月に黒猫 朱雀の華
二の四 解呪
ヴァルドールが軽くその手を振るうだけで、図書室の棚が壁際へと移動し、広いスペースを空ける。空いた床にあっという間に複雑な魔法陣が描かれていく。
「勝手にこのようなことをして良いのか」
魔法陣の中央に立てと言われた嘉神はヴァルドールの力に舌を巻きながらもそう問うた。
「何、この図書室の管理は我に任されておる。モリガン嬢はここには興味なさそうじゃしの」
「もったいない……使わないなら私が譲り受けたいところです。
残念ながら我が家にはこれだけの空間を収める余裕がないのですが……」
「我もじゃ。まあ、興味がないぶん、モリガン嬢が他人の使用にも寛容なのが救いかのう。
さて、魔法陣の方はこんなものじゃろう」
ヴァルドールがそう言ったときには、嘉神を中心に半径5mはあろう魔法陣が完成されていた。
嘉神の知る術式とは全く違った系統のものではあるが、そこに込められた力と術式の精緻さは嘉神にもよくわかる。
――この二人……特にヴァルドールの力、相当なものか…
「朱雀殿に掛けられた術式は、タバサ殿の推測通りじゃと我も見る。
術を掛けた者は高位の……おそらくA+級以上の魔族」
「魔界貴族クラスか。そのクラスの者が何故私に?」
「さての……術が解けたらわかるやもしれん。
では始めるぞ。
朱雀殿、多少の苦痛は耐えられよ」
ヴァルドールが両手を掲げ、タバサが杖を己の額にあてがう。
そして同時に、二人は呪文の詠唱を始めた。
魔法陣が光を放つ。
――う……っ
三度、嘉神を頭痛が襲う。同時に、頭の中をいじられるような不快感に嘉神は膝をつく。あると言われていても耐え難い。立っていられない。
切れ切れの記憶が、嘉神の脳裏を嵐のように表れては消えていく――
『お主が新たな朱雀か。よい眼をしておるのう』
『慎之介、お前は真面目すぎる。もっと楽に考えんか』
『お前は考えなさすぎだ』
『違いない。だがその方が釣り合いが取れるわ』
『現世の守護と言っても、我らはただ地獄門を守るのみ。
現世のことは、現世の者に任せるのだ。
たとえどれほどそれが、歯がゆいことであってもな……』
『慎之介! 地獄門に、常世に心を呑まれたか!』
『否、真実を知ったのみ。利己的で残忍な人間どもなど現世には不要。
我ら四神本来の務め、現世の秩序を護る為、愚かな人間どもなどその歴史もろとも消し去り、滅ぼしてくれる』
『違う、慎之介。お前は誤っておる……』
『ご託は要らぬ。我が目的を阻むというならば、まずは貴様から消し去ってくれよう!』
『慎之介……』
『人はいくらでも強くなる事が出来る。
そう、愛する人を護るためなら……』
『……師の無念を、今こそ晴らす』
『僕は青龍として、すべての決着のために、あなたと戦う!』
『敗北の中で生き恥をさらすは……あまりに愚か。
我が野望の大穴とともに朽ちて果てるも
また、……美学か……』
嵐のように駆け抜ける光景が、消える。目に映るものも、耳に聞こえるものも、すべて。すべて。
すべて巨大な闇に呑まれ――はじけた。
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