月に黒猫 朱雀の華
二の二 魔道学者
「嘉神、あなた最近おかしな夢を見ていない?」
朝食の席でいきなり問われ、紅茶のカップを口元に運んでいた嘉神の手が止まった。
「…………」
「わかりやすいわね。でも、そうだったの……嘉神ね……」
口元に右手を添えてモリガンは考え込む。
「何か知っているのか?」
「ちょっとね。
てっきり私の方かと思っていたのだけれど……力の向きが違うから、変だと思っていたのよね」
「詳しく説明……」
「後でね。
出かけるわ。あとよろしく」
嘉神の言葉はきっぱり無視してモリガンは立ち上がった。
「お嬢様、昼間からお出かけになるなど……」
「そうそう、お客が今日来るの。私がいなくても大丈夫だからお願いね」
「承知致しました……いえ、お嬢様、お待ちを! せめてきちんとご準備を……!」
執事悪魔達が部屋を出るモリガンを慌てて追っていく。
「………………」
「………………」
部屋に残されたのは、嘉神とレンの二人だけ。嘉神がちらりとレンを見やれば、レンは黙々と朝食のトーストにジャムを塗っていた。
――仕方あるまい……
モリガンが戻ってくれば、話を聞く機会はある。本人も一応「後で」と言っていた。
嘉神はひとまず目の前の朝食を片付けることにした。
朝食を終えた嘉神は、結界の調整に取りかかった。自分に掛けられた術のことを調べたかったが世話になっている義理がある以上、頼まれごとはやっておきたい。そう考えてしまうのが嘉神の性分である。それでも今日は早く区切りをつけておきたいと手早く作業を進めていた。
――……あれは?
ふと視界に入った人影に嘉神は手を止めた。
執事悪魔に案内されている、見慣れぬ人物。モリガンの言っていた客人だろう。
紫の大きなとんがり帽子とマント、そして大きく膨らんだズボンが特徴的な女性である。
嘉神が見ていることに気づいたのか、女性も嘉神の方に顔を向けた。つかつかと歩み寄ってくる。
「ほう……屋敷の結界の調整ですか。見事な手並みですね」
興味深そうに嘉神を、そして周囲を見回して女性は言う。
と、その目がレンに向いた。
「こちらは使い魔ですね……それも百年級のものとは珍しい。貴方のものですか?」
――使い魔? レンが?
思わず嘉神もレンに目を向けるが、レンはいつもと表情が変わらない。嘉神のコートの裾を掴んで、女のことは無視している。
「…………」
「おや、貴方は……」
今度は女は再び嘉神を凝視した。
「…………」
あまりにも無遠慮な女に、嘉神の表情が険を帯びる。
「失礼しました。
私は魔道学者のタバサと申します。あなた方は?」
嘉神の表情に気づいたか帽子を取って名乗ると、タバサは好奇心を露わにした眼を改めて嘉神に向ける。
「…………」
「…………」
問われても嘉神もレンも答える気になれない。
代わって執事悪魔が二人を女に紹介した。
「タバサ様、こちらは当家に逗留されている嘉神慎之介様とレン様でございます」
「……嘉神殿? もしや貴方は朱雀の守護神ではありませんか?」
「…………」
「感じられるこの気、間違いありませんね。地獄門の調査に来てその当事者に会えるとは何という天の配剤。
色々とお話をお聞かせ願いたいのですが、構いませんか?」
嘉神が答えないのに一人で納得すると、タバサは早口に言葉を続ける。
「……地獄門の調査だと?」
「あぁ、こんなところで立ち話はできませんね。
図書室がよいでしょう。執事殿、案内願えますか」
「は、はい、勿論でございますが……」
困った様子で執事悪魔は嘉神を見上げた。
「構わん、話をしよう」
色々と不躾で不愉快な女だが、その口にしたことを聞き逃すわけにはいかない。
――それにしても……
レンと共に執事達に続いて図書室へ向かいながら嘉神は思う。
あのような夢を見たのと同じ日に、地獄門の調査をしている魔道学者とやらが来た。
――偶然、か?
事象の重なりは偶然と言えるだろう。だが、一つ一つが意味するものは無縁とは言えまい。
――地獄門……か。
廊下に面した窓に目を向ける。
今日も良い天気だ。陽光はまぶしく、空は青く澄み切っている
だがそこに、嘉神は陰が差し始めているような予感とも不安ともつかない感覚を覚えていた。
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