月下の運命 華の誓い

二の四 琵琶の音

 じょう、じょうという音が夜気の中へと流れ、溶けていく。
 しなやかでたおやかで、弾き手の魂を映したかのようなその音色は、それ故に不安に揺れているようにも思える。
「雪は、琵琶の心得があってな」
 開け放された障子戸の外、夜の空に輝く月――それが抱く闇は昨夜より増え、半分を超えた――を眺めやりながら、慨世が呟く。
「ほう、武のみならず楽もたしなむか……さっきのメシもうまかったし、できた女だな」
 ランサーのサーヴァントに選ばれるだけのことはある、そう言葉を続けるランサーもまた、闇を抱く月を見ている。月はもう、西の地平にほぼ沈みかかっている。
 ランサーと雪も、守矢と舞も、昨夜は戦いがあったことだし今日はゆっくりとして明日からに備えるのがいいだろうという慨世の勧めに従って先刻話がついた後、この家でのんびりと過ごしている。
 雪の弟と少女の様子を看ていた朱雀の守護神とその使い魔――慨世から一応ランサーも紹介された――がひとまず帰ったあと、雪の作った夕食を取って風呂にも入ったところである。湯上がりにランサーは借りた浴衣を着ていた。
「うむ、自慢の娘だ」
 禿頭巨漢の男にはいささか似合わない、だが一人の父親としては実にらしいはにかみを面に表して慨世は頷く。
 じょう、じょうと琵琶の音が、やさしくやわらかく空を震わせる。
 その音は空にある欠けた月をも癒すかのようだ。
 己の内に不安を抱えながらも、他者への慈しみを忘れない魂そのままの音色――
「自慢であるが故に、心配でもある」
 月を仰いだ慨世の顔にはもうはにかみはない。我が子を案じる父親の顔をしている。
「親ってのはそんなもんだろ」
「……うむ」
 ランサーにそんなことを言われたのが意外だったのか、あるいは他の理由からか、慨世は何やら難渋な顔つきになっていた。
「それでな、聞いておきたいことがある」
 その難渋な顔のまま、慨世は問う。
「なんだ?」
「昨夜、お主は襲われていた雪と出会い、主従の契約を結んだのであったな」
「あぁ」
「その後はどうした」
「ファミレスでコーヒー飲みながら互いの状況について話をしたな。その時にここに来たいって雪が言った」
「その時何故すぐ来なかった」
「夜も遅かった。街からここまでの距離を考えるとさすがにな」
――まったく、親ってのはこんなもんだよなぁ。
 慨世の問いの意味を察し、ランサーは密かに苦笑する。
――時代も国も違っても、変わりやしねえ。
 一人納得するランサーを怪訝な顔で慨世は見ていたが、
「うむ……守矢もそのように言っておったが……」
溜息混じりに呟いた。昨夜、アサシンと思われる者達に襲われていた守矢達もこの家に戻ったのは夜が明けてから、ランサーと雪が訪れる少し前のことらしい。
 襲撃を受けた直後に街外れのこの家まで向かうのは良策とは言い切れない。戦いの疲弊もあり、再度の襲撃が無くてもつけられる可能性はある。別のマスターとサーヴァントの襲撃を受けたこの家だが、他の者に知られる可能性は少ない方がいい。
 それを慨世もわかってはいるのだろうが子供達が心配なのだろう。守矢も雪ももう一人前であろうが、それでも心配になるのが親心というものだ。
「それで、だが」
「その後か」
 真剣なものに表情を戻した慨世の言葉を、ランサーは先取った。
「心配すんな、手頃な漫画喫茶で休んださ。本当はどっかに宿を取れればよかったんだが、時間も時間だったしな」
「漫画喫茶……?」
 漫画喫茶をよく知らないのだろう、むうと唸って慨世は首を捻る。
「あぁ。
 ちゃんと寝れる設備のあるところを選んで部屋も別々だ。あんたの心配するようなことはねえよ」
「そうか……うむ、ならば……」
 何やら不満げながらも頷いた慨世の顔を横目に、ククッ、と小さくランサーは笑った。
――あんたの娘はいい女だがな、ありゃなかなかの難物だ。やり方は選ばねえとな。
 出かかったその言葉をどうにか引っ込めたのを誤魔化すために。
 それでも不審の気配を感じたか、じっ、とランサーの魂胆をなんとか見透かさんとするかの如く慨世は見据えてくる。
「あぁ、いい音だねえ」
 その視線を受け流し、ランサーは琵琶の音に耳を傾けた。
 琵琶を奏でる内に雪の心も落ち着いてきたか、音色の揺らめきは随分と治まっている。
 しかし揺らめきが完全に失せることはないだろう。
 聖杯戦争が続く限り――即ち、雪とその義兄、御名方守矢がサーヴァントである限りは。
 先の話の時の雪の様子――彼女はランサーの言葉の何に反応していたか、誰をその湖水の瞳は見ていたか――がそうだと示している。
 それは厄介の種となる可能性はある。女の気持ちが戦場を動かす、時として狂わせることなど珍しくもない。ランサーのかつての生は女に振り回され続けてきたと言っても過言ではない。
 その過去があるからこそ、ランサーの口の端には笑みがある。
――厄介なことになったら、その時はその時さ。
 それはそれで面白いことになる、かもしれない。先の見えない戦いの行く末、共に戦う者の心の様に恐れどころか期待を胸に抱き、ランサーは沈み始めた半分の月を見送った。
 

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