月下の運命 華の誓い

四の一 消失

 街は、いつも通りだった。
 聖杯戦争などというものが起きている気配は微塵も感じられない。
 もっとも幾つもの世界、時代、次元が入り混じって成り立っているこのMUGEN界では大から小まで日々なんらかの揉め事や諍いが起きているため、今更聖杯戦争の一つや二つ起きたところで大騒ぎする者などいないのかもしれない。
 それだけではなく守矢が知る限りではあるが現在のところ、聖杯戦争に巻き込まれているのはマスターとサーヴァントとその周囲という極めて限定された者達であるということもあるだろう。聖杯戦争に巻き込まれる者の数が飛躍的に増えたり、大きな被害が起きる、あるいは起きそうになった時はこの世界の他の者達も放ってはおかなくなるのではないだろうか。
 それ以外でも、例えば『聖杯』が本当にいかなる願いをも叶えるものだということが広く知られた場合も第三者の介入はあるかもしれない。
 そのようなことになる前に片をつける、と御名方守矢は誓う。現状でも色々と厄介だというのに、余計な手を出してくる者が出てくれば守矢の家族や舞への危険も増える。それは守矢には許すわけにはいかない事態だ。
 片をつけるためにはまずは、守矢や雪達以外のマスターとサーヴァントのことを知る必要がある。ゆえに守矢はランサーと名乗った雪のマスターである男の提案に従い、こうして舞と共に二日前から街を巡っていた。雪とランサーも街の別の箇所を回っている。
 が、今のところ守矢達も雪達も成果は上げられていない。
 この街の広さと人の多さから言えばそれも仕方がない。守矢は焦ることもなく今日も淡々と街を行く。
 それに、気がかりは他にもある。
――……
 ちらと、守矢は隣を歩む舞に目を向けた。
 舞もまた淡々と歩を進めているが、うつむきがちでその表情には不安の陰りがあるのが守矢には見て取れる。
 舞の不安は聖杯戦争を戦うことによるものではないように守矢は思う。舞は舞なりにこの聖杯戦争をどう戦うかを決めている。戦うことに不安がないとは言わないが、あの決意と今の表情は結びつかない。
 それだけではなく、日々陰りの色は濃さを増している。舞は何も言わないがこれもこのまま放っておく訳にはいかない。心に迷いがあっては戦いの時足を取られかねないからだけではなく、守矢が舞を案じているからでもある。
「舞」
 表通りから一本裏へと回った通りへと入ったところで守矢は舞に声をかけた。
「…………」
 視線を向けた舞に短く、単刀直入に守矢は問うた。
「何かあったか」と。
「……っ」
 息を呑んだ舞は顔に驚きの色を浮かべて守矢を見上げ、
「守矢には、わかってしまう」
ぽつんとそう、呟いた。
 呟いたきり、舞はうつむいて黙って歩き出す。
 話したくないわけではなく、どう話すべきかを自分の中でまとめているのだろうと察して守矢も無言で舞の歩みに合わせて歩く。
 通りの端まで歩いたところで舞の足が止まり、ようやく口を開いた。
「……まいが、いなくなったの」
「いなくなった?」
 同じく足を止めた守矢は思わず問い返す。
 『まい』とは舞の持つとある力が具現化した存在で、幼い頃の舞の姿を取っている。普段は姿を消しているが、必要な時や舞が喚んだ時、それから『まい』本人が何か用があるときには姿を現す。
「うん」
 こく、と舞は頷く。
「いつからだ」
「……わからない。でも、マスターになってからまいの気配を感じてないのは、確か。
 昨日喚んでみようとして、駄目だった。今日も」
 そこまでいつもと何ら変わらない口調で話した舞だったが、ふっと顔を伏せた。
「こんなこと、初めて」
 きゅ、と舞の両の手が握りしめられる。
 言葉や表情どころか、仕草でさえ感情を示すのが苦手な舞だ。その舞が顔を伏せ、手を握りしめる――それだけ舞の抱える不安が大きいということ。
 『まい』が舞の側に在るようになるまでには紆余曲折あり、かつては『まい』を、自分の力を舞が拒んだこともあった。それでも今は自分の一部として舞は『まい』を大切に思っているのだ。
「……舞」
 低く舞の名を口にした守矢の声は、普段と何ら変わりなく響く。
 守矢は舞の『まい』への気持ちを知っている。だからできるならば舞の不安を拭ってやりたいが、舞に負けず劣らず守矢は想いを表にするのを不得手としている。それに、舞自身にさえ原因のわからない『まい』の消失を自分が簡単にどうにかできるなどと守矢は思わない。一応、家に戻った際に師達に相談しようとは思っているものの、解決に近づくかどうかは難しいところだろう。
 故に、守矢が言えたのは。
「わかった」
 その一言だけだった。
「……うん」
 舞が顔をあげ、守矢を見る。
「わかった」
 こっくりと頷いたその表情は、安堵の色と共に少し和らいでいた。
「そうか」
「うん」
 舞の黒目がちな大きな目に浮かぶ色は、守矢への信頼。
 それを真っ直ぐと受け止め、守矢は「行くか」と促そうとし――言葉を切った。
――サーヴァント。
 サーヴァント故に感じられる、他のサーヴァントの気配。かなり近い。
 唐突に出現したこの気配を守矢は知っている。
「見つけた?」
 守矢の様子に気づいた舞の表情もすっと戦う者のそれへと変わる。
「あぁ」
 一つ頷き、守矢は感じた気配の方へ向けて歩き出す。舞もすぐ後に続く。
 守矢が動き始めると同時に、気配も動き出す。姿は見せず、つかず離れず、その存在だけを感じさせている。
 意図は明確すぎるほどに明確だ。
――誘っているか。
「…………」
 守矢は足を止め、舞を見る。
 それは守矢の迷いが故。
 聖杯戦争を生き抜くため、舞が望み守矢の目的ともなった「聖杯を破壊する」を叶えるためにも他のマスターとサーヴァントのことは把握しておく必要はある。だが今追っているサーヴァントは守矢の勘違いでなければこちらに敵意を持っている可能性の方が高い。このまま舞を危険とわかっている場へ連れていくべきか。
「大丈夫」
 守矢に並んで足を止めた舞はきっぱりと言った。
「やるって決めたことはやる。守矢だけに任せたりしない」
「……承知」
 舞の覚悟を前に、守矢が迷う必要はもはやない。
 守矢は再び歩み出す。その隣を舞が行く。
 守矢の様子を窺うように止まっていた気配も、先と何ら変わることなく動き出した。

 気配を追う内に、守矢と舞は裏路地へと足を踏み入れていた。
 表通りとは空気が一変し、ここが「平穏な日常」とは一線を画した場であることを二人に突きつけてくる。
 追ってきた気配の主は未だ姿を現さず、裏路地の奥へ奥へと二人を誘う。奥へ行くほど空気に混じる不穏な感覚は増し、自然と二人の歩みは慎重なものになる。
「……っ」
 感じた新たな気配に不意に守矢は足を止めた。
――雪……?
 感じたのは「サーヴァント」の気配。それは守矢の義妹であり、今は「ランサー」のサーヴァントである雪のものと、もう一つ知らないサーヴァントのもの。
 雪達もまた、他のサーヴァントに遭遇したということなのだろう。
「守矢?」
「…………」
 雪がどんなサーヴァントと対峙しているかは気にはなるが、ここまで踏み込んだ以上、守矢達はそちらに向かうわけにもいかない。今あの気配に背を向けるのはまずい、と守矢の直感が警告してくる。
「今は――」
 進む、首を振ってそう言いかけた守矢の言葉は続かなかった。
 空気が変わる。表通りから裏路地へと入った時の比ではない。文字通り空気がほんの一瞬前とは異質なものに変わった。人通りが少なくとも、一瞬前までの裏路地には人の存在を感じさせるものがあったが今はない。この場は生きた人のための場ではない。
 微かに薬臭いにおいも漂っているように守矢は思う。
「気をつけろ。敵の内だ」
 舞に告げた守矢の手は既に刀にかけられていた。
 さっきまで感じていたあのサーヴァントの気配は失せている。唐突に現れたことといい、あのサーヴァントはサーヴァントの気配感知能力からさえも自在に己を隠せるのだろう。
 そんな能力があるのはおそらく――
――アサシンのクラスか。
サーヴァントとして与えられた知識の中から、そのような能力を持っていると思われるクラスを守矢は推測する。アサシンのクラスならば、あの日対峙した者の特徴にも当てはまる。
「……っ」
 薄暗い裏路地で鋼の銀が閃く。鈍い感触が守矢の刃を振るった手に伝わる。
――受けはしたが……
「へぇ」
 場違いなまでにかわいらしい少女の声が、姿を伴わぬままに響いた。
「麟が見えてないはずなのに、よく受けたわね。
 でもね……」
 感心しているようだった少女の無邪気な声が、一転して怒気に満ちる。
「あなた達はこの譫妄(せんもう)空間、君影毒の陣(コンバラリアガーデン)でおしまいなんだから。
 この前の借りも返すんだから……覚悟することね!」
 

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