月下の運命 華の誓い
四の四 大切な、言葉
ほんの小さな傷口から激痛と熱が全身に広がる。息ができない。音が聞こえない。何も見えない。体の自由が一瞬で失せ、五感全ての感覚が痛みと熱だけに埋め尽くされる。
毒。僅かに掠めたにすぎないと思ったアサシンの腕が致命的だったのだと気づいた時には遅かった。あの腕は見た目以上に危険なものだったのだ。
――ま、だ……だ……
これで戦いを終わらせるわけにはいかない。かろうじてその意志、戦意は痛みと苦しさの中に残っているが体が動かない。
左手に力を入れ、刀の柄を握りしめる。だが意志はそのつもりでも、左手がどこなのか、手の内に本当に刀があるのかさえももうおぼつかない。
それでも、刀を自らの意志で手放し、諦めることはできない。戦わなければならない。体を動かさねばならない。自分は――と彼女に、己自身に誓ったのだ。
しかしどれほどあがこうとも暴力的なまでの痛みと熱に意識は埋め尽くされ、虚ろになっていく。
『……まえ……、ひと……では……』
自分の言葉だったか、それとも誰かの言葉だったか。
はっきりと捉えられない言葉、それは己のあがきの証なのだとそれだけは理解している言葉と同時に虚ろな昏い意識に浮かぶ、白い光。
あれは確か、月――
――月……?
視界に映ったものが意識にあるものとは一致せず、御名方守矢は数度瞬いた。
「……舞?」
「うん」
頷きが戻ったところでようやく、視界にあるのが舞の顔だと守矢は理解した。
同時に、自分が舞に膝枕されていることも理解する。
柔らかで張りのある、舞の腿の感触を否が応でも後ろ頭に感じつつ、
「…………」
「…………」
舞と視線を合わせたまま、暫し。
「守矢?」
「あぁ……いや」
一つ咳払いして守矢は体を起こし、立ち上がった。左手に握ったままだった刀を鞘に納めたところで初めて身体に痛みも熱もなく、息苦しさも消えていることに守矢は気づいた。
「守矢、大丈夫?」
自分も立ちながら心配そうな顔で舞が問う。あぁ、と答えながら改めて守矢は状況を確認する。
マスターと思われる少女を斬りつけ、手応えを感じた瞬間に突如全身に激痛に覚え――そこで、守矢の明瞭な意識は途絶えている。
「何が、起きた?」
舞の様子、そして感じられない気配から、アサシン達は去ったのだということはわかる。だが、それが何故かなのかを守矢は知らない。
「……うん」
曖昧に舞は頷く。
「守矢が、倒れて、それから……」
あの男、アサシンに舞が斬りかかったこと。
守矢を助けるのに間に合わない、そう思った時に舞自身から放たれた光のこと。
光が消えた後、少女を抱いてアサシンが去ったこと。
舞の身を蝕んでいた痛みや苦しみが消えたこと、守矢の様子から守矢もそうだと察したこと。
その後、気を失ったままの守矢のそばに舞はずっといたこと。
それらを自分が理解していることとそうでないことを分けることなく、淡々と舞は語った。
「そう、か」
「……うん」
こっくりと頷く舞の内にある戸惑いと不安の色を守矢は見て取り、その種は去ったアサシンではないことを直感的に理解していた。舞の不安は――
「舞、その光はお前の力か?」
「……違う。あれは、私の……「まい」のじゃない……私の知らない、何か」
ふるふると舞は首を振る。
「光に何か感じたか?」
話を聞いた時点でこのことを慨世に守矢は相談することを決めていたが、仮に舞が光に悪いものを感じたのであればより急ぐ必要が出てくる。
「嫌な感じはしなかった。私のじゃないってわかっただけ……」
そうは言いながらも舞は目を伏せる。悪いもの、嫌なものを感じていなくとも「まい」がいなくなったことに加え、自分の知らない力、光が自分から放たれたのだ。不安になるのも当然だろう。
「舞」
舞にかけた守矢の声の響きはいつもとなんら違いはなかった。
「今日は戻ろう。師匠達に相談すればきっと力になってくれる。
すぐにこのことが解決するかどうかはわからんが、皆お前の支えになってくれよう。
お前は、一人ではない」
ただ、少しだけ饒舌になっていたことがいつもとは異なっていた。
「守矢……」
舞が目を上げる。黒目がちな大きな眼が、じ、と守矢を見つめる。
あの月の夜、守矢から今と同じ言葉をかけた時のように、しかし、あの時に浮かべた戸惑いではなく揺るぎない信頼を宿した眼。
「……うん」
頷いた舞の顔の不安が幾分、不安が和らいだ。
そっと伸ばされた細い手が、守矢の着物の袖を握る。
「守矢も、いるから」
握られた袖を、握る舞の手を守矢は見る。
舞の内心の想いを表したかのように、きゅ、と力の込められたそこを。
だから、守矢は。
「あぁ」
一つ、頷きを返した。
それはいつもと何も変わらないようで、舞にはわかる、確かな応えであった。
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