月下の運命 華の誓い

二の三 槍と剣

 雪が行きたいと言った場所は彼女の家であった。
 そこで共に暮らす養父や義理の兄、弟達と話がしておきたい、巻き込む気はないが余計な心配をかけないようにしておきたいのだという。命懸けの戦に出る以上、その心情はもっともだろう。
 加えて、雪の養父はこの世とあの世の境界を守る守護神の一人らしい。聖杯戦争に関して何か気づいたことが聞けるかもしれないとも雪は言っていた。
――この世とあの世の境界を守る者、か……どこにでもそんな役目を負わされる奴はいるもんだな。
 脳裏をよぎったあの女の姿に、ランサーはほんの僅か、遠くを、かつての生の記憶を見る。
 それは、残してしまった悔い。救って――殺して――やれなかったあの女。
 今もあの女は懐かしき影の国、現世より切り離されたかの地に在るのだろうか――そう思ったことをランサーは感傷と切り捨てる。思ったところでもう、どうすることもできないのだ。
 悔いも苦い記憶も愛槍と共に永遠に残っていく。
 あの女のことも、友のことも、我が子のことも、全て。終えた生をやり直すことはできないのだから。
「……チッ」
 ランサーは乱暴に自分の頭をかき、感傷全てを振り払う。
――くだらねえことを考えちまったぜ……
「……ん?」
 思考を切り換えたランサーは、隣を歩いていた雪の姿がないのに気がついた。
 振り返ると数メートル後ろで雪は足を止めている。布にくるんだ愛槍――銘は「牡丹」――を胸に押し当て、じっと前を凝視している。
――……なんだ?
 雪の視線を追えばほど近いところにある一軒の家に行き着く。田畑に囲まれたのどかな風情のあれが確か雪の家、向かっていた目的地のはずだ。
「家がどうかしたのか?」
「…………」
「おい!」
 答えない雪にランサーは歩み寄る。しかし目を見開いた雪は呆然と呟くのみだ。
 「サーヴァントが、いる」と。
――サーヴァントか。
 ランサーの表情が変わる。既に戦士の顔。思考はそのあとに追いついてくる。
「いるのはお前の家か」
「……っ」
 顔を強張らせ、肩をびくりと震わせたが、雪は、小さく顎を引いた。信じたくない、その湖水のような目が訴える。
 されどサーヴァントはサーヴァントの気配を感じることができるのだ。ランサーのサーヴァントである雪が「いる」と感じたならば、それに間違いがあるはずがない。
 サーヴァントは雪の家にいる。
 いる理由はいくつか思いつくがもっとも可能性が高いもの――雪が己の感覚を否定したい理由――は、あの家にいる誰か、即ち雪の身内がサーヴァントであること。
 関節が白くなるほどに強く愛槍を握りしめた雪がランサーから自分の家へと視線を戻す。足は動かない。
――……よくねえな。
 サーヴァントが雪の家にいることではない。よくないのは今の雪の状態だ。この状態ではあの家にいるサーヴァントが推測通り雪の身内ならば、対峙しても雪はまともに戦えない。
 雪が気づいているのだからあの家のサーヴァントもこちらに気づいたはず。どうするかは迅速に決めなければならない。
「あぁ……」
 悲痛な声を雪が洩らす。湖水の色の眼が大きく見開かれる。
「もりや……」
 悲しみと絶望と共に雪が見つめるのは、屋内から現れた黒いコートをまとった紅い髪の男だった。おそらくは「御名方守矢」という名の雪の義兄だろう。その後ろには赤い服を着た少女が一人。どちらも、僅かも迷うことなく真っ直ぐに雪へと視線を向ける。
「…………」
 つ、と守矢が足を踏み出した。視線と同じく迷いのない足取りでランサー達の方へと向かってくる。少女は少し遅れてその後に続いてくる。
 守矢の右腰には――どうやら左利きのようだ――刀が一振り。少女の手にも剣が見える。
――雪の反応からしてサーヴァントは男の方か。得物からすればセイバーか……穴でアサシンってところか。
 ランサーのその手に赤の魔槍が出現する。守矢と少女から敵意や殺気はまだ感じない。これは一つの問いだ。
「待って、どうするの」
 問いの答えはすぐに返る。ランサーの予想通りに狼狽を伴った問いとして。
「あいつらはサーヴァントとマスター。そいつらが近づいてくるんだ、備えるのは当然だろうが」
「でも、そんな……」
 雪の視線がランサーから近づいてくる守矢と少女へ、自らの槍へ、そしてランサーの包帯を巻いた左腕――令呪のあるそこへとめまぐるしく動く。
「……できないわ……」
 弱々しく雪が呟いたのと、守矢と少女が足を止めたのは全く同時だった。距離は丁度、槍の間合いより一歩外。
「セイバーのサーヴァント、御名方守矢」
 低く静かに守矢が告げる。その紅の眼は雪とランサーの双方をひたと見据えている。鉱石を思わせる紅い色にふさわしい冷然とした眼差しからは守矢が何を考えているのかわからない。
「ランサーのサーヴァントとそのマスターだ」
――こいつ、強いな。
 隙なく無駄のない物腰、口調や眼差しから感じ取れる御名方守矢の強い意志――それらから、ランサーは守矢の技量を量り取る。
――嬢ちゃんの方も腕に覚えはあるか。
「そっちは嬢ちゃんがマスターだな」
「うん」
 ランサーがいささか拍子抜けするほどあっさりと、少女は頷いた。
「師匠の元に報告に来たか」
「……ええ。あなたも……?」
 どうにか発した、そんな響きの雪の声の中にはいささかの驚きが混じっていた。何かは不明だが雪には意外なことがあったらしい。
「あぁ」
 頷く守矢の声も表情も変化はない。変化のないまま――守矢は踵を返した。
「守矢……?」
「師匠は家にいる。お前が知っておくべき話もある」
 それだけを告げ、守矢は来た道を引き返していく。背を向けても守矢に隙は見いだせない。
 少女は一度雪を見て――感情の薄い少女であったが、その眼には雪を気遣う色が確かにあった――守矢の後に続く。
 雪は歩みゆく二人を立ち尽くして見つめている。その眼に揺れる安堵とそれでも残る悲しみと、寂寥の色をランサーは見た。
――……そういうことか。
 ふうんと一つ鼻を鳴らし、ランサーは「行くか」と雪を促す。その手に既に魔槍はない。守矢にも少女にも戦意はなく、雪にもない。そも、今回の魔槍の役割は雪への問いのみ。用を終えたものはしまっておくのがいい。
 今は話を聞くときだろう。
「え、ええ……」
 戸惑いを見せつつ頷く雪の背を軽くぽんとランサーは叩いてやる。それで何か呪縛が解けたかのように、雪の足が一歩動いた。その隙を逃さずランサーも歩き出す。
「向こうに戦う気がないなら、今は事を荒立てる必要はない」
 あいつとは是非一戦やってみたいが――低く呟いた言葉は、幸いと言うべきか雪の耳には届かなかったらしい。
「でも、だって、備えるって」
「そりゃ備えるのは当然だろう。オレ達もあいつらもマスターとサーヴァントであることには変わりはねえ。魂胆のしれない内は油断はしないもんだ。
 だがな」
 ついてくる雪を振り返り、ランサーはニィ、と笑ってみせた。
「オレは、「敵に備える」とは言わなかったぞ」
 あ、と小さく雪が声を洩らす。
「そんなの、そんなのって……」
「怒るな怒るな。敵ではないがまだ味方とも決まった訳じゃないことは確かだろ。備えはなんにしろ必要だったさ」
 あんたの気持ちも確認しなきゃいけなかったしな、とランサーは口の中で呟く。予想通り、ランサーの見立て通り、雪は身内との戦いを躊躇う。確固たる理由があれば別だとランサーは見ているが、聖杯戦争は彼女にとっては身内に刃を向ける理由としては弱いだろう。御名方守矢――セイバーがランサー達と敵対することになった時、雪が戦えるかどうかは怪しいところだ。
――あいつの様子からして、雪にとって悪い方にすぐ転がりはしないだろうが……どうするかは、話を聞いてからだな。


「そうであったか」
 雪の話を聞いた慨世は嘆息し。
「……そんなことが……」
 慨世の話を聞いた雪は目を伏せる。
――兄弟全員が聖杯戦争に関わっちまったのか。戦じゃ珍しくない話とはいえ、因果なもんだな。
 ランサーはこの場にいる面々を見渡した。
 ランサーのサーヴァントである雪と、そのマスターである自分。
 雪の養父であり、黄龍の守護神である慨世。
 雪の義兄であり、セイバーのサーヴァントに選ばれた御名方守矢。
 守矢のマスターである、川澄舞。
 聖杯に関連することが原因だという推測はあるものの、詳細は不明のまま昏睡状態にある雪の義弟――青龍の守護神でもあるという――の楓と、京堂扇奈という名の少女は別室に寝かされている。
 部屋に漂う沈黙は重い。身内が聖杯戦争などというものに巻き込まれ、内二人は敵対の可能性を含んでいるという状況なのだから当然だろう。
 その沈黙を破ったのは、慨世であった。
「ランサー、でよかったかな」
 慨世の眼はランサーを見定めんと見据えている。
「あぁ、それでいい」
 真っ向からその視線を受け止め、ランサーは頷いた。
「その呼び名、それに雪の話から察するに、聖杯戦争は過去にも同様のものがあり、お主はその時のサーヴァントであったと見たが、どうか」
「そうだ」
 そのことを問われてまで隠す理由はない。雪にきっちり説明していなかったのは必要を感じなかったのと細かく話すのが面倒だったからだ。その辺りは慨世も察しがついていたのだろう、
「詳細は聞かん。お主が雪に話していないのならば、その必要を感じなかったからであろう」
あっさりとそう言った。
「だが問いたいことはある」
「オレで答えられる範囲ならいいぜ」
 慨世からの話は直接役に立つ情報ではなかったが、聞いて損な話というわけでもなかった。情報交換という体を取るならばランサー側からは雪に話させた話で十二分すぎるのだが、戦の始めはどんな些細な情報でもあるに越したことはない。慨世にしろ守矢達にしろ、油断はできないが信頼には足る者達だとランサーは見ている。もう少し話をする価値は十分にある。
「それで構わん。聖杯戦争に選ばれる者の基準は何だ」
「聖杯を欲する理由があるか、聖杯戦争に参加すること自体に理由があるかのどっちかだな。たまに、巻き込まれただけの奴もいるが」
 ランサーの知る聖杯戦争には七人のマスターと七人のサーヴァントが必要であり、七組が揃わなければ成立しない。聖杯戦争に参加することを望むマスターが七人揃わなければ、聖杯がマスター適正のある者を一方的に選ぶのである。
「聖杯を欲するは、聖杯が万能の願望器だからか」
「何でも願いを叶えてくれる奇跡の担い手を欲しがる奴は少なくねえわな」
「……そうか」
 低く一つ、慨世は溜息をついた。現世を護る守護神として、人の業の深さに思いをはせたのかもしれない。
「ランサー、此度の聖杯も万能の願望器と思うか」
「なんとも言えねえな。オレや雪……たぶんそっちの二人も同じだろうが、「聖杯を取れ」ってな命令の意志は感じているが、その聖杯がどんなものかまでは伝えられていない。
 だが……オレの知る聖杯戦争と同じく、今回のマスターもサーヴァントもおそらく聖杯の関与あって選ばれている。この令呪はオレの知る聖杯戦争のそれと酷似しているからな」
 己と雪がマスターとサーヴァントであることを証明するために露わにした左腕の令呪をランサーは示す。
「今回の聖杯はマスターに令呪を与え、人をサーヴァント化するだけの力はある。ある程度のことはできると思うね」
「そうか。
 それでランサー、お主は聖杯を欲するか?」
「興味ねえな」
 きっぱりとランサーは即答する。
「オレは存分な戦いができれば満足でね」
 あとはいくらかの穏やかな時――例えばのんびりと釣りをしたり、ナンパをしたりする時――があればランサーは満足な日々を過ごせる。
「その戦いの機が得られることは望ましいか」
「おう。まあ、それが聖杯戦争である必要はねえが」
 どちらもランサーの真意である。
 強者との戦いが望める――好ましい相手とは言えなかったが、昨夜のキャスターの強さはランサーも認めるところだ――聖杯戦争で戦うことになったことはランサーの心を躍らせている。
 しかしかつて召喚された時とは違い、今このMUGEN界に在るランサーは聖杯戦争が無くても自由に戦う相手を求めることはできるのだ。聖杯戦争にこだわる理由もその気も、ランサーにはない。
「守矢、雪、舞殿、お前達はどうだ」
「望みません」
「私も」
「いらない。願いを叶えるものなんて、必要ない」
 三人が続けざまに答える。躊躇いなく迷いなく、きっぱりと。
――……なるほど。
 そうランサーが思ったのと、「解せぬ」と慨世が呟いたのは同時。
「何故、オレ達が聖杯戦争のマスターとサーヴァントに選ばれたか、か」
 慨世が抱いたであろう疑念を先にランサーは口にした。
 ランサーが戦った聖杯戦争では数合わせに選ばれた者以外のマスターは皆、聖杯を欲するか、聖杯戦争に参加する他の理由がある。
 サーヴァントも同じだ。聖杯を欲して召喚に応じるか、ランサーがそうであったように聖杯戦争で戦うことが望みを叶える手段であるからこそ召喚に応じる。
 ところがここにいる二組四人のいずれも、聖杯を欲していない。守矢と舞はまだわからないが雪は戦いも望んでいない。ランサー自身は先にも述べたように存分に戦える場が得られるなら聖杯戦争を強く拒む気はないが、どうしても聖杯戦争でなければならないというわけでもない。
 つまり、聖杯戦争に応じる理由がない、あるいは弱い者が二組四人も既にいる。これはおかしい。七組のマスターとサーヴァント達が戦い、殺し合うことが聖杯戦争の必須要素であるというのに、それを望まない者がいてはシステムに不備が生じる。一人二人ならまだしも、その数が増えれば聖杯戦争自体が瓦解する。
 例えランサーがかつて戦った聖杯戦争と今回の聖杯戦争が完全に異質だとしても、聖杯戦争なのだから聖杯を争うものであることには変わりはないはず。だというのにそも景品である聖杯を望みもしない、戦う気も薄い者を既に四人マスターとサーヴァントに選んでいるのはどういうことなのか。
 だからこそ「聖杯を取れ」と命じてくるのかもしれないが、そこまでする理由はなんなのか――
「これは今すぐに役立つことではなかろうが、心に留め置く必要はあろう」
「そうだな」
――キャスターに言っておいた方が、あっちの調べがつきやすくなるかもな。
 そう思いながらランサーは出されていた茶を一口口にする。日本産の緑茶の風味はランサーの故郷の地で彼が生きた遙か未来の世で愛されるようになった紅茶とは異なるものだが悪くない。
「さて、とだ」
 湯呑みを受け皿に起き、ランサーは改めて一同を見渡した。
「今後、オレ達は他の連中を捜しにかかるつもりだ」
 オレ達、というのはもちろん雪とランサー自身のことだ。
「とりあえずどんな奴かわかっているのはランサーであるオレ達とセイバーであるあんたらを除けば、こっちが出くわしたキャスターの一組だけ。
 あとはそっちの話のアサシンらしいのが一組に正体不明が一組。まだ何もわかってない残りは二組。
 この連中がどんな奴らかを掴むのが先決だとオレは考えている。もちろん、戦いになったら存分にやるがな」
 誰も、ランサーの言葉に否も応も発しない。「戦いになったら存分にやる」、その言葉が発せられたときに雪が身を強張らせたぐらいだ。だが慨世と守矢の様子から、彼らも同じ方針であることをランサーは察した。
――今はそれぐらいしかやれることはないからな。
 一つを、除いては。
「……で、どうするよ?」
 問いを向けた相手は、紅い髪の剣士。
「ランサー……っ」
「むこうの意志はまだ確認してねえ」
 非難と悲痛をない交ぜにした雪の声を、ただ一言でランサーは抑え込む。
「雪はランサー、あんたはセイバー、心情はどうあれ、少なくとも形の上では聖杯を争う相手だ。
 セイバーとそのマスター、テメェらはどうするつもりだ」
 戦うというなら戦う、むしろそれは望むところだ。隠すどころか堂々と豪放磊落、かつ鋭い闘志をランサーは守矢に叩きつける。
 それを守矢は変わらぬ冷然とした眼差しでのみ受け止めた。
 言葉は、ない。
「答える気はない、か? 好きに解釈するぞ」
 すうっとランサーの赤の――守矢の紅と同じようで全く異なる赤の――眼が細くなる。雪が嫌がるだろうと思わないではないが、この男の剣技を見てみたい、戦ってみたいというのはランサーの本心だ。
「答える必要のないことだ」
 そう守矢が言った途端、雪の強張った表情や気配が緩む。これだけで雪には伝わるらしい。要するに、いちいち言う必要なく守矢にはこちらと戦う気はないということなのだろう。
――伝わるっつーか、信じている、そんな感じだな。
 それだけ雪の義兄――御名方守矢への信頼、思いは深いのだろう。
「貴様が好きに解釈したければそうすればいい」
 僅かに、守矢の眉が寄せられる。やると言うならばやる、降りかかる火の粉は払うまで、そう守矢の眼差しは語っている。
「ほう……」
 おもしれえ、そう思うランサーの口元に獰猛な笑みが浮かびかけたその時――
「だめ」
抑揚の乏しい、しかしきっぱりとした声が割って入った。
「私達は、あなた達とは戦わない」
 声と同じく感情の薄い少女の眼はしかし、射貫くような強い意志をその奥に宿してランサーを見据える。
「戦わなきゃいけないものは、他にある」
「へえ、それはなんだ? 他のマスターとサーヴァントか?」
「……わからない。でも、あなた達じゃないことは、確か」
「わからない……ねえ。
 ま、そっちの考えがそうならそれでいいさ。オレもこの場で押し通すほどバカじゃねえよ」
「だったら最初からああいうことを言わないで、マスター」
 故意に「マスター」の部分に力を込め、雪はランサーを睨んだ。
「確認だ、確認」
 睨む雪を意に介せず、ぱたぱたとランサーは手を振って見せる。
「裏にあるものが見えねえ戦じゃ、敵味方の区別、己の立ち位置ぐらいはきっちり定めないとな」
「それにしてもお主はいささか好戦的だ」
 やれやれ、と慨世が一つ溜息をつく。
「ランサー、お主の今後の方針はわかった。雪も、ランサーの従者であることを受け入れた以上、その考えに異存はないのだな?」
「はい。
 ……できるだけ、戦いにならなければいいとは思っていますが」
「うむ」
 目を伏せた雪に慨世は頷いて見せる。雪の意志を肯定し、励ますように。
「ところでお主ら、今後の行動の拠点は決まっておるのか」
「いや、まだだ」
 戦いにおいて拠点は重要だ。安心して身と心を休める場、情報をまとめ、作戦を練る場を確保できるかどうかの差は大きい。ランサーも普段暮らしている家というべき場所は当然ある。が、そこを拠点とするのにはいくらかの問題があったためまだ拠点は決まっていない。
 さすがにランサーも普段自分が寝泊まりしているテントを雪と共に使うのはどうかと考える程度の分別はある。第二のねぐらはランサー自身があまり近づきたくない上、そこにいる者達にこの聖杯戦争について知られるといささか――で、すめばいいと思うほどに――面倒なことになるのは目に見えている。彼らに酒の肴となる話のネタを提供する気はない。
 しかしできるだけ早く拠点は決めなければならない。他のマスターとサーヴァントを探す傍ら、今日中に決めてしまおうとランサーは思っていたのであった。心当たりも一応ある。
「ならばこの家を拠点とするがいい。守矢と舞殿もいっしょだ」
「は?」
 早いとこ決めねえとな、と考えていたところの慨世の一言に、思わずランサーは声を上げていた。
 面食らったのはランサーだけではなかったらしい。
「えっ」
「師匠、それはまだお受けするとは」
 雪と守矢も戸惑いの色を露わにする。変化がないのは舞一人だ。
 その舞は一度守矢に目を向け、それから慨世を見ると、
「わかった」
そう、言った。
「舞」
「拠点は必要。他を探すより、ここがいい」
 抗議ともたしなめとも取れる守矢の声を、舞は淡々とした口調ながらもきっぱりとはね除け、
「お世話になります」
ぺこりと慨世に頭を下げた。
 眉間にしわを寄せはしたものの、守矢は口は開かなかった。素直に賛成はしかねるが、強く拒む理由も思い当たらないといったところなのだろう。
「うむ。我が家と思うて過ごすがいい。
 ランサー、雪、お主達はどうだ」
――襲撃を一度受けたとはいえ、ここは場所は悪くない。
 ランサーは答える前にこの家の周囲の様子を思い返す。
 街からは徒歩では小一時間ほどかかる場所だが、山を背に負い、田畑に囲まれ、道も一本道。守りに利のある場所である。主が現世の守護神であることもあってか、家の周囲には結界も複数張られている。霊地、というほどでもないが気脈の流れもいい。
 更にこの家は雪の家でもある。他より気が楽にもなろう。
「オレもその申し出、受けさせてもらう。いいな、雪?」
「……ええ。
 師匠、ご迷惑をおかけすることになると思いますが……」
 頷いた雪であったが、慨世には申し訳なさそうに目を伏せる。
「我が子のことを何故迷惑と思おうか。それに守矢にも言ったがな、此度の件、既にわしとて無関係ではないのだ。お前達が気に病むことはない」
 だからな、と慨世は守矢と雪、そして舞を見る。
「皆、命は粗末にするでないぞ。必ずや、生きて聖杯戦争を終えよ。
 ランサー、雪を頼む」
「おう。あんたの娘を死なせるような下手は打たねえように努めるさ」
「うむ……」
 きっぱりとランサーは答えて見せたが、何故か慨世は曖昧な表情で低く、唸った。
 

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