月下の運命 華の誓い

五の一 もう一人の青龍

 夜はもうすっかり更けている。そろそろ日付も変わる頃だろう。
 慨世宅の居間にはランサーと雪の姿があった。つい先ほどまでは守矢と舞、慨世並びに楓を除いた三人の四神もおり、ランサー、守矢双方の今日の戦いについての報告をしていたのだが、今は二人を残して部屋を出ている。
 セイバーとそのマスター――守矢と舞は翁に体の具合を見てもらうためであり、慨世と示源、嘉神は他の理由があるらしい。
 ランサーは湯呑みの、とっくにぬるくなった茶をすすり、
「今回のサーヴァントは一応これで全員確認できたか」
先刻までの話を元に雪が書いたこの聖杯戦争におけるサーヴァントのリストを眺めながら呟いた。
 「一応」とつけたのはランサーの過去の経験からくるものだ。聖杯戦争は何が起きるかわからない。いるはずのない八騎目が出て来る可能性とてあるのだ。そもそも、今回の聖杯戦争のサーヴァントが七騎で全部と確定したわけでもない。
――まあ、八騎以上の可能性はひとまず気に止めときゃいい。今はわかっている連中のことだ。
「で、だ」
 ランサーはリストから視線を雪に向けた。守矢や慨世たちと話をしている時からそうだったが、雪の表情は硬い。それも無理のないことだとランサーは思う。
 言葉にしたりあからさまな態度にはしないが今日の戦闘で一時はかなりのダメージを受けたらしい守矢のことを雪が心配していることにランサーは気づいている。義理であっても妹が兄を案じ、心配するのは当然のことだが、ランサーの見るところ雪は守矢に義妹として以上の感情を持っている。そうでありながら彼女は守矢達についていかずにここに残った。つまり雪は守矢の義妹であることより、ランサーのサーヴァントであることを今は選んだということだ。
――情の深い女だと思ってたが、それだけじゃないか。思った以上に覚悟が決まってるな。
 心中で感嘆しつつ、ランサーは本題に入る。
「どいつもこいつも厄介だろうが、現状要注意なのはキャスター、アサシン、エリミネーターってとこだな」
「どうして……この、三騎なの?」
 静かに問い返した雪の声が僅かに揺れる。それに気づかないふりをしてランサーは答えを返した。
「キャスターはまだ手の内がほとんどわからねえし、ありゃ間違いなくたちが悪い。
 アサシンは守矢達の話からするとマスターとそろって毒を使うのが面倒だ。
 エリミネーターは」
「楓、だから……?」
「まあ、あんたが動揺するのはちょいとばかし面倒ではあるな」
 掠れた声の雪の言葉を、ランサーは否定はしなかった。
 サーヴァントの名を綴った字は雪の人柄を表す丁寧できれいな筆致であったが、『エリミネーター』とその真名を記した部分だけは僅かに乱れが見える。守矢や慨世に説明する時も、平静さを装うとしつつも動揺と不安の色を隠し切れていなかった。ランサーにはよくわからないが、雪にはエリミネーターが楓だと確信する何かがあるらしい。確たる証拠はなくても、血の繋がりはなくても姉弟という絆が故のことなのだろうか。
 そして血の繋がりがなくても姉弟だからこそ、雪が動揺するのは自然なことだ。
 だが命のやりとりの場では僅かな精神の乱れも致命的だ。相手が義弟で、しかも異形に変貌し、精神状態もまともではなさそうだ――バーサーカーあたりの狂気と同等に考えていいかどうかはわからないが――とくれば動揺するのもわかるが、このままでは今後の戦いにおける不安要素になるだろう。
 しかしランサーがエリミネーターとの戦いに抱く懸念はそれではない。
 今日の戦いのことを改めて思い返しながら、ランサーは言葉を続けた。
「昨日最後にアーチャーが展開したのは奴の宝具だろう。それがエリミネーターには一切通用していない。仕掛けた攻撃は奴に触れる前に消え、奴の吠え声一つで宝具が消滅している。
 能力の詳細はわからねえが、少なくとも攻撃系の宝具は奴には通じないし、かき消すことすらできる、と見ていいだろう。
 オレの槍は直接防いだから何でもかんでも打ち消すって訳じゃないだろうが、厄介なことには変わりねえ」
 エリミネーターが唯一能動的に身を守ったのはただ一度、異形の翼でランサーの槍を防いだ時だけだ。あれはエリミネーターが全ての攻撃は打ち消せないことと、どの攻撃が自分にとって危険かを判断できることを示している。明確な理性の有無は不明だが、戦況の判断をすることができるのは確かであり、それだけエリミネーターが厄介な相手であるということであった。
「……そう、ね」
 やはり掠れた声で雪は短く声を発した。青ざめた顔は強張り、肩は僅かに震えているがその湖水のような青い目はランサーを真っ直ぐに見つめている。
――気丈な女だ。
 あの戦いの最中も、動揺を露わにしながらも雪は戦いそのものは拒否せず、異形と化した弟とおぼしき存在から逃げることもなかった。その気丈さ、先にも感嘆した覚悟を持っている雪がランサーには好ましい。
 そう考えていることもあって雪の精神状態はエリミネーターとの戦いにおける不安要素となるだろうと判断していても彼女に背を預けることへの不安はランサーは感じていなかった。
 雪に言ったとおり「ちょっとした面倒」程度の認識だ。
 故に雪の不安には今は踏み込まず、リストに視線をランサーは再度向けた。
「残りのライダーとアーチャーだが、アーチャーは能力や宝具も強力だがあいつが弄する策の方をより警戒すべきだな」
 サーヴァント同士の感知能力を念頭に置いてだろう、自分ではなくマスターに不意打ちさせたこと、自分の戦場に敵を誘い込むこと、あちこちに仕掛けたトラップ――アーチャーがかなりの策士であることをそれらは示している。
「そこらも含めてアーチャーのことはライダーが詳しそうだが……」
 戦いの時のやりとりから察するに友好的な関係とは到底言えなさそうだが、ライダーとアーチャーは顔見知りなのだろう。
「あいつらから聞き出せりゃ、後々楽になるんだがなぁ」
「……確かにあの人達なら話はできなくはないと、思うけど……」
 まだ少し青い顔ながらも雪もリストに目を向け、柳眉を寄せた。
 ライダー、とランサー達が見なしたサーヴァントとそのマスターが問答無用で会話を拒んだり攻撃を仕掛ける者達ではないことは雪もわかってはいるだろう。だが彼らは聖杯を欲しており、その障害となる者には容赦はしないと言った。聖杯を得ることには興味はなく、戦い自体も基本的には避けたい雪としてはそう言いきった相手に不安を覚えるのも無理はない。
 そこをその気にさせるのは――マスターの役目だ。
「なら次に会った時はまずは話をしてみても良いんじゃねえか。向こうだって情報は欲しいだろうしな。
 話をすりゃあっちの気が変わらないとも限らねえだろ?」
「……そう、ね」
 リストから目を上げ、雪はランサーを見る。
「あの時とは状況も変わっていることだし……」
 ランサーの言葉全てに納得したわけではないようだったが、それでも雪は小さく頷いた。
「あの人達だけじゃなく、話せそうな人とは話さなくては。情報は大切だし、それで戦いを避けられるかもしれない……」
「話したい奴がいるのか?」
 問いはしたが、ランサーには雪が話したい相手の見当は付いている。雪の心情と、話せそうな相手を考えれば答えは自ずから明らかだ。
「……ええ。楓の……エリミネーターのマスターの、あの女の子に、楓のことを聞きたいの」
 ランサーから目を逸らさず、感情を抑えた声で雪は答える。
「悪くねえな。あの嬢ちゃんなら問題なく話はできるだろう」
 必死に雪達に逃げるように言ったハチミツ色の髪の少女――エリミネーターのマスター。
 あの少女は令呪を使えというランサーの言葉に従ったぐらいだから、こちらが敵意を見せない限りは話はできるはずだ。あの少女はエリミネーターが戦うことを止めたいようだったから、うまくいけば手を組めるかもしれない。
 問題はマスターであるあの少女がエリミネーターを制御できていないらしいことだが、少女の令呪はあと二画あるのだから話をする間ぐらいはなんとかならないことはないだろう。
――楽なのは自害させちまうことだが、さすがにそいつは無理だろうな。
 あの時の様子から見て少女は、それに雪もエリミネーターを自害させることは拒むであろうことぐらいはランサーも予想できる。それにランサー自身、そんな方法で決着がつくのは好ましくない。
――まあ、どうするかはライダーにしろあの嬢ちゃんにしろ接触できてからのこと……ん?
 近づいてくる複数の足音に、ランサーは障子の方に目を向ける。遅れて雪が視線を向けたのと障子が開いたのは同時だった。

「雪、ランサー、今構わぬか」
 開いた姿を現したのは雪の養父、慨世。慨世に続いて守矢――セイバーとそのマスターである舞も居間に入ってくる。
「あぁ、いいぜ。
 そっちは何かわかったのか?」
「うむ……」
 頷きはしたものの浮かない顔で慨世は腰を下ろした。障子を閉めた守矢と舞が座るのを確認し、腕を組む。
「……守矢、舞殿、翁はなんと」
「私も舞も毒は残っておらず、体に問題はないと」
 ほっと小さく雪が息をついたのをランサーは聞いた。やはり義兄のことは案じていたようだ。
「そうか」
 唸るように言って、慨世は一つ重い息を吐いた。それから一同を見渡すと、
「雪とランサーが会ったエリミネーターだが、おそらく楓で間違いないであろう」
沈痛な顔に怒りの色を僅かに垣間見せながら低く、だがはっきりとそう告げた。
「……っ」
「…………」
 身を強張らせ、また顔を青ざめさせる雪とは対照的に、内心はどうかわからないが守矢は表情も気配も僅かも揺らがない。
「で、でも師匠、楓はここにいるのにどうしてもう一人……」
「楓の資質が理由、と見ている」
「楓の、資質?」
「うむ……」
 もう一度一同を見渡し、慨世は静かに言った。
「エリミネーターは、楓から分かれた青龍の力が姿形を取ったものと思われる」と。

 未だ目覚めぬ眠りにある楓から青龍の力が大きく失われていることには慨世達も早い段階から気づいていた。だが慨世も他の四神も皆、力が失われたことに対して楓が目を覚まさないことと関係があるといったことしか考えていなかった。

 つまり、楓から消えた青龍の力がどうなったか、ということは考えていなかったのだ。

 そこに慨世の考慮が遅まきながらも及んだのは雪達からエリミネーターの話を聞いた時だ。
 強力な力を持っており、ハチミツ色の髪の少女は楓と呼び、雪もまた義弟と感じ取った存在、エリミネーター。あの者が本当に楓であるならば――組み上がった推測を裏付ける状況は揃っていた。
「かつての楓が青龍の力を解放する時、姿も性格も一変していたことは覚えていよう」
 藍色の髪と瞳を持った穏やかで優しい楓は、青龍の力を解放すると髪は金に、瞳は緋色に、性格は荒々しく変貌する。この原因は楓の青龍の守護神としての資質にあった。
 楓はじめ、四神の守護神はそれぞれ己が名乗る青龍、朱雀、玄武、白虎ら霊獣より力を授かっている。どれほどの力を受け入れられるかは守護神に選ばれた者それぞれの資質によるのであるが、楓の力を受け入れる器は当代の四神達の中でも飛び抜けて大きい。先代青龍である養父慨世をも上回っているほどだ。
 ただそれは力を操ることに長けていることと意味を同じくしない。
 たくさんの水を溜められる桶を想像してみるといい。どれほど多くの水を桶に溜められても、その水を有効的に使うのは桶ではないのだ。
 青龍の守護神の役目を慨世から継ぎ、青龍の力を極めて多くその身に宿した頃の楓はまだ未熟で授かった力を使いこなせなかった。肉体は力に耐えられたがその強大な力を行使するには楓は優しすぎたのかもしれない。
 故に楓は、青龍の力を行使するために普段とは異なる姿、異なる性格の自分を――当時の楓自身は意識することなく――作り上げたのだろう。もっとも今の楓はその姿を取らなくてもほぼ自在に青龍の力を操れるまでに成長しているが。
「楓に宿る青龍の力にはかつて楓が力を行使する為に作り上げた姿形、心の在り方が刻まれている。楓の肉体から離れた青龍の力が刻まれたそれらを元に形を取ったとしても不思議はない。
 そうして姿形を得た青龍の力は、もう一人の青龍の守護神、もう一人の楓とも言える存在となるだろう」
「形を取った青龍の力が、サーヴァントに選ばれたと?」
「うむ。そう考えるしかないようだ。雪らの話からすると在り様を歪められたようだがな……」
 守矢の言葉に頷く慨世の顔に浮かぶ怒りの色が濃さを増していた。守矢と雪に加え、楓までもが聖杯戦争等という戦いに巻き込まれていたことが明確にわかったのだからそれも当然のことだろう。
「サーヴァントがクラスに合わせて力を与えられたり、逆に本来の力を使えなくされたりすることは珍しくねえ」
「でもそれだけではあの姿は説明できないでしょう」
 青龍の力を行使する楓の姿から大きく変貌したエリミネーターの姿――漆黒の髪や赤い紋様の浮かんだ白い肌――を思い返しているのだろう、雪の声や表情にはほんの少し、非難の響きがある。非難と言ってもランサーに向けたものではない。非難を向けたのは義弟を襲ったある意味雪や守矢よりも理不尽な運命とでもいうべきことそのものだ。そうとわかっているからランサーはやはり淡々と自分の知る事実を返した。
「いや、「バーサーカー」のようにサーヴァントの正気を奪い、姿も変えてしまうクラスもある。エリミネーターのクラスも似たようなものなんだろうさ」
「聖杯戦争とは身勝手に戦いに人を巻き込むだけではなく、それほどにむごい仕打ちまでするのか」
 慨世の巨躯が昂ぶった感情――怒りにぶるりと震えた。怒りの元は、雪が露わにした非難の感情の理由とおそらくは同じ。
――どんなものであれ戦は身勝手に始まるし、むごいものさ。
 ランサーはそう思う。そう思うが、口にはしなかった。慨世も守矢も、そして雪も戦というものがどういうものかぐらいわかっているはずだ。ランサーの見る限り、彼らは戦、もしくはそれに類する戦いも知らないのんきな世界や時代の出身ではない。それでも彼らが怒りを感じ、非難の色を露わにしたのは人であり、親であり、姉だからだ。戦の理不尽さ、無情さを理解しても感情がそこに従うとは限らない。
 敵ならばそれが肉親であろうが友であろうが戦い、殺す。それが戦、戦いというものだ。されどいざ敵として肉親に、友に直面した時、その運命を悲しまずに、呪わずにいられようか――
――…………
 ふとランサーは視線を動かした。
 己をひたと見据える者に気づいて。
「…………」
 ランサーの捕らえた視線の元は、紅い眼。
 紅い眼の主はセイバーのサーヴァント、御名方守矢。
 無言で守矢はランサーを見据えていた。その顔にも眼差しにも慨世や雪のような感情は見えない。隣に座っているマスターの川澄舞さえも表情を曇らせているというのに、守矢は一見したところはいつもと変わらない。
 違うのは、今、ランサーを見据えていること。
――ふん……
 真っ向から、ランサーは守矢の目を見つめ返した。雪達は二人の様子に気づいてはいない。
 ランサーが見つめ返しても守矢の表情は変わらない。紅の目は静かで感情を読ませない。
 にもかかわらず、ランサーは二つの意思を感じ取った。
 一つは、反感。
 一つは、覚悟。
 わざわざ見ているのだ、反感は間違いなく自分に対してのものだとランサーは思う。守矢が自分に反感を抱く理由に思い当たる節は幾つかある。が、その内のどれとも今は違う気がする。
 覚悟の方も守矢が持つ理由は推測できるが、何故それをランサーに向けるのかはさっぱりだ。今し方の慨世とのやりとりか、その前の今日のことを話していた時の何かのせいではないかと思うがその「何か」はわからない。覚悟を見せることで何かを問うているとも考えられなくはないがそれにしては迂遠だ。問うならもっとはっきり見せるか、口にすればいい。
――何故オレに見せる? 何が言いたいんだ、テメェ。
 抑えてはいたがランサーの顔、眼差しに不快の色が浮かんだ。
 守矢の表情は変わらない。視線を逸らすことも口を開くこともなく、守矢はランサーを見据えている。
「……ランサー?」
「守矢?」
 ようやくランサーと守矢の様子に気づいたか怪訝な表情と共に雪と舞が呟いたのと全く同時に、
「……皆、今宵はもう休むがいい。
 思うことはそれぞれにあろうが今はまだ戦いの最中、休める時には休むべきだ」
慨世が言った。慨世も二人の様子には気づいているようだったが、問いただす気はないようだ。
「あぁ、もう夜も遅いしな。明日も街を回るから、さっさと休もうぜ」
 すっと守矢から視線を外してランサーは立ち上がり、何事もなかったかのような口調と動きに問いただすきっかけを奪われた雪の困惑を承知しつつ、障子を開けた。
「雪、お前も早く休め」
「え、ええ……」
 肩越しに振り返り、雪に短く声をかけるとランサーは部屋を出る。
 一見の無表情の下に反感と覚悟、問いを秘めた紅い眼は、ランサーを追うことはなかった。
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-