月下の運命 華の誓い
五の三 守りの誓い・剣、そして
街は普段と何も変わらなかった。
この世界、この街では路上での立ち合いなど珍しくもなくトラブルにも事欠かない。だが守矢達の戦いこそ路地裏の人目につかないところではあったものの、雪達は港でかなり派手に戦っている。四組のマスターとサーヴァントによる戦いであり、内一人は大がかりな宝具を展開したという。
それなのに、街は昨日までと何も変わっていない。
テレビや新聞などを確認してみたが、港で戦いがあったなどという話はどこにも載っていなかった。
――解せんな。
舞と共に街を行きながら守矢は思う。
ランサーが過去に経験した聖杯戦争では戦いを一般社会から隠蔽する者達がいたというが、この聖杯戦争にもその様な者達がいるのだろうか。いるとするならばその者達も見つけ出した方が良いのではないか、と守矢は思う。その者達ならばこの聖杯戦争がどういった意図で引き起こされたかを知っているかもしれない。
だがサーヴァントやマスターたちを探すよりもそれは困難だろう。姿や素性が知れぬ、そもそも存在するかどうかも知れぬ者達であり、サーヴァント同士のように見つけられる手がかりがあるわけでもない。
――せいぜい、存在の可能性を気に止めておくぐらいか。
つまり、今までと何ら変わりない。
街を歩き、他のマスターとサーヴァントかこの戦いの裏を知る者を捜し、倒すか、戦いから手を引かせる。そして聖杯戦争の黒幕を暴く。
舞と自分のためだけではなく、同じく聖杯戦争に巻き込まれた雪や楓達のためにも。
できることもすることもそれだけだ。
――…………
「守矢」
僅かに守矢の眉が寄せられた一瞬後、ふと、舞が口を開いた。守矢の返答を待たずにぽつんと言葉を続ける。
「ランサーのこと、嫌い?」
「……何?」
舞がなんと言ったかは確かに聞いた。だが唐突な問いであり、そのようなことを聞かれるなどと予想だにしていなかった守矢は舞がなんと言ったのか理解できなかった。
「守矢、昨日ランサーと話してから不機嫌」
「そう、か?」
「うん」
言われても守矢には自覚はなく、怪訝に問い返すことしかできなかったが舞はあっさりと頷いた。
――……むう。
内心唸った守矢の眉間のしわが深くなる。
舞はランサーと話してから不機嫌だと言うが、正直に言ってしまえば現状、守矢が不機嫌になる種は幾つもある。
聖杯戦争自体が不機嫌の種であるし、それに自分のみならず舞や雪、楓が巻き込まれていることは言うまでもない。
守矢達の家に嘉神慎之介が滞在していることもある。嘉神が四神の一人として未だ眠りから覚めない楓を気にかけ、様子を見ること自体は理解できる。それに嘉神が連れている夢魔の少女の力が役立つのも理解できる。だが、何故嘉神は守矢達の家に滞在するのか。玄武の翁や示源もしばしば楓の元を訪れるが泊まっていくことはない。
嘉神滞在の理由は慨世も知らないらしいが「慎之介には慎之介の考えがあるのだろう」と問いただす気はないことも一層守矢を不機嫌にする。師の判断に異を唱える気はないが、嘉神の滞在を不快に思うこの感情はいかんともしがたい。
もちろんランサーも不機嫌の種だ。その腕が極めて優れていることは間違いないが、好戦的で油断がならない。聖杯を求めていないと言うから今のところ敵対はしないだろうが信用はできない。
そのような男が雪のマスターであるからと行動を共にしていること、嘉神と同様に守矢達の家に滞在していることも当然不快だ。
これら不快、不機嫌の種のことを守矢は舞に話したことはない。己が誰に不快を覚えているかなど舞に聞かせる必要も意味もない。
故に、舞は舞なりに考えて守矢の不機嫌の理由を推測したのだろうが――
――何故、奴のことになる。
ランサーは不機嫌の種の一つではあるが、特別に取り上げて指摘されるほどのものでもない。それに加えて「嫌い」などと問われるなど、守矢にしてみればまるで解せない。街の様子に変化がないことよりも、解せない。
「そう思えた、から」
守矢の心中を読んだかのような舞の答えには具体性のかけらもなかったが、それが全てなのだと守矢にはわかった。舞は感じたことをそう言ったのみ。昨日共に話をしていた時辺りにうっかり守矢が嫌悪を表にしてしまい、そこに舞が気づいたのだろう。舞が気づいたということは他の者にも気づかれる可能性がある。厄介事を招かないように今後は少々気をつけた方が良いだろう。
そう結論づけた以上、問いを重ねることに意味はない。
「そうか」
故に守矢が口にしたのは、肯定でも否定でもないただ一言。
「うん……」
頷いた舞は、まだ何か言いたげに守矢を見ていた。言いたいことはあるが言うことに躊躇いがある、そんな顔の舞の言葉を促すべきかどうかを守矢が考えかけた時、ふいと舞の視線が逸れ、その足が止まった。
「……あ」
小さな驚きの声を上げ、大きく目を見開く舞の視線を守矢は追った。
――……?
怪訝に守矢は眉を寄せた。
そこには、なにもない。通りを行き交う人の姿はあるが、舞の気を引いたと思われるようなものはない。
「消えた……」
そこを見つめたまま舞は言った。
「何がだ」
「女の子」
「……『まい』か?」
消えた『まい』は未だ戻らず、その行方の手がかりも何もないままだ。
「違う」
首を振り、舞は目を伏せた。『まい』が戻らないことはやはり舞の心に影を落としている。だがすぐに舞は視線をあげて守矢を見上げた。
「こっちを見ていたの。でも、すぐに消えた」
「どのような子供だった」
「髪は長くて、まいよりは年上に見えた。
……悪い感じは、無かった」
舞の他者を見る感覚は鋭い。舞が悪いものを感じていないというならそうなのだろうが、消えたというのは普通ではない。
「今度見かけたら言え。正体を確認しておくべきやもしれん」
可能性だけで言うなら消えた少女も聖杯戦争に関係があるかもしれない。無視してしまうのは危うい。
「……うん」
舞の視線がもう一度、女の子がいたという場所へと向く。しかしやはり、そこには誰の姿もなかった。
平穏な街を守矢は舞と共に行く。今日は路上での立ち合いも起きていない。戦いの気配などどこにもない。
舞が見た少女はあれきり見かけない。
――……サーヴァントの気配もない……いや。
守矢は足を止めた。五感で捉えたものではない、しかし確かに認識できるこの気配。間違いなくサーヴァントのものだ。
――思った端から、これか。
「守矢?」
問いかける舞に視線だけで待てと伝え、守矢は意識を集中する。感じた気配は距離は遠くないが弱く、今までに会ったことのあるどのサーヴァントのものとも異なっていた。守矢がまだ会っていないサーヴァントであることは間違いないだろう。
気配を追い、守矢は歩を進めた。
迷いはなかった。この聖杯戦争における――いや、そもそも御名方守矢の戦う理由は、己の手にある者を守ること。その為に必要なことは一つ一つ果たしていくまでだ。
状況、そして守矢の意思を察しているのだろう、何も言わずとも舞は守矢の後をついてきていた。
気配を追い、表通りから裏路地へと守矢は入った。守矢に気づいているのかいないのか、サーヴァントの気配は動かない。
しばらく歩いて、守矢はとあるビルの入り口の前に立った。サーヴァントの気配はこのビルの中からだ。ビル自体は既に使われなくなっているものらしくサーヴァント以外の気配は今のところ感じられない。
「舞」
「ううん」
昨日の今日だ、ここで待っていろ、そう守矢が言うより早く舞は首を振った。
「……」
守矢の逡巡は一呼吸と半。無言でビルへと足を進める。ガラスのドアに鍵はついておらず、軽く押せば簡単に開いた。
周囲への警戒と共に、守矢はビルへと入る。ついてくる舞も気を張り詰めているのが感じられた。
ビルの中は静かで薄暗かった。
明かりの一つも灯っておらず、窓から日の光は射し込みはするが奥までは届かず見通すことは出来ない。
声はその、見えぬ奥から響いた。
『……来る、な……』
それは低く震える声。何かを必死に抑え込もうとしている苦しげな声。
数歩進んだところだった守矢の足が止まる。
耳と精神(こころ)、双方に響くその声は、聞き覚えがあるものだった。
『帰れ、それ以上……近づくんじゃねえ……っ』
「楓か」
低く守矢は呟いた。
正しく言うならば、この声の主は守矢の知る楓ではないのだろう。昨日、雪達が対したという、具現化した楓の力がサーヴァントにされた存在に違いない。
されど。
雪は対したサーヴァント――殺戮のサーヴァント(エリミネーター)――を楓と認識し、話を聞いた慨世もまた楓と認めた。
そして今また守矢も、知った声を、何より声に含まれた感情を耳にして認識し、確信した。
この者は、楓だと。
声に宿る切なる想い。
傷つけたくない、壊したくない――何を――それは、大切な、ものを。
――傷つけたくない……!
声に守矢は想いを《視た》。
同じものを守矢は知っている。過去に何度もそれを弟の中に視てきたのだから。若さ故の未熟さに迷い、強大な力に恐れ、悩み、それでもあがき前に進み続けたのは弟の中にあった優しさが故。
そして過去と同じように今、守りたいもののために声の主は、楓は、必死に足掻いている。
故に守矢は、弟の名を呼んだ。
「楓」と。
『……守矢……なの、か?』
驚きと戸惑いに声が震える。
『そんな、姉さんだけじゃなくあんたまで……
……あぁ、だが、あんたなら……』
声に僅かに、希望が宿った。足音が響く。
『あんたなら……』
ゆっくり、ゆっくりと近づく足音と共に姿を現した少年を目にしたとき、守矢は知らず、微かに息を呑んでいた。
金の髪、緋色の目の少年の姿は、間違いなく守矢の知る楓が青龍の力を解放したときのもの。だが金の髪は所々黒を帯び、肌は異様に白い。その身には時折濁った色の炎が蛇の如く這う。
守矢をして驚きを抑えきれぬほどに無残で異様な姿の楓の息は荒く、体を前のめりに傾けて己が身を引きずるようにして歩いてくる。だらりと下げた右手には抜き身の刀を持ち、左手は己を支えようとしてかそれとも己の何かを抑えつけようとしているのかシャツの胸元を強く握りしめていた。
「楓」
「無様な……ところ、見せちまって悪ぃな……」
苦痛に表情を歪めながらも口の端を無理矢理にぐいとあげ、楓はニヤリと笑って見せた。僅かに開いた口元からはなかったはずの鋭い牙にも見える八重歯が覗いた。
「けど……ここに来たのが、守矢、あんたでよかった……」
楓の声は今は普通の声として響いている。苦しげに荒く息をつきながら、しかし守矢に向けた緋色の視線には射貫くような鋭さと強さがある。
「守矢……たの、む……っ、あんたに、なら……頼める」
ゆらり、と一歩楓は守矢に近づいた。途端、その身を這う炎が数と勢いを増し、髪が黒く染まっていく。
それらの変化に従い、弱かったサーヴァントの気配が強くなっていくのを守矢は感じていた。
「俺を、……殺して、くれ……っ!」
声を振り絞ると同時に力尽きたか、それとも守矢に近づくまいとしたか、楓は崩れるように膝をつく。
「俺が、俺でいられる間に……頼む……」
「話せ」
守矢は言った。その手を剣にかけることなくいつもと変わらぬ声音で、紅の瞳で楓をひたと見据えて。
楓が切羽詰まっているのはわかる。だが何も聞かぬままその願いを受けるわけにはいかない。
ことに『殺せ』などという願いは。
「何があった」
「知ら、ねえ……っ、わかるのは、俺はあんた達を、サーヴァントもマスターも皆殺しにするのが、役目……ぐっ」
びくん、と楓の体が痙攣したかのように一つ大きく震え、背を反らす。
「ぁく……っ近くに、サーヴァント、集まって……やがるっ、くっそ……もう、きつい……守矢……たのむ……おれを……っ!!!」
悲痛に満ちた懇願の叫びを楓が上げた瞬間、巻き起こった颶風が守矢と舞に襲いかかった。
守矢の外套が颶風をはらんで翻る。風と共に二人に叩きつけられるは純粋かつすさまじい、殺意。
『――コ――ロ――セ――!!!』
絶叫の如き咆吼が大気を、守矢と舞の精神を震わせる。弱い存在ならばこの咆吼に満ちた殺意だけで死んでしまったかもしれない。
「…………」
腰の刀を守矢は抜いた。舞も構えた気配がする。放たれた殺意のすさまじさは身をもって思い知ったが、守矢にも舞にも生きる意味、戦う理由、目的がある。屈することなどない。
楓が立ち上がる。髪は漆黒と化し、青白い肌には赤い紋様が浮かび上がる。そしてその背に、黒い腕の如き異形の翼が広がった。
これが、エリミネーターのサーヴァント、そんな思いを守矢が抱く暇もあらばこそ。
「――――!」
黒が、飛んだ。
おおんと喚いたのがなんだったのかはわからない。
確かなのは、再びの咆吼が颶風が黒のサーヴァントが一塊となって守矢に襲いかかったこと。
直後、重く、鋼がかち合う音が響いた。
「……っ」
想像以上の斬撃の重さに、楓の、エリミネーターのサーヴァントの刃を受け止めた守矢は眉を寄せる。
しかしそれも一瞬。
弾かれたように同時に、二人は間合いを取る。
「…………」
下段から後方へと剣を引いた独特の構えを守矢は取る。左の手が僅かに痺れている。それほどに先のエリミネーターの一撃は重かった。
『サーヴァントもマスターも皆殺しにするのが役目』
そう、楓は言った。その言葉通りに殺意、先程放たれたそれ以上のものを形にしたかのような一撃であった。
「……ウゥ……」
守矢を見据えたエリミネーターが唸る。
守矢は剣を握る手に力を込めた。手の痺れも僅かな惑い、疑念も握りつぶす。楓から話をほとんど聞けなかったがもう問うことは不可能。
今は戦うのみ。
それ以外に道はない。
エリミネーターを殺すにしても――楓を、救うにしても。
戦い、勝つより他にない。
エリミネーターは異形の翼をばさりと動かし、身を低く沈める。
半歩の更に半分、守矢は足を踏み出す。
「――――!」
エリミネーターの咆吼が火球を二つ生みだし、守矢へと飛んだ。燃えさかる火球はぎりぎりの見切りで避けるのは危険。守矢は地を蹴って飛ぶが如く、走る。
かわした火球が後方で爆発する。エリミネーターは次の動きへとは移っていない。
――月下――
熱風を背に受けながらなおも駆ける守矢が宝具たる絶技を解放せんとした、その時。
「――――!!!」
黒きサーヴァントが、飛んだ。
黒き稲妻の如きの飛来。彼我の動き、速度に迎撃は間に合わない。咄嗟に守矢はもう一度地を蹴り、無理矢理に己の軌道をずらす――
エリミネーターは守矢を見ていなかった。
速度を落とすことなく低く飛ぶエリミネーターが向かうは、ビルの扉。
千の鈴を一斉に鳴らしたような音をあげてドアの扉が砕け――エリミネーターは外へと飛び去った。数瞬遅れて颶風が外へと吹き抜けていく。
「……舞」
「大丈夫」
守矢が振り返れば、抜いた剣を手にしていた舞はこくんと頷いた。
「そうか」
頷くや否、守矢は外へと向かう。舞も並んで壊れたドアをくぐった。
楓は近くにサーヴァントが集まってきていると言っていた。エリミネーターが向かったのはそこだろう。守矢を置いていったのはより数が多い方を先に狙ったのか、守矢を傷つけまいとした楓の意思か。
――楓は、雪のことも傷つけまいとしたのだったか。
エリミネーターの飛行速度は相当なものらしく、もう気配が感じられない。だがそう遠くではないはずだ。
――急がねば。
エリミネーターの行った先に、雪がいる可能性は低くはない。
仮に雪がいなくとも他のサーヴァント達とエリミネーターの戦いを見過ごすわけにはいかない。
エリミネーターを殺すにせよ、楓を救うにせよ、それは、己の手で――既に守矢が己に定めたこと。
早足に守矢は舞と街を行く。
変わらず平穏な、街を。
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