月下の運命 華の誓い

Saber - Moon Destiny

 光よりも闇を多く抱き始めた月が、ゆるゆると西の空に沈んでいく。
 月を送るかの如く、じょう、じょう、とどこかもの悲しい琵琶の音が夜気を震わせる。
 ひらり。
 沈みゆく月の光を弾いて煌めく白刃が、やわらかな琵琶の音に合わせるように翻る。
 刃を操るは紅い髪の眉目秀麗な剣士――即ち、セイバーのサーヴァントである御名方守矢。
 活殺逸刀流の基本の太刀を次々に振るう、それだけであるというのに流麗な守矢の動きは見る者あれば皆見入らずにはいられないだろう。それほどのもの――月の如く冴え冴えとした美しさ、凛然さが守矢の剣技にはある。
 どれほどの間、閃き、翻り、舞っていたのか――ふとした瞬間、白刃は流れのままに、しかし唐突なまでにあっさりと鞘に収まっていた。
 そこで初めて守矢の動きが停止する。
 残心。
 裾や袖、髪の揺らめき、呼吸、鼓動。刃だけではなくそれら全てを収め、真の意味で「終える」までの僅かな間。
「…………」
 守矢は刀の柄から手を離した。ふう、と一つ長い息を静かに吐く。
 じょう、じょう、と流れてくる琵琶の音の中に息はほどけて消えていく。
 守矢は紅い眼をそこへと向けた。
「守矢」
 それを待っていたかのように、声がかけられる。
 声の主は浴衣姿の舞。湯上がりなのだろう、その髪がまだしっとりと湿っているのが沈みかけの月の光の中でも窺えた。
 いつから舞はそこにいたのか、いつから守矢は舞に気づいていたのか。共にそのようなことを確かめ合うこともない。守矢は当然のように舞を見、舞は当然のように守矢の視線を受け止める。
「お風呂、あいた」
「そうか」
 頷き、守矢は歩き出す。何も言わず舞はその隣に並んで歩く。
 その歩みが、ほんの数歩で同時に止まる。
「……舞」
「守矢」
 同時に発した言葉に、守矢と舞は同時に言葉を切る。
「守矢が先でいい」
 僅かな間もなく、舞が先を譲る。ならば、と守矢は口を開いた。
「先刻、何故師匠の申し出を受けた」
 守矢の言う申し出はこの家を拠点とすることだ。しかし舞はすぐにそこまで思い至らなかったのか、きょとんとした様子で黒目がちな目をぱち、ぱちと瞬かせた。
 ややあって気づいたか、舞の眼に理解の光が浮かぶ。
「守矢は一人になっちゃだめだから」
 む、と低く守矢は唸った。何か、不意に胸の奥を突かれた思いである。
――……マスターとサーヴァントは共にあるものらしいが……
 不意を打たれた感覚に、取り繕うようにそう思いもするものの舞もそのことはわかっているだろうし、彼女が言いたいのはそういうことではあるまい。
「……そうか」
 結局、守矢はそう言うことしかできなかった。だが決して、不快な思いはない。舞の言葉はどこか嬉しくもある。
 例えるならば、闇夜に浮かぶ同じ月を見上げる者がいた、それを知ったような、嬉しさ。
 舞が守矢の答えをどう聞いたかはわからない。舞の表情はいつもと同じだ。ただ、うん、と一つ頷く。
「それに、雪さんが近くにいる方が守矢も安心」
「そうだな」
 聖杯とやらを巡って争う七騎のサーヴァントに己と同じく選ばれてしまった義妹のことは守矢の気がかりの一つだ。
 故に、マスターであるあの男は油断はならないものの当面のところ雪と戦わずにいられるようになったことと、拠点を同じくすることでその状況を知る機会が増やせたことは確かにありがたいと守矢も思っている。
 そこまで考えたところで思考を切り換え、守矢は「舞」と呼びかけた。舞からも守矢に言うことがあったはずだ。
「うん」
 頷くが、舞はじっと守矢を見つめている。その大きな目には強い決意の色があるように守矢には見えた。
「……守矢」
 真っ直ぐに守矢を見つめたまま、舞は言った。
「聖杯、壊そ」
 守矢は、舞の視線と舞の言葉を無言の内に受け止める。守矢が思いもしなかったことであったが不思議と、驚きはなかった。
「ずっと考えてた。
 この戦いは聖杯のせい。だから聖杯が無くなればきっと終わる」
 聖杯が無くなれば誰も戦う必要もなくなる、誰も傷つかなくていい。舞の眼差しは言葉に続けてそう訴える。
 なるほど、道理である。聖杯を巡る戦いに巻き込まれたのならば、元凶が無くなればいい。だがそうは言ってもそれは決してたやすいことではない。
「……聖杯を探すのは難しい。どこにあるのかどころか、どんな形をしているのかすら私達は知らん。
 また私達がそれを目的としたことを他者に知られれば、聖杯を欲するマスターやサーヴァントはより苛烈に私達を襲うことになろう」
 雪とそのマスターであるあの男は聖杯を欲してはいないとはいえ、他のマスターとサーヴァント達がどう考えているのかはまだ全くわからないのだ。
 達成することが難しく、また単純に聖杯戦争を戦うより更に危険になる「聖杯の破壊」という目的への懸念を守矢は淡々と指摘する。舞の意見に異を唱えるつもりではない。考えられる問題を上げただけのことである。
 そうは言っても舞がしたいと望んだことの困難さの指摘には変わりない。
 にも関わらず、それを聞かされた舞は何やら嬉しそうで、それでいて憂いの色が見えた。舞をよく知る者でなければわからない程度の表情の変化であったが、守矢にはしかと感じられる。憂いは困難さに向けたものとして、何故嬉しそうなのか。
「舞?」
「守矢、「私達」って言った」
 さすがに怪訝に問うた守矢に、舞はそう答えた。嬉しそうで、それでいて憂いている色が濃くなる。
「……そうか」
 舞は察したのだ。そして守矢もまた、自覚した。
 御名方守矢は川澄舞の願い、決意を最初から受け入れているのだと。
 だから守矢は舞の言葉に驚きはしなかった。だから「私達」と言った。けっしてセイバーのサーヴァントとそのマスターという、押し付けられた運命共同体だからではない。
 ならばもう、問うことも指摘することもない。
 じょう、じょうと優しい琵琶の音が遠く響く中、守矢は言った。
「聖杯を見つけ出し、破壊する。それが私達の目的だな、舞」
「うん」
 こっくりと舞は頷いた。地の端に触れた片羽の月の光に見えるその顔からは憂いの色も嬉しさの色も消えている。あるのは決意と守矢への信頼だけであった。
 

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