっただろう。
――だが今は……
 裏付けとなる意志、その理由は嘉神の中で確固としたものになり得ていない。
 だが今、ジェダとは相容れられず、ジェダと敵対することになることだけは間違いないと嘉神は感じていた。
 ジェダの救世など、起こさせてはならないと。
――たいした心変わりだ……
 自分自身を理解しがたく思いながら、嘉神は玄関のドアに手を掛ける。
「…………」
「レン?」
 嘉神のノブを握っていない方の手を、レンが握った。食堂からずっとついてきていたようだ。
「……ついてくるのか?」
 返事の代わりに、きゅっと握る力が強くなる。
「遊びに行くのではないのだぞ」
「…………」
 いつも通り無言で、しかし真っ直ぐにレンは嘉神を見上げる。手を離す気はなさそうだ。
――…………
 握られているとはいえ、小さな少女の手を振り払うのは簡単だ。
 今から出かけようとするところにレンを連れて行くのはどうかとも思う。
 確かにそのはずであるのに――

「……わかった」

 嘉神は、レンに手を握らせたままモリガンの屋敷を後にした。
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-