月に黒猫 朱雀の華
四の一 もう一つの
意識が収束したとき、嘉神は広い池のほとりに立っていた。
周囲は木々に囲まれた、静かな場所だ。
『朱雀の相応の地……君の魂にふさわしく、美しい』
「……ジェダ=ドーマか」
どこからとも無く聞こえてきた声に、嘉神は呟くように応える。
――この場所……ジェダの声……ここは私の『夢』か。
『私のことも思い出したか。魔道師の力も侮れないものだ……。彼らも価値ある魂を持つ者として覚えておこう』
「声だけではなく姿も見せたらどうだ?」
虚空を見上げ、ジェダの声に呼びかける。夢の中でそのことにどれほどの意味があるかわからないが、声だけの者と会話するのはあまり気分がよくない。
『お誘いはありがたいのだがね……。今の君の夢で形をなすのは難しいことなのだよ、朱雀の守護神。
こうして声を送るのだけでも精一杯と言ったところだ』
「そういう風には聞こえないけど?」
声と共に、池に漣が立つ。漣の上の空間に光と闇の球体が無数に現れたかと思うと弾け――そこにはモリガン・アーンスランドが立っていた。
サキュバス――夢魔だけあって、嘉神の夢にも自在に入り込めるようだ。
「はぁい、お邪魔するわよ?」
――……どいつもこいつも人の夢に……
『久しいな、モリガン・アーンスランド。リリスは元気かね?』
「おかげさまで、ジェダ=ドーマ。
私をほったらかしで、こっちの男にご執心とは、良い趣味ね?」
眉を寄せる嘉神をよそに、モリガンとジェダは互いに皮肉を声に乗せて言葉を交わす。
「もっとも……不器用なあなたには夢を渡ることなんてできないみたいだけど?
せいぜい魂を縛り付けて、無理矢理呼び出すぐらいが関の山かしら。前にやったのと大して変わらない手口でつまらないけど」
『何、君ほど不躾ではないだけだよ。それに手順を重ねる楽しみもある』
「そういうのを陰湿って言うのよ。あなたそれで前にも失敗したの忘れて?」
『失敗ではない。少々計画の変更を余儀なくされただけだ』
「つくづく潔くない男ね。そんなんじゃモテないわよ」
「……会話の最中悪いが」
不機嫌な声で嘉神は言う。
「私に用がないのならば、どこかよそで話をしてくれないか。
夢で他人に好き勝手やられるのは不愉快だ」
「あら、ごめんなさい。無様な負け犬の気配を感じたから、つい来ちゃったの」
『これは失礼をしたね。旧知故、相手をしないわけにはいかなくてね。
朱雀の守護神、君の夢を騒がせたことはお詫びしよう』
そうは言うものの、二人とも消えようとはしない。
「……ジェダよ、枷も外れた以上、何を狙って私に声を掛ける。
もう無駄なのはわかっていよう」
『一つ枷を外した君へのご機嫌伺いといったところだよ……君の魂の輝きを、確認しておきたくてね……』
――……一つ?
『さて……朱雀の守護神も、さらにはアーンスランド当主の顔も見られた。
今宵はひとまず去るとしよう……フフ……その時まで君たちの魂の輝きが失せぬことを祈っているよ……』
「待て、まだ聞きたいことがある」
『君の問いは次の時まで取っておきたまえ……また会う日は、来るのだからね……』
「ジェダ!」
「…行っちゃったわね。逃げ足の速いこと。
その為に、姿を現さなかったんでしょうけど」
つまらなさそうにモリガンは言った。
「私も帰るわ。これ以上ここにいても何もなさそうだし……あなたが遊んでくれるって言うなら……別だけど?」
モリガンは髪をかき上げ、妖艶な流し目を嘉神に向ける。
「……さっさと行け」
「つれない人……でも、あなたのそういうところはカワイイわ♪
じゃあね、またあとで会いましょ」
ウィンクを一つするとモリガンは消えた。
嘉神の夢の世界に静けさが戻る。
やれやれと息をつきながら、嘉神はジェダの言葉を思い返した。
「……一つ……」
――他にもまだ枷があるというのか……
そんなものは感じないが、前の枷にも気づけなかっただけに気にせざるを得ない。
――……だが今度は、好きにはさせん……
そう決意を固める嘉神の耳に、鈴の音が響いた。
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