月下の運命 華の誓い
Interlude - Determination of A Witch
円蔵山は、静かだ。吹き抜けていく風に木々の枝が揺れ葉がざわめく音や、遠くから聞こえる鳥の鳴き声が時折するぐらいだ。
その静けさの中、伝説上では裏切りの魔女と称され、かつてあった冬木の聖杯戦争ではキャスターのクラスにあった女性――メディアは少し青ざめた、硬い面持ちで山道を柳洞寺へ向けて辿っていた。
ついさっき、メディアは円蔵山の地下に安置されている大聖杯――メディアやランサーが召喚された聖杯戦争で争われたもの――の様子を見るためにその元を訪れていた。ランサーの話を聞き、地脈や魔力の流れを調べた結果、大聖杯の関与の可能性は十分に高いと見たからである。
しかし、大聖杯の元へと赴いたメディアはそこにいた『彼の者』を見てしまった。
――なんてこと。あれが関わっているなんて、そんな……
幸い、『彼の者』はメディアに気づかなかった――か、知っていて今は興味を示さなかったか――ため、恐怖に震えながらもメディアは逃れることに成功した。
――もうこれ以上、この聖杯戦争に関わらない。関わってなるものですか。
早足に歩きながら、メディアは固く固く心に誓う。その脳裏からは『彼の者』の姿が、その心からは『彼の者』に覚える恐怖が消えない。
元より、メディアと今起きているという聖杯戦争に直接の関わりはない。万が一を考えて調べておこうと思っただけにすぎないのだから手を引いても何の問題もない。ランサーにも文句など言わせない。
――『あれ』に関わっては、あの方の身にまで危険が及ぶかもしれない……
『彼の者』はその力もその心も恐ろしい。されど今のメディアがそれ以上に恐れるのは、自分の身の安全などではない。かけがえのないただ一人に危害が及ぶことこそメディアが何よりも恐れること――
「キャスター」
風の音と鳥の声、そしてメディアの足音以外の音がなかった世界に低い声が響いた。
それは今の今メディアが思っていた大切な人、葛木宗一郎の声。メディアの肩がびくりと震え、足が止まった。
「そ、宗一郎様……」
顔をあげれば宗一郎はメディアの目の前にいる。メディアは気配を感じることは不得手であり、宗一郎は常に気配を抑え気味であるとはいえ、声をかけられるまで気づかなかったことに自分がどれだけ思い悩んでいたか――『彼の者』の脅威に怯え、宗一郎を案じていたか――をメディアに気づかせる。
「あ、あの、気づかずに申し訳ありません……」
「いや」
小さく宗一郎は首を振った。眼鏡の奥の感情を感じさせない眼が、真っ直ぐにメディアを見つめる。
「何かあったか」
「いいえ」
躊躇なくメディアは首を振った。
新たに起きたという聖杯戦争に宗一郎を巻き込むつもりはない。自分だけではない、誰にもそんなことはさせない。その為ならいくらでもメディアは嘘をつくし、その手を汚すことも厭わない。
かけがえのない幸せ、宗一郎を守るためならメディアは己の命すらかけられる。
宗一郎は勘が鋭い。普段は来ないはずのこんなところにまで来ているのだから何かを感じ取っているのは確かだろう。それでもそれ以上は気づかれないように、踏み込まれないようにすることはできるはずだ。
「散歩をしていたら少し体が冷えてしまっただけです。ご心配をおかけしました」
顔にはやわらかな笑みを。声には穏やかな響きを。普段と全く同じようにメディアは言って小さく頭を下げた。
「…………」
宗一郎は無言でメディアを見つめたままだ。問いただす風でも、責める風でもない。ただ宗一郎はメディアを見ている。
表情を揺らすことなくメディアも宗一郎の目を見つめ返す。『彼の者』のことと理由はともあれ宗一郎にこうも見つめられていることに動揺はしているのだがそのようなことは毛ほども表さない。この人に気づかせてはならない。
円蔵山は静かだ。聞こえるのはやはり、風に揺れる梢のざわめきと、遠い鳥の唄。
ややあって、宗一郎の口が開いた。
「キャスター」
「はいっ」
冷静さを保っていたつもりだったのに、ほんの僅か、メディアの語気は強くなっていた。
それだけ自分が葛木宗一郎を、宗一郎と過ごす日々を愛おしく、大切に思っていることを改めてメディアは自覚しつつも、宗一郎に何か気づかれなかっただろうかと内心では冷や汗をかいていた。
「私は、お前が望むことならば私のできる範囲で応えよう」
メディアの声の響きを意に介した風無く、いつもと変わらない淡々とした口調と表情で言って宗一郎はくるりと背を向けた。すたすたとそのまま歩き出す。
――宗一郎様……心配してくださった……
離れて行く宗一郎の背を見つめ、メディアは思う。
宗一郎は「何かあった」ことは察してはいても、詳細を知るはずもない。メディアに話す気がないことも今理解しただろう。
それら全てをわかった上で、宗一郎はあの様に言ったのだ。
――ありがとうございます、宗一郎様……
頼もしく愛おしい男への感謝の言葉を心の中で捧げながらも、「けれど」とメディアは胸の内で呟いた。宗一郎の言葉は嬉しい。そこには宗一郎の不器用な思いがつまっていた。
だからこそ、一層メディアの決意は固くなる。
けれど、と。
――貴方を危険にさらすことはできません。お気遣いを受けられないこと、お許しください……
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