月に黒猫 朱雀の華
三の四 なんでもない人の日常・その4
公園を出て、ひたすらに嘉神は歩いた。
扇奈は追ってこない。追う気がないのか、子供達をうまくかわせなかったのか。しかし嘉神にはどちらでもよいことだった。
人々を守って戦った扇奈の微笑み、扇奈に礼を言った子供達の笑顔。
その上に、地獄門の光景が広がる。人の醜さ、負の思念すべてを凝縮したあの光景が――
――……っ……
振りきるように、嘉神は足を速める。
天には、開いたままの地獄門がある。嘉神の碧眼には今もはっきりと見える。
地上では、人々が普通の暮らしを営んでいる。歩む嘉神の傍らを、そんな人々が時折行き交っている。
――人とは……なんだ……?
目指す場所もなく、何処を歩いているかを把握もせず、黙々と嘉神は歩き続ける。
嘉神の思考もまた、終着点も見えない迷いの中を彷徨っていた。
キィン!
鋭く響いた剣戟の音に、嘉神の足が止まった。
反射的に視線を巡らした嘉神の目が、大きく見開かれた。
――……今の音は……この気配は……馬鹿な!?
嘉神は天を見上げた。地獄門は変わらずそこにある。消えもせず、完全に開きもせず。
――だがこの気配は……地獄門と同じ……
剣戟が聞こえてきたのと同じ方角から、地獄門と同種の気配がしていた。
一瞬の躊躇もなく、嘉神は気配を追っていた。
人気の無い裏路地に、気配の主はいた。
黒い刃を手にした銀髪の長身の青年。満身創痍で片膝をつき、荒く息をついている。
青年をそこまでの姿にしたのは、その前に立つ男のようであった。巨大な数珠を肩に掛け、巨大な剣を手にした、修行僧のようななりをした男。男は冷ややかな目を青年に向け、地に剣を突き立てる。
「くらえ!」
男の声と共に、その背後に氷雪の精霊が姿を現し、その冷気の力を放つ。既に傷だらけの青年にはそれをかわす余力はなさそうだった。
「刹那!」
銀の髪の少女が冷気の前に飛び込んだ。その細い腕で冷気を受け止め、青年をかばう。
「これ以上、刹那には手を出させない!」
まだあどけなさを顔に残した少女は、きっと男を睨み据えた。
「………………」
「久那妓、下がれ!」
「嫌だ! 刹那は私が守る!」
青年の言葉に大きく少女は頭を振る。
「……ダークストーカーをかばうならば、容赦はせん……」
男は眉をつり上げたものの、それ以上表情を変えることなく地に突き立てた巨大な剣を引き抜いた。
「共に、滅せよ!」
――…………
ギィン!
「……貴様……」
「……何者だ?」
男の刃を自らの剣で受け止めた嘉神に、男も青年も声を上げる。
「…………っ」
巨大な剣をはじき返し、嘉神は無言で構えた。
――……私は……
自分でも何をしているのかわからない。体が勝手に動き、気がついたら二人をかばっていた。少女はともかく、地獄門と同じ気配のする青年を。
だがもう後には引けない。
「貴様の纏う気……ダークストーカーのものではないな……
だがダークストーカーをかばうならば同類。まとめて葬ってくれる!」
叫んだ男の手から、ぐるぐると回転しながら大剣が飛ぶ。単純な軌跡だ。嘉神は軽くかわすと一気に間合いを詰める。
「後ろだ!」
少女の声。風を切る音が戻ってくるのが聞こえる。
考える時間など無かった。とっさに身を伏せた嘉神の上を、戻ってきた大剣がかすめ飛ぶ。
「知らせる声があったとはいえ、よくかわした」
――……魔剣か。
立ち上がった嘉神は僅かに眉を寄せた。刃がかすめていたか、背にぴりりとした痛みがある。もっともこの程度ならば問題ない。
「一つ、問う。
引く気は、無いか」
「無い。
ダークストーカーは見逃せん」
迷い無く断言した男の目には強い意志の光がある。それは悲壮ささえ感じられるほどの強い光だった。
「……そうか」
頷くと嘉神は再び剣を構える――
男は雷光の、火炎の、氷雪の精霊を召喚し、魔剣を放つ。
嘉神の手から放たれる炎は、それらにもひるむことはない。南天の守護神朱雀の身を包む盾となり、刃となりて目前の敵を、屠る。
「……っ、おのれ……」
膝をついた男に、嘉神は剣を突きつけた。その嘉神も無傷ではなく、荒い呼吸に肩が上下している。
「貴様の負けだ……去れ。
命までは取らん」
「見逃すと、言うのか……?」
「貴様を殺す気など、最初から無い。私は……」
嘉神は肩越しに後ろを見やる。座り込んでいる青年と目が合う。少女はかいがいしく青年の傷の手当てをしていた。
「あくまでも、あのダークストーカーを守るだけというのか……」
ダークストーカー、そう言う男の声には憎しみが混じる。
だが一方で、この男もまた闇の血を引いていることが嘉神には感じられた。
――半人半魔のダークハンターか……。ダークストーカーを憎むは、同族嫌悪か?
「……ダークストーカー……闇の者を守るつもりは、無い」
「……意味がわからんな。ならばお前は何をしている?」
「さあな……」
嘉神は苦笑とも自嘲ともつかないものを口元に浮かべた。実際、自分でも自分が何をしているかわからない。
――だがそれでも……
不思議と悔いは、ない。
「敢えて言うならば……これが我が、美学……」
「美学だと? ますますわからんな……」
男は立ち上がると、落ちていた剣を拾った。その足下に、どこから現れたのか首のない人形を抱いた、暗い目の童女がそっと寄り添う。
「今日はここで引こう。お前とこれ以上戦っても仕方がない……
だが、お前達を見逃すわけではないぞ」
青年と少女を睨み据えて言うと、男は童女を肩に担ぎ上げた。
そのまま無言で歩み去っていく。
二人が角を曲がって見えなくなってから、嘉神は剣を納めた。
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