月下の運命 華の誓い

三の四 港の戦い

 二条の槍が空を唸らせる。
 きぃん、と澄んだ音と共に二人を閉じ込めようとした緑の光輪が砕け散った。
「またこれか」
 西日の差す中、砕け消えていく緑の光をうんざりとした顔で見やったランサーは肩をすくめた。
 黒い翼の少女と海賊姿の二人を追ったランサーと雪が辿り着いたのは港のコンテナ置き場だった。着いた時には太陽はもう西の空に大きく傾いていた。
 ビルのように積み重ねられ、並んだコンテナの間を進むうちに何度かあの緑の光輪の罠が二人を襲ったがそのたびに切り抜けてきた。見た目こそきれいだがおそらく閉じ込められればろくなことにはならないであろう光輪は、二人が通るルートを見越したかのごとくかわしにくい――即ち罠から逃れるためには破壊せざるを得ないように設置されている。
 破壊すればそれだけ時間がかかるし、いくらかは消耗する。その上破壊したことが相手に伝わるかもしれない。
――策に長けた奴、のようだな。
 仕掛けられているのはこの光輪の罠だけではなかった。この辺り一帯に人払いの結界までも張り巡らされている。マスターとサーヴァントには意味を為さないが、そうでないものはここに近づこうという気すら起きないだろう。
 相手に感心はしてもこの罠が鬱陶しいことには変わらない。
「ったく、幾つめだ」
「五つよ」
 腹立たしげなランサーとは対照的に、冷静に雪は答えた。裏路地で感じた守矢や他のサーヴァントの気配のことからはとりあえずは意識を切り換えているらしい。
「よく数えてるな」
「別に数えようと思ってのことじゃないわ」
 表情を変えることなく答え、雪は周囲を見回す。
「もう近いわね。サーヴァントの気配を二つ感じる」
「だな。しかももうおっぱじめてるか」
 ランサーにはサーヴァントの気配こそ感じられないが、戦いの音、大気を震わす力の気配は十分わかる。
――そっちか。
 方向を確認し、これまでよりは慎重にランサーはコンテナの間を進んでいく。雪はその隣に並んで進んだ。
 進むにつれて戦いの音――剣戟の響き、爆音、轟音、その他様々――はどんどん明確に、大きくなっていく。
――待て。
 並ぶコンテナの端まで来たところで、ランサーは手の動きで雪を制した。コンテナの陰から外の様子を窺う。

 普段はコンテナを運ぶ車が通る道なのだろう。それなりの広さのあるその道路は、今や戦場と化していた。
「ゆけ!」
 コンテナの上に陣取った緑の鎧の男が腕を振るえば、その号令一下、手に槍を構えた兵が次々とどこからともなく出現し、海賊男に向かって突進していく。
「相変わらずのやり口だな、あんたはよぉっ!」
 怒りに満ちた叫びを上げ、海賊男が槍を振るう。突進する兵達がたやすく薙ぎ払われるのと同時に、
「シュプリマシオン!」
水柱が噴き上がり、更に兵を吹き飛ばす。水柱を操っているのは男の後ろで書物を開いた海賊姿の女か。
「…………」
 緑の鎧の男は眉一つ動かすことなく再度手を振るった。先程の倍以上の兵がまた海賊男へと突進していく。
「いい加減にしやがれっ!」
 海賊男が碇槍を投げた。その上に飛び乗った男の突撃する先は言うまでもなく、緑の鎧の男。
 突進する碇槍が進路を防ぐ兵を蹴散らしていく。それでもなお襲い来る兵は、女海賊が放った無数の幽霊のような何かが吹き飛ばした。
「大将が後ろで隠れてるんじゃねえ! 毛利元就ぃ!」
「将は軍の要、みだりに前に出るは愚かよ。
 その程度のことすらわからぬ海賊風情に聖杯は渡せぬ、長曾我部元親」
 迫る海賊男――長曾我部元親に感情を感じさせない声で言い放ち、緑の鎧の男――毛利元就は「小鴉!」と叫んだ。

――決まるか。
 槍をランサーは握り直した。あの一手で決まれば、次は既にこちらに気づいているだろうあの毛利元就というサーヴァントとの一戦になるはず。ゆえに今はこうして見ているだけとはいえ油断はならず、一瞬たりとも気は抜けない。
「あの子……?」
 だが耳に入った雪の呟きには、次を見越した緊張はまるで感じられなかった。そこにあるのは怪訝さと心配の色。
――なんだ?
 雪を見やれば、道を挟んで反対側、ランサーと雪がいるのと同じようなコンテナとコンテナの間を見ていた。
 正しくはそこに見えた、ハチミツ色の髪で体にぴったりとした濃い緑色の服を着た少女を雪は心配そうに見ている。
「……いけない!」
 雪が、駆けた。
 理由は明らかだ。
 少女の周りに突如出現した、今日五度も見た緑に輝く光輪。
――チィッ!
 ランサーの逡巡はほんの一呼吸の間もない――

「はぁい!」
 元就の背後――おそらくはコンテナの向こう側から、小さな影、黒い翼の少女が飛び出す。元親に向けられた少女が構えた右手の棒の先は目映い閃光を宿し――
「いっけえぇぇぇぇっっ!」
 無邪気そのものの声と共に、熱線が放たれる。

 強烈な光が場を照らし、轟音が空を震わせる。熱を含んだ大気がもがき、誰かの雄叫びとも絶叫ともつかぬ声が遠くに聞こえる中、雪は駆けた。幸い、兵達はほとんどが海賊の二人に倒され、残った数少ない兵も走る閃光のせいで雪に気を払う余裕はない。
 緑の光輪に閉じ込められ、立ち尽くしたハチミツ色の髪の少女は困惑の色が濃い。まだあれの危険性には気づいてはいまい。気づいていたとしても、どうしたらいいかわからずにいるように見える。そんな少女を雪は放ってはおけない。
 その後をランサーは追う。雪を止めて説得するのは手間だ。ならば傍でフォローするしかない。
――面倒かけてくれるぜ。
「はぁっ!」
 声と共に雪の槍が一戦し、緑の光輪を打ち砕く。消えていく光輪の破片の中雪は少女に歩み寄り、
「大丈夫?」
と、優しく声をかけた。

「あんたのやり口は知ってるんだよ、毛利元就ぃ!」
 天より元親の声が響く。
 見上げれば、長曾我部元親の姿がそこにあった。黒い翼の少女の攻撃が来ると察知した瞬間、槍を蹴って咄嗟に上へと飛んだのだ。瞬時の判断力とそれに応えうる身体能力、何よりその言の通り毛利元就の戦い方を知る元親だからこそ今の攻撃をかわせたのであろう。
 落下しつつ、元親が手にしていた鎖を強く引けば、じゃらりという音と共に碇槍がその手に戻る。槍を構え、元親は元就へと襲いかかる。
「もらったぜ!」
「させないよ!」
 黒い翼の少女が、右手を元親へと向ける。
「シュバルツェール!」
「きゃうっ」
 しかし少女の腕から熱線が放たれるより早く、光をまとった巨大な砲弾の如きものが少女をはじき飛ばした。
「お嬢ちゃんは引っ込んでおいで」
 コンテナの上に降り立った光をよく見れば、それは女海賊。
「おおおおおっ!」
 西日を浴びながら、元親が槍を元就へと振り下ろす。
「甘い」
 冷ややかに、氷の彫像のような相貌を僅かも乱すことなく呟き、元就は腕を振るった。
 ぎぃん、と重い音が響いたのはその直後。
「チッ」
 舌打ちして元親は後方へと飛び、コンテナの上に着地した。
「我が策があれで終わりなど、何故貴様如きが見定められる?」
 元親を見据える元就の手には、いつ現れたのか円形の巨大な刃――輪刀がある。それを元就は天へと――まるで沈み行く太陽の代わりのように――かざした。
「なに?」
「我が弓箭として出でよ、終局采配・天津日の兵よ(ヘリオス・フォース)!」

「あ、ありがとうございます……」
 ハチミツ色の髪の少女は、どこかおどおどとした様子で雪に頭を下げた。
「ここにいては危ないわ。早く離れなさい」
「…………」
 雪が促すがしかし、少女はうつむいて首を振る。
「どうして?」
「こいつがマスターだからさ。違うか?」
 雪を追ってきたランサーが言う。当てずっぽうではない。確信あってのことだ。
「えっ」
――やっぱりサーヴァントとは感じてねえか。
 雪が何も感じていない以上、この少女はサーヴァントではない。だがこの場所には今はマスターもしくはサーヴァントしか入れないはずなのだ。そうなれば残る解はただ一つ。
「…………」
 少女はうつむいたまま、赤いグローブをはめた左手で青いグローブをはめた右手を握りしめる。その沈黙が、ランサーの問いへの回答になっていた。

 コンテナの上に、その狭間に、ずらりと緑の鎧の兵が出現する。手に槍を、弓を構えた兵達の数、少なく見てもこれまでに出現した総数のゆうに数十倍。
 西日に真っ赤に染まった空には、半径百メートル以上はある巨大な緑の光輪が現れ、地へと舞い降りてくる。
「こいつは……」
「ちょいと厳しいねえ」
 それらの様を目にした元親の、女海賊の顔に余裕の色はない。
「こっちも奥の手と行くしかないようだな、ルビィ」
「ギリギリがいいとこだろうけど、それしかないようだね」
「ギリギリだからこそ、やりがいがあるってもんさ。特にあいつ相手ならな!」
 じゃらん、と鎖を鳴らし、先の元就のように元親は天へと碇槍を振り上げた。

「逃げて」
 うつむいたままの少女が不意に、口を開いた。
「なんだと?」
「逃げて、ください。ここにいては駄目なんです。危ないんです」
 ばっと顔をあげ、雪を、ランサーを見つめて少女は必死に訴える。
「あなたの言う通り、私、マスターです。もうすぐここに楓が……私の、サーヴァントが来ます。そうしたら大変なことになるんです。あっち人達にも伝えなきゃいけないんです。だからお願いです、あなた達は、早く逃げてください!」
「待って」
 少女が言うことに嘘はないと雪は思った。理由はない。少女の必死さがそう思わせた。だがどうしても引っかかることが少女の言葉の中にはある。
「あなた、今楓って言ったわね」
 楓。それは聖杯戦争と関わる何かのせいで深い眠りの中にある雪の義弟の名。少女の言う「楓」と義弟が関係があるかどうかはわからないが、ただ偶然で出たとは雪には思えなかった。
「楓があなたのサーヴァントって……っ」
「雪」
 雪が問いを切ったのはランサーが制したからではない。
 三人の周囲にも緑の兵達が出現し、武器を向けてきたからだ。
「こいつらだけならともかく……」
 ちらりとランサーが視線を向けた空からは、巨大な緑の光輪が近づいてくる。
「ちょいとやっかいだな」
――これだけの規模ってことは、宝具か。
 ランサーも雪も、武器はまだ構えない。うかつに動けば槍と矢が一斉に襲ってくるだろうことは容易に察することができた。
 それでも雪は、少女を精一杯かばえる位置へとゆっくりと己が身を滑らせる。彼女がマスターであり敵対する可能性があろうとも、今は、見捨てておくことなど出来なかった。

「出番だ、野郎ども! 一領……あん?」
 碇槍をかざし、号令を掛けようとした元親の言葉が途切れる。
「なんだこの気配……」
「……サーヴァント……だと?」
 元親の言葉を途切れさせたものと同じものを感じたか、周囲へと視線を巡らす元就の眉が、不快げに寄せられている。
「元就、なんか、やな感じがする……」
 吹っ飛ばされた状態から戻ってきていた黒い翼の少女が不安げに元就を見上げた。
 異変を感じたのは彼らだけではない。女海賊、ランサーと雪は言うに及ばず、元就の兵達までもが武器を構えたまま周囲を見回している。
「駄目、楓……っ」
 胸元で手を握り合わせ、苦しげに、悲しげにハチミツ色の髪の少女が目を閉じた。
 

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