月下の運命 華の誓い

五の四 裏路地にて同舟す

 街をいつものようにゆく中、最初に気づいたのは、雪だった。
「あの子……」
「あぁ?」
 呟いた雪の視線を追ったランサーの目が僅か、鋭くなる。
「……あの子よね?」
「たぶんそうだ」
 二人の視線の先に在るは、にぎやかな通りで一人、不安げに周囲の様子を伺いながら歩く少女の姿。身体にぴったりした服とハチミツ色の髪には覚えがある。
「エリミネーターのマスターか。こんなところで何やってるんだ?」
「わからないけど、話を聞けるかもしれないわ」
 言うが早いか、雪は人波を縫い、少女へと向かって歩を進める。
 ランサーもその後に続くが、雪の歩みは次第に早くなり、駆け足になっていく。ちょうど少女は雪達に背を向けて歩いているから追いつくためには多少は早足にもなるだろうし、エリミネーターは雪の義弟なのだからはやる気持ちもあるだろう。
――それだけじゃないようだが……
 雪の急ぎ方に引っかかるものを覚えたランサーは雪の隣に並んだ。
「どうした雪。あの嬢ちゃん、消えはしないと思うが?」
「サーヴァントがいるの」
 足を緩めることなく、少女の背を見つめて短く雪は答えた。
「近いか」
「少し遠いけれど、近づいてきているわ。私達やあの子に気づいてのものかまではわからないけれど」
「そうか」
 行き交う人々の間をすり抜けて少女を追いつつ、ランサーは周囲を伺う。今のところは自分達に向ける敵意どころか視線も感じない。少女に向けたものもなさそうだ。雪のサーヴァントの感知能力はかなり高い。ランサーが見つけられなくても無理はない。
――無理はない……が、近づいている奴らが嬢ちゃんかオレ達かに気づいているなら広範囲で探査する手段があるってことか。便利なもの持ってるな。
「あなた、ごめんなさい、ちょっと待って」
 ランサーがそんなことを考えている間にも少女に追いつき、雪が声をかける。
「……え?」
 戸惑いと警戒とを含んだ声を上げ、少女は振り返った。
「あ……」
 濃い緑の目が雪とランサーを映すと同時に驚きの色を浮かべて大きく見開かれる。
 間違いなく、港での戦いの際に雪とランサーが出会った少女だ。
「私達のこと、覚えていてくれたみたいね。私達、あなたと話がしたいのだけれども……」
 雪が言葉を切った。はっと上を、空を見上げる。
「……上から!?」
 その時既にランサーは動いていた。雪と少女をそれぞれ両の小脇に抱え、走る。もうランサーにもわかる。何かが接近してくる。
「きゃあっ!?」
「ちょっと、ランサー!?」
 左右からステレオで響いた驚きの声も。
「あ、待てこの野郎!」
 上から響いた覚えのある怒声も。
 もろともに無視してランサーは人波を縫い走る。ビルとビルの間、道とは呼べぬ細く伸びた隙間へと飛び込む。頭上に見える空は、狭い。
 少女と娘を抱えたまま振り向いたところで、ランサーは二人を半ば落とすように下ろした。悲鳴と抗議の声には答えず、駆け込んできた方を見据える。
 ごお、と空が唸る。影が走る。ビルの狭間に何かが飛び込み、上へと飛ぶ。狭い中器用にくるりと身を翻し、そしてそれは降り立った。
 一人ではない。二人だ。
 海賊姿の男と女。見間違えるはずもない、昨日雪とランサーといったんは対峙し、港ではアーチャーと思われるサーヴァントと激しく戦った二人だ。
「なんだ、逃げたと思ったら、待ち伏せか?」
 肩に碇槍を――昨日のように、あれに乗って飛んできたのだ――担ぎ、サーヴァントである男、元親が言う。
「場所ぐらい選ぶさ。いきなり上から来るような奴をあんな街中で迎えられるか」
 言いながら、立ち上がった雪が少女をかばって構えるのを視界の端にランサーは見る。
「はっ、そりゃもっともだ!」
 愉快げに、元親は笑った。
「そんな奴は俺だって警戒するな。
 で、どうする。ここでやるのか?」
 とん、と碇槍で自分の肩を軽く叩いて元親は問う。この狭いビルの隙間では長柄の武器は振るいづらいものだが委細気にした様子はない。ランサーはこれぐらいの場所なら少なくとも自分は十分戦えると踏んで飛び込んだのだが、元親とそのマスターにも手はあるのだろうか。
――昨日の戦いぶりを見た限りじゃ、あの得物をここで振るうのまず難しいだろうが……
「さぁてな、オレ達はあんたらとやり合うより、こっちの嬢ちゃんと話がしたいんだがね」
「奇遇だな。俺達もその嬢ちゃんに用がある」
「ほう?」
 ランサーが視線をやり、元親があごをしゃくって指すと少女はおびえたように身をすくませた。が、逃げるそぶりはない。不安の色は濃いが顔を伏せることなく元親達を見つめている。
「その嬢ちゃん、昨日のあのやっかいな奴と関係があるってとこぐらいは見てたぜ。
 あいつを放っておくと後々面倒そうなんで何とかしたくてね。直接やり合う以外なら、マスターを押さえるのが一番だろう?」
「押さえるって、どういうことかしら」
 雪の静かな声にも湖水のような青の目にも、厳しい光が宿っている。
――嬢ちゃんへの危害は許さない、か。
 言葉にせずとも雪の全てがそれを雄弁に物語る。
「言う必要があるか?」
「なら……」
 つ、と雪は構えた。
「早まるなって。手荒なことするとは言ってないだろう。ただちょっと捕まえ……あいてっ」
 軽やかに元親の頭をはたいたのはもちろん、彼のマスターである女性。
「なんだよルビィ」
「その言い方で受け入れてもらうのは難しいってことぐらいわからないかい。ただでさえあんたは柄が悪いんだ、言い方に気をつけな」
「飾ってもしようがないだろうが」
「あんただって捕まえさせろって言われてはいわかりましたとは聞けないだろうに。
 ……わかるだろう?」
 女――ルビィが言った最後の部分は元親にではなくランサー達へかけた言葉。
「元親の言い方はよくなかったがね、その子をあたし達は手元に置いておきたいんだよ。理由はさっき元親が言った通り。あんた達にもそれが妥当だってことぐらいわかるだろう?」
「まあな」
 ルビィの言うことは実にもっともだ。事情がなければランサーもそうするだろう。
 その事情――雪は無言のまま元親とルビィを見据えている。
「その子が抵抗しない限り手荒には扱わないし身の安全は保証するよ。
 あたし達だって、しなくていい戦いは避けたいからね」
 ルビィの口調にも表情にも、嘘はなさそうにランサーには思える。
――抵抗しない限りってのがいい。あの女、この手のやりとりに慣れてるな。
 状況を正確に計り、その中で取る行動を偽らない。状況にも寄るがこの場は偽らない方が相手の疑念や不安を抑え、交渉しやすくなる。
 現に雪は少し思案の様子を見せている。彼らがこの少女に危害を加えないなら頑なにまでなる必要はない。
――さて、こちらはどうするか……まあ、だいたい予想はつくが。
「…………」
 雪にランサーが視線を送ると、雪は一度ランサーを見てから少女を振り返った。
「あなたは、どうしたいの?」
「私は……」
 少女の顔には不安の色が濃い。無理もない。少女にしてみれば元親達も雪達も味方かどうかはまだ定かではないはずだ。
「あの人達とは、一緒には行けません。あなた達とも……です。私、楓のところに帰らなくちゃ……」
 それでも、しっかりと雪を見つめて少女は言った。
「そう……」
「でも」
 少女は胸の前で両手を握り合わせる。願うためではなく、おそらくは自分を奮い立たせるために。
「お話、したいことはあります」
「わかったわ」
 頷き、雪はランサーへと視線を向け、
「この子はあの人達には渡せない」
毅然と、一切の迷いなく言いきった。
――やっぱりそうくるわな。
 おおむね予想通りの雪の結論だ。どういう形にしろ弟である者と縁のある少女を、敵か味方か未だ判然としない者に渡すことには抵抗があったであろうところに、少女の意思まで確認したらこうなるしかあるまい。
 だがこれだけでは、ランサーの解とするには弱い。
「あいつらの言うことは真っ当だ。これからを考えるなら奴のマスターは確保した方が楽だからな。
 あいつらに渡さないならオレ達が嬢ちゃんを確保するか?」
「駄目よ」
 即答。雪は首を振った。金の髪が揺れる。
「この子はそれを望んでいないし、少なくとも、今は私達は何もわかっていないのよ。この子を私達のそばに置くのが本当にいいのかは今は決められないわ」
「今は、か。それもそうだ」
 雪の言うことにも筋は通っている。解は得た。ランサーは一歩前に出た。
「話はまとまったかよ?」
「ああ、待たせたな」
「で、どうする。嬢ちゃんを渡してくれるのか?」
「焦りなさんな。決める前に、オレから一つ提案がある」
「なんだよ」
 問う元親ににやりとランサーは口の端をつり上げた。


 パキ、プシッ、と小気味よい音の連続が同時に二つ。
 どちらが促すことなく男二人は互いに手にしたビールの缶を軽くあげて視線を交わし、口をつけた。グビグビグビッ、と喉を鳴らして勢いよく煽り――
「ぷはぁっ!」
「くぅ、うまいねえ」
全く同時に飲み干し、満面の笑みで息を吐く。
 場所は奇しくも先日の裏路地。あの時に出来た小規模なクレーターもそのままだ。
「いい飲みっぷりだな、あんた」
「あんたもな。もう一本いくか」
「俺はこっちで」
「ワンカップか。ジャーキーいるか?」
「ありがとよ。じゃあこのさきいかやるぜ」
 互いにつまみを勧め合い、いくつかつまんで二杯目をまた一息に煽る。
 酒もつまみも十分に買ってある。そう簡単にはなくなるまい。
「あんたと酒をやりたいなんて話もしたが、まさかこうも早く機会が来るとはな」
「潮目がうまく変わったもんだ」
「これも戦場のおもしろいところだな」
「おうよ。
 で、まず聞くがな、あんたのとこはランサーでいいんだよな?」
 三杯目を開ける音もまた、同時。
「名乗りは自分からってのがお約束だろう?」
「ああ、そういやそうだな。悪ぃ」
 元親はいともあっさりと頷いた。碇槍を右手に取ると、ぶんと一振り、じゃらりと鎖が鳴る。
「ライダーのサーヴァントこと、長曾我部元親。鬼ヶ島の鬼たぁこの俺よ!」
不敵に笑んで高らかに名乗ったライダー、長曾我部元親の碇槍の穂先はランサーの鼻先一寸でぴたりと止まっていた。
「さあ、あんたの番だぜ」
 碇槍を突きつけたまま、元親は空いている左手でワンカップを煽る。
「オレか? オレはランサーだ」
 気合いの入ったライダーの名乗りとは対照的にあっさりと、ランサーは名乗った。
「………………ハァ?」
 空になったワンカップを置きかけた動きを止め、怪訝な声を元親があげたのは、ランサーの名乗りがあっさりだったからではない。
「サーヴァントはあっちの美人の姉ちゃんのはずだろ?」
「ああ、雪はランサーのサーヴァントでオレがマスターだな」
 ビールの缶を傾けて上がりかけた笑いを飲み流し、ランサーは頷いてみせる。
「で、あんたの名がランサーって?」
「ま、そうだ」
「……おかしな偶然だな」
 幾分釈然としない面持ちではあったがふうんと鼻を鳴らし、元親はワンカップを脇に置く。
「ああ、冗談にしちゃたちが悪い」
 呟くランサーは視線を空のビールの缶へと落としていた。缶を見ているわけではない。
 ただふと思ったのだ。
――偶然や冗談でこうなったんならまだいいがな。
と。
「だがあんたの腕は冗談じゃないだろう?」
「当然だ」
「…………」
「…………」
 元親とランサーの会話が途絶える。沈黙の中で視線が交錯するが睨み合いまでは至らない。互いの眼にあるは、相手を見極めんとする意思と、どこか楽しげな、しかし剣呑な光。
 じり、じりと二人の間の空気が張り詰め――
「飲めよ」
ランサーのその一言であっさりと緩んだ。
「まだ酒はあるぜ。それとも鬼ってのはこれぐらいで酔っちまうか?」
「はっ、甘く見るんじゃねえ。あんたの方こそついてこれるんだろうなぁ?」
 元親が碇槍を引き、傍らに置くと同時にランサーがワンカップを投げよこす。受け取った元親は変わりとばかりにビールの缶をランサーに投げ返した。
 受け取るのと同時に流れるような動きでランサーはプルトップに指をかけ――
「ランサー」
腕を引かれ、かけられた声に若干渋々振り返った。
 振り返ったそこには少し怒ったような困ったような顔をした、雪。
「なんだよ、酒が足りないか? そっちにもあったと思ったが」
「お酒は飲まないわ。そうじゃなくて……」
 むっとした色が雪の表情に足されたが、それでもその美しさは僅かも損なわれない。むしろこれはこれでいい顔だ、などとランサーが思考の隅で思う間に雪がまたそっと腕を引く。
――仕方ねえな。
 一つ肩をすくめて腰を浮かし、ランサーは雪と共に元親から少し離れた。
 プルトップを開ける。
 もちろん、雪がどんな顔をするかはわかった上だ。心優しく真面目なこの娘が浮かべる様々な表情を見るのが、最近ランサーは楽しくなってきている。
「あんた、酒はやらないんだったか。だったらジュースや茶も買ってあるからそっちを飲めよ」
「それでもないわよ」
 ライダーを気にしているのか、雪のは小声だ。一方当のライダーは何気にした風なく酒を飲み、つまみを食べている。
「ランサー、あなたどうしてお酒を飲んでるの。
 私達は」
「話するんだろ。飲んでたって問題ねえよ」
 そう、ランサーと元親が酒を飲み交わしているのは話をするためであった。
 先刻、ランサーの提案がそれなのだ。「嬢ちゃんをどうするかは、まずは話を聞いてからでいいんじゃないか」と。幸い元親達はそれに乗ったため、どうせ話すなら時間も昼だし食い物だ酒だと手近な店で買い込み――雪と少女は何か言いたそうだったが華麗に無視した――何かあってもいいようにと裏路地を選んで場を開いたのであった。
「むしろ腹割って話すなら飲み食いしながらが一番だ」
 グビリ、とビールを一口。この酒は随分と飲みやすい。うまいことはうまいのだが飲みやすすぎてそろそろ物足りなくなってきた。次は元親が飲んでいるワンカップをもらうかとランサーは思う。
「だからって、お酒まで飲むのはどうかと思うわ。この間みたいに襲われることだってあるかもしれないのに……」
「サーヴァントが近づけばあんたかライダーが気づくだろ。
 それにこれぐらいの酒でオレがどうにかなるかよ。ライダーだってそんなたまじゃねえさ。
 それより、あんたはあの嬢ちゃんから話聞いたのか?」
 雪の肩越しに、ランサーはそこを見やる。
「まだよ。話そうと思ったらあなた達が飲み始めるから……」
「オレやライダーが面と向かったら嬢ちゃんも怖がるだろう。あんたが話すのが一番だと俺は思うんだがな」
「それは、そうだけど……」
 納得がいかない、そんな顔をする雪の肩に手を置いてランサーはくるーりと向きを変えさせる。
「じゃ、任せたぜ。オレはライダーと親睦を深めつつそっちの話も聞くからよ」
 とん、と背中を一押し。
「……わかったわ」
 溜息と共に雪が言うまでは、一応ランサーは待った。

「駄目だったろう? 男どもは男同士で話させておけばいいんだよ」
 戻った雪に、海賊姿の女性――ライダーのマスター、ルビィ・ハートと名乗った――は苦笑を浮かべて言う。
「ええ……」
「こっちはこっちで話すとしようじゃないか。まあ、ひとまずはあんたに任せるけれどね」
 ルビィは自分の隣、といっても人一人分は間を開けて座っている少女に目を向けた。困惑と不安の色をない交ぜにしてうつむいていたハチミツ色の髪の少女は視線を感じてか、びくりと肩をふるわせて顔を上げる。
「そうですね……」
 仕方がないと雪はルビィとは反対側の少女の隣に腰を下ろした。少女の不安を少しでも和らげようと、優しい声で問う。
「遅くなってごめんなさい。
 あなたの話を聞かせてもらえるかしら」
「……はい」
 おずおずと顔を上げた少女はしかし、その濃い緑の眼に強い決意を秘めて頷くと自分の首へと手をやった。
「私とエリミネーター――楓のこと、お話しします」
 言って少女は喉元まで閉められたファスナーを、下ろした。
 露わになった少女の白い首筋に在るのは赤い、紋――聖杯戦争におけるマスターの証、令呪。
 右側が直線、左側が曲線で描かれ、中央に稲妻のようなジグザグの線が走った独特な形の令呪は三画の内一画――右側の直線で描かれた部分――が掠れて消えていた。
――これは、あの時の……
 港での戦いの時、少女がエリミネーターを引かせたのが間違いなく令呪の力によるものだと一画を失った紋が雪に告げる。それは、つまり――
「最初に、改めて言います。
 私の名前は、ククル・コーラル。
 殺戮者(エリミネーター)のサーヴァント、楓のマスターです……」
 

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