月下の運命 華の誓い

五の二 守りの誓い・槍

 柳洞寺の山門までの長い長い階段を九割登ったところで不意に無言でランサーが雪を制した。止まれ、と。
 足を止めると同時に、雪はランサーの制止の意味を知る。
 二人の視線の先、十数段先にあるは穏やかな木漏れ日を受けた寺の山門。
 そして、その前に佇む眉目秀麗な一人の剣士。
 以前この柳洞寺を訪れた時にもこの剣士は山門の前にいたのを雪は覚えていた。その時ランサーから聞いた話によると彼は門番らしい。
 だが以前は門にその背を預け、通り過ぎる雪とランサーに興味深げな目を向けるだけであった剣士は今、門の中央に立って十数段下のランサーと雪を見下ろしている。剣士には殺気はなく表情も穏やかだが、その手では抜き身の刀――五尺を超えると見える長刀が木漏れ日を鈍く弾いていた。
「悪いが主の命でな。お主達がここを通ること、まかりならぬ」
 口を開いた剣士の声は実に涼やかに響いた。
「主の命って、どういうこと?」
 刀を手にしていても殺気を見せない剣士に、どう対するかを決めかねつつも雪は問う。
「ああ、そなたは知らなんだか。そういえば言葉を交わすのはこれが初めてよな。
 私は佐々木小次郎。かつてアサシンのクラスの下に召喚された者。主というのはあの女ぎつ――そなたらが訪ねようとしているキャスターのことよ」
 名乗るアサシンの顔に浮かぶのは、雅やかな笑み。手に長刀がなければ四方山話をしているようにしか見えないだろう。
「それにしても残念なことだ。そなたのような可憐な花とは別の形で話をしたかったが」
 柳眉を寄せてアサシンが首を振れば、一つ鼻を鳴らしてランサーが肩をすくめた。
「話すなら簡単にしろよ」
「ここしばらく平穏すぎるほどに平穏でな。少々無聊をかこっていたのだ」
 あたかも今気づいたかのごとく、アサシンはランサーに初めて視線を向けた。
「訪れた美しき小鳥を愛でるぐらい、見逃せ」
「さっきは花って言ってなかったか」
「花も小鳥も皆愛らしきもの。どちらでも問題はなかろう」
「へーへー。それで、キャスターの奴が俺達を通すなって言ったんだな」
「うむ。口にこそしなかったが、殺しても構わん、そう思っていたなあれは」
「そんな……」
 キャスターと親しい仲になっていたわけではない。それでも少なくとも敵ではなかったはずの人物が自分たちを殺してもいいと思ったということ――否、その理由がわからないことに雪は動揺していた。
「安心するがいい」
 優しくアサシンは雪に微笑みかける。
「私は可憐な花を無碍に散らすことは好まぬ」
「だからどっちだっつーの」
 ランサーのツッコミは無視し、笑みを崩さずアサシンはあくまでも穏やかに、涼やかに言う。
「故、おとなしく去られよ。我が主はそなたらには会わぬ」
「しゃあねえな」
 めんどうくさげに頭を一つかき、ランサーはその手で雪の肩を叩いた。
「引くぞ」
「えっ」
 雪が戸惑いの声を上げる――ここであの門番と戦いになるのは好ましくはないが、こうもあっさりランサーが引くとは思っていなかったのだ――のに構わず、ランサーは踵を返して階段を下り始める。
「……」
 一度視線でランサーを追い、雪はアサシンを見上げた。
 アサシンはやわらかな笑みを浮かべて佇んでいる。その右手の長刀は最初と何変わることなく木漏れ日を鈍く――冷たく、弾く。
――……仕方ないのね……
 ためらいがちにではあったが雪もまた、踵を返した。先を行くランサーの背を追う。
「では、な。可憐な花の君よ」
 アサシンの声は最後まで涼やかに響いた。

「……何があったのかしら……」
 長い長い柳洞寺の階段を下りきったところで、雪は振り返った。遠く小さく見える山門の前ではまだアサシン、佐々木小次郎が佇んでいる。
「気になるか?」
「ええ。何か事情があるとは思うのだけれども……いきなり会ってもくれなくなるなんて」
「それだけ厄介なことがあったってことだろうさ。
 あいつにとって何より大事なのはな、今の平穏な生活を守ることだ。そのためなら手段は選ばない。例え自分が泥をかぶろうとな。キャスターはそういう女さ」
「自分が泥をかぶろうと……」
 呟く雪の脳裏に浮かんだのは紅い髪の剣士――義兄、御名方守矢の姿。
 守矢は雪と楓を守るために、師殺し、養父殺しの疑惑をかけられたまま独り、戦い続けた。
――もう二度と、守矢一人に全てを背負わせたりしない。
 得られた奇跡的なこの世界、本来あり得ないこの時を無駄にはしない。そう、雪は誓う。師より授かった戦う力である愛槍に懸けて。
 聖杯戦争に巻き込まれた雪は当初、自分が何故この戦いに巻き込まれたかを突き止め、終わらせるために戦うつもりだった。
 けれど守矢が、そして楓までもが巻き込まれたことを知った時、雪の戦いの目的は変わった。
 守矢を、楓を、聖杯戦争のくびきから解き放つこと、そして二人を守ることを。
 そうしなければ相変わらず何も言わない守矢はきっと、以前と同じように――
――……いいえ。
 以前と同じではない。
 守矢の傍らにはこの聖杯戦争においては守矢のマスターである少女、川澄舞がいる。新たな世界で守矢が得た、新しいつながり。
 この舞が今の守矢の「守る」対象に含まれていることを雪は知っている。守矢が舞に向ける想いは雪達「家族」へ向けるものとは別の意味、形。されど同じぐらい大切な存在であることを知っている。
 それを知っているから一層雪の誓いは固いものとなる。人一人では全ては守れない。守矢は強いが、どれほどに力があっても一人で守れるものにはどうあがいても限界がある。
――だから、私は――
 以前より守るものが増えてなお、以前と同じように全てを守ろうとする守矢を守る。かつての守矢のように例え自ら泥をかぶってでも、必ず。それが雪の戦う理由。
 守矢にも、マスターであるランサーにも言うことはないだろうけれど。
「おい、雪」
「……え」
 少し強いランサーの声に、雪は幾度か瞬いた。ついつい思いにふけっている間にランサーは歩き始めていたらしい。少し前で足を止め、雪を振り返っている。
「今日も街を回るんだ。ぼーっとしてる時間はないぜ」
「ごめんなさい」
 少し駆け足気味に雪はランサーを追った。雪が並ぶと同時にランサーは歩き出す。
「さっきも言ったがな、キャスターが俺達に会わないってことは相当厄介なことに気づいたからだろうさ。
 それは覚えとけ」
「ええ」
 頷き、雪は真っ直ぐ前を見て歩く。
 どんな厄介な、危険があろうと躊躇ってはいられない。愛槍を握る手にも力がこもる。
 と、雪の後頭部に軽い衝撃が走る。
「きゃっ」
 何一つ前触れも気配も感じず、驚いて声を上げて雪は反射的に周囲を見回した。
 視線が止まったのは、赤の上。よく知っている紅、静かな抑えた紅とは違う、荒々しさを宿した力強い赤。
 その赤が――ランサーの赤い目に苦笑の色が幾らか混じったのを見てようやく、雪はランサーが自分の頭をはたいたのだと理解した。
「ちょっと、何を」
「力むな。もたないぞ」
 雪は、ランサーの言葉を文字通り受け止めればいいはずだった。厄介なこと――これから先の戦いが過酷になる気配があるからといって緊張しすぎていてはいざというときまでに身も心も疲弊してしまう。戦いに慣れているランサーがそれを雪に注意するのは何も不思議ではない。
 けれど、雪は戸惑っていた。何故かは自分でもわからない。ひょっとしたらランサーの赤い目に苦笑を見たからかもしれない。
 どう答えるべきかしばしの躊躇後――
「……ええ」
曖昧に雪は頷きを返すしかできなかった。
 ただ、槍を握る手からは余分な力は抜けていた。
 

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