月に黒猫 朱雀の華
二の三 図書室
「さっそくですが。
どうやって地獄門を開けたのですか?」
図書室に入り、手近な椅子にそれぞれが座るなり、タバサは質問を嘉神に浴びせた。
「…………何?」
予想外の質問に嘉神は戸惑う。
――こう……普通なら、「何故開けたのか」とかそういうことを聞くものではないのか……?
しかし魔道学者は熱のこもった視線で嘉神の答えを待っている。
「………………」
「答えにくいですか。
そう貴方に思わせるのは、罪悪感ですか?」
「……貴様に答える理由がないだけだ」
「でもここに貴方は来ている。つまり、私と何らかの話をするつもりがあるのでしょう?
たとえば、地獄門のことを」
「…………」
「そちらの話からでも結構ですよ?
朱雀の守護神と会話すること自体、私にとって興味深い状況ですから」
そういってタバサは笑みを見せた。本心から今の状況を楽しんでいる様子だ。
――学者とはこういうものか?
タバサの考え方に幾分理解しがたいものを感じつつも、嘉神は自らの問いを口にした。
「地獄門のことを調べていると言ったな。何のためだ」
「地獄門を閉ざすためです」
「……なんだと? どういう意味だ?」
「言った通りですよ。貴方が開いた地獄門を閉じる。さもなければこの世は破滅しますからね。
破滅の経過を観察するのもなかなかに興味深いことではありますが、世界が破滅してしまってはその観察も役には立ちません。ですので、閉ざす方法を調べております。貴方が開いた方法を聞いたのもその為。開く方法から閉じる方法が見えるかも知れませんから」
蕩々とタバサは語るが、嘉神はその半分も聞いていなかった。
――地獄門が開いている? 馬鹿な、門は閉じたはずだ。
それは、開いた嘉神が門に身を投じたことによって。
――仮に開いていたとして……そのような気配、何も感じない。
朱雀の守護神であり、かつて門を開いた嘉神が地獄門が開いているのを感じ取れないはずがないのだ。
だが今も、そのような気配は感じない。
「信じられませんか?」
嘉神の表情を見て取ったか、タバサはすっと目を細くした。
「……いえ、貴方のようなタイプは人の言葉よりもご自分で見聞きしたものを信じますね。ということは、貴方は地獄門が開いていることを感じていない……
しかし、地獄門は確かに開いたままです」
「………………」
嘉神は、無言だ。何を言えばいいかわからないでいる。
タバサの言葉に嘘はないだろう。こういう嘘つくような類の者ではない。
だが、嘉神が地獄門の気配をまるで感じていないのも事実。これらを両立させる答えが嘉神には見つからない。
「貴方の感じるものと、私の言葉と。その差異についてですが、先程から気になっていたことがあります。
失礼」
タバサは立ち上がり、右の手を嘉神の額にかざした。その口が、小さく何かの呪文を紡ぎ出す。
「何をする気……っ……」
かざされたタバサの掌から熱を感じた気がしたかと思うと、今朝方と同種の頭痛が嘉神を襲った。
「ぐっ……く、ぅ……」
頭を押さえて椅子からくずおれる嘉神の耳に、ちりり、と鈴の音が響く。
なんとか視線を上げると、レンが嘉神とタバサの間に割って入っていた。嘉神からは表情は見えないが、凛とした様子でタバサを見上げている。
「……主をかばいますか。忠実な使い魔ですね」
微笑んでタバサが手を下ろす。同時に嘘のように嘉神の頭痛は消えた。
「大丈夫、もう終わりました」
「……そのようだな」
軽く頭を振って嘉神は立ち上がる。
「…………」
「大丈夫だ」
小首を傾げて自分を見上げるレンに嘉神は頷いてみせるとタバサに目を向けた。
「それで、何かわかったのか」
「ええ」
椅子に座ったタバサは、嘉神にも座るように促した。
「貴方には、強力な術が掛けられています。少しほころびができているのでそこから私でもある程度読み取ることができましたが、そうでなければ滅多な者には存在すらわからないでしょう。
それが貴方から地獄門の存在を隠し……おそらくは、記憶にも何らかの操作をしているのではないかと」
「そうか……」
気づいていたとは言え、実際に他者から詳細を聞かされると術の存在に嘉神はなんとも言えない不快感と苛立ちを感じる。
「気づいていたのですか?」
「掛けられている、ということにはな。それも今朝ようやくだ」
「なるほど。ほころびは貴方が気づいたからできた、いや……ほころびができたから貴方が気づいた? どちらの可能性も同等にある……」
考え込みかけるタバサに、嘉神は念のため問うてみる。
「この術、貴様に解けるか?」
「難しいですね。おおよその術式と構成は推定できますが、私の力では。
貴方自身では?」
「今日まで存在にさえ気づかなかった。貴様に調べられたときにも自分では何もできなかった。
以上のことから、無理だと考える」
「困りましたね……」
口ではそう言うが、タバサは困ってはいなさそうだ。むしろその目はより楽しげに輝いている。
「では我が力を貸そう」
いきなり掛けられた声に、嘉神もレンも、タバサもはっと顔を向ける。
そこには、二頭の小竜を従えた、青い肌に赤い衣をまとった老人が立っていた。
「誰だ?」
「誰、とはそっけないのう。
同じ場所を愛する同志、それに一度は本をしまってやったではないか」
ほっほと老人は笑ってみせる。
「あの時の……」
思い出してみれば初めてレンと図書室に訪れたときのあの声とこの老人の声は同じであった。
――しかし……あの日から今日に至るまで、まるで気配を感じなかった……この老人、何者だ?
嘉神の疑問の答えは、タバサが知っていた。
立ち上がって驚きと喜びの声を上げる。
「貴方は魔道師ヴァルドールですね?
ここにいらっしゃったとは」
「ほっほ、アーンスランドの図書室には先代ベリオールが保護した亡き霊王ガルナンの蔵書があると聞いての。ここ数十年こもっておったのじゃ。
しかしここに目をつけるとは、さすがタバサ殿。仮学界の麒麟児と呼ばれるだけのことはある」
「ありがとうございます。ここでヴァルドール師にお会いできるとは。あぁ、今日はなんとよい日なのでしょう。
ヴァルドール師が力をお貸しくださるなら、嘉神殿の術も解けることでしょう」
「やって見ねばわからぬがの。じゃが、朱雀の守護神に掛けられた術、またその理由には我も興味をそそられるわ」
「ええ、まったく」
――…………
同時に自分に向けられた視線に、嘉神は冷や汗が流れるのを感じた。そうではないと信じたいが、二人が自分を実験動物のように見ているのではないかという疑念は、消えることはなかった。
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