月下の運命 華の誓い
二の二 師であり、養父である守護神
地獄門というものがある。この世――現世と、あの世――常世を繋ぐ門であり、二つの世界を隔てる門だ。
四神の守護神と呼ばれる者達がある。現世の理を守るために地獄門が開かぬように守護する、四神――玄武、青龍、朱雀、白虎――の力をその身に宿した者達だ。
黄龍と呼ばれる者がいる。地獄門の五番目の守護神であり、本来は常世にあって封印を護っている。
しかしこのMUGEN界では、黄龍は何故か現世に在った。
理由は誰にもわからない。せいぜい、MUGEN界が無数の世界、次元、時が重なり合った特異な世界だからと推測するぐらいである。
幸い、黄龍が現世に在っても地獄門の封は揺るぐこともなく現世の理は守られている。そのため黄龍自身も四神達もこのことを早急に片付ける問題とは今では考えてはいない。
なにより、黄龍、人としての名を慨世という男は現世に己が在ることが嬉しかった。一度は断たれた三人の我が子達――全員血の繋がらぬ養子であるが、紛れもなく慨世の家族だ――と暮らす穏やかな時を再び過ごせることを誰よりも喜んでいるのが慨世であったのだ。
その慨世は今、子供達のことで心を痛めている。
「……聖杯戦争、か」
聞かされた話――決して長い話ではなかったが、慨世に懸念を抱かせるには十分だった――を自分の内で整理しながら、慨世は呟く。
「はい」
頷いたのは、慨世の養子の一人である紅い髪の剣士――御名方守矢。その隣には最近ちょくちょく守矢が行動を共にしている少女、川澄舞が座っている。
聖杯戦争――文字通り聖杯という、手にした者の願いをなんでも叶えるものを巡って行われる戦いだという。それに我が子と我が子が大切にしている少女が――守矢は何も言わないがそれぐらいのことは慨世は既に察している――巻き込まれているのだ。師として、親として慨世に見逃せる話ではない。
何より、守矢がこうして聖杯戦争の話をした。それは守矢が慨世を頼ってきたということだ。己のことであれば誰にも頼ろうとはせず、一人で解決しようとするのが守矢である。その守矢が慨世を頼ってきた。おそらくは川澄舞を思ってのことであろうし、聖杯戦争がそれだけ大きな問題であるということだ。ならば親であり師である慨世は最大限に子であり弟子である守矢に応えてやらないわけにはいかない。
ことに、慨世は「聖杯戦争」について既に無縁ではない。守矢が巻き込まれたからだけではない。先刻まではそうと気づかなかった、むしろ理由のわからないことであったのだが守矢の話を聞いておおよその見当がついたことがあるのだ。
そのことについて守矢に話すのは幾つかの確認をしてからだ、と慨世は守矢に問うた。
「守矢、お前がその、サーヴァント、従者であり、舞がマスター、主なのだな」
「はい。私はセイバー、剣士のクラスのサーヴァントに選ばれています」
守矢の剣の腕前ならば、それも納得できると思いつつ慨世は言葉を続ける。
「従者と主の組はお前達以外にあと六つあるのだったか。どういった者達なのかはわかっておるのか」
「舞を襲ったのはおそらくはアサシンかと。ただ昨夜はすぐに逃げられてしまったため、どのような者達であるかの詳細は不明です。他の組についてはまだ、何も」
「ふむ……ではまずは、他の組がどういった者達であるかを探るのが第一か。
聖杯戦争を仕組んだ者も探りたいところではあるが、今は難しかろうな」
人を無理矢理従者やら主やらに仕立て上げ、聖杯を競わせる聖杯戦争というものが自然発生で起きるはずがない。必ずや仕組んだ者がいるはずだ。しかしその者を見つけ出すのが困難であろうことは容易に推測はつく。ならば当面の脅威となる他の組がどんな者達であるかを明確化させることを今は優先すべきであろうと慨世は考える。
「はい。私もそのように思います」
「それでだな、他の組についてだが、一組、わしは知っておる」
頷いた守矢に向けて、慨世は本題を口にした。
「知っている……?」
ほんの僅か、守矢の紅い眼に怪訝の色が浮かんだ。それもそうだろう、守矢からすれば慨世は聖杯戦争になんの関わりもない。また聖杯戦争は始まってから日も浅いと思われる。慨世の助言、助力を求めて来た守矢もまさか他の組の心当たりがあるなどとは思っていなかったに違いない。
「主の証は従者を縛ることのできるその、令呪であったな」
慨世は守矢から舞の左手に目をやる。少女の白い手の甲には痛々しいまでに赤い痣のような紋様、令呪――三つの三日月を組み合わせた形をしている――がある。
「はい」
「昨日の夕暮れ、この家を襲撃した者達があった。
一人は緑の鎧兜を着けた男、もう一人は背に黒い翼を持った少女であった。慎之介と示源が追い返した故、被害はほぼ無い。
その際に襲撃してきた少女の右の腿に赤い痣があったのをわしは見た。三本足の烏の紋のようであったが今思えばあれは確かに舞殿の手にある令呪と同じものだ。つまりあの二人は少女を主、男を従者とした六組の内の一組なのだろう。
残念ながら、わしにはあの男がなんの従者なのかはわからぬが、彼らの戦いようのいくらかはお前達に伝えることはできる」
淡々と慨世は語ったが、守矢の表情は僅かにではあったが強張っていた。
「何故その者達はこの家を……っ、まさか、この家の誰かがマスターかサーヴァントなのですか」
襲撃者であるマスターとサーヴァントのことよりも、守矢が気にしたのはそこであった。もしそうであれば、家族や近しい者と戦わねばならなくなるかもしれないからだろう。確固たる理由と目的があってならともかく、聖杯戦争などというものによって敵味方と定められて戦うのは守矢には受け入れがたいこと、気にするのも当然だと慨世は思う。
「そうではない……と言いたいところだが、無関係ではなさそうだ」
言いながら慨世は立ち上がった。ついてくるように、と二人を促して居間を出る。
慨世が二人を案内したのは慨世の子供達の内の一人、そして守矢の義弟である楓の部屋であった。
ふすまを開けて入ったそこには二組の布団が敷かれ、それぞれに一人ずつが眠っている。
楓と、京堂扇奈と。
「……っ」
そして二人の枕元に座している人物を目にした守矢は顔色を変えた。
――嘉神、慎之介……っ。
守矢の紅の目に、刹那、剣呑な光が走る。
「何か用か」
射貫かんばかりに見据える守矢の視線を黙殺し、白い洋装に身を包んだ男――朱雀の守護神、嘉神慎之介は慨世に顔を向けて問うた。その傍らには嘉神の使い魔だという黒い洋装の少女、レンもちょこんと座っている。
「……守矢」
「わかっている」
嘉神を見据えたまま、守矢は舞の声に小さく頷いた。嘉神と守矢の間には一言では語れぬ因縁と確執があるのだが、それをひとまずは抑える理性は互いにある。ことに今は、それに――過去に――かまけている場合ではない。
「二人が目を覚まさぬ理由の一端がわかったかもしれん」
「ほう」
「……目を、覚まさない……?」
消えることのない嘉神への感情を心の隅へとどうにか押しやり、先とは異なる怪訝さを抱いて守矢は呟いた。そんな守矢と舞に慨世はまずは座るようにと促す。
眠る楓の傍らに二人が座ると、自分は嘉神の隣、丁度守矢と嘉神の間になる位置に座して慨世は改めて口を開いた。
「楓と扇奈殿が目を覚まさなくなったのは昨日のことだ。朝になっても起きてこぬ故雪が様子を見に行った時は既にこの状態であった。
原因は未だわからんが、レン殿が見たところによるとこの状態を維持しているのは扇奈殿らしい。おそらく扇奈殿の封印の巫女の力によるものだろう」
四神の一人、青龍である楓が原因不明の昏睡状態に陥っていることに気づいた慨世はすぐに他の四神を呼び集め、どうするべきかを相談した――この家が襲撃されたときに嘉神達がいたわけである――のだという。
その際、レンに二人の様子を見させてみようと嘉神が言った。嘉神の説明によると夢魔であるレンは他者の精神に干渉するすべに長けており、楓と扇奈の精神、魂がどういう状態にあるかを見るだけなら難しいことではないらしい。
「レン殿が言うにはな、扇奈殿は自らと楓を守るためにそうしておるようなのだ」
「自分達を守るため……」
つまり、そのような脅威が二人を襲ったということになる。
「何が二人を襲ったのかはわからん。だが、楓と扇奈殿が目を覚まさなくなったのが昨日であれば、この家が襲われたのも昨日、更に守矢、お前と舞殿が従者と主になったのも昨日だ。となれば聖杯戦争に関わりがあるものが楓と扇奈殿を襲い、またそれが素性不明の主従がこの家を襲った故であると見るのが自然だろう」
よどみなく慨世は言うがその表情には沈痛なものがある。師であり養父である慨世が、楓と扇奈のことを心から案じていることをその表情に守矢は感じた。
「私もそう思います。私達に与えられた知識の範囲では、聖杯戦争は守護神達や地獄門とは関係ありません」
守矢は眠る楓、義弟を見た。楓に苦しげな様子はないが穏やかと呼べる寝顔でもない。まるで人形にでもなってしまったかのような、生気のない寝顔。
何が楓にあったか今の守矢には知るよしもない。だが、こうなってしまった楓を未熟と思う。青龍として、剣士として未熟であったからこそ楓はこのような状態に成り果てた。
だが。
楓を未熟と断じた上で、守矢は義弟を救うと決めている。
それが聖杯戦争を戦う己の二つめの理由だと。
一つめの理由は――
「…………」
昏々と眠る楓と扇奈を見つめている舞は意識してか無意識にか、自分の左手の甲に――マスターの証、令呪の刻まれたそこに――触れていた。一見、表情こそいつもと変わらないように見える。だがこの少女が自分が巻き込まれた状況に戸惑い、恐れを抱いていることを守矢は知っている。
知っている、それが守矢の一つめの理由であり、守矢がこの家の戸をくぐった理由だ。
「……師匠」
「守矢」
新たな理由に己のやるべきことを見つめ直した守矢が口を開いたのと、慨世が呼びかけたのは同時だった。
「なんだ」
「はい」
同時に応じ、数瞬、顔を見合わせる。
言葉無く守矢が譲り、慨世は頷く。
「聖杯戦争のことだがな、楓達のこと、襲撃した主従のこともある。また、おそらくは過酷な戦いとなろう。
故に守矢、お前と舞殿はこの家を拠点とするがよい」
「師匠、それは」
思いもしなかった言葉に、よいとは思えません、そう言おうとした守矢の言葉を慨世は首を振ることで遮った。
「言ったであろう、わしとて既に聖杯戦争に無関係ではない。また一度この家は主従の襲撃を受けておる。お前達がいてもいなくても何も変わらぬ」
つまりここも安全な地と言えるかと言えばそうではないのだが、と慨世は苦笑してみせる。
「それでも馴染みのない場所よりはよいだろう。ここにはわしもおる。四神の皆も助言ぐらいはできよう」
言いながら慨世は嘉神を見やったが、目を伏せて黙している嘉神は何も応えない。
それは諾でこそなかったが、否でもない。慨世の判断に口を挟む気はない、そう嘉神が無言の内に示したのを察した慨世は苦笑を深めて守矢に視線を戻した。
「それにな、守矢、お前はともかくとしても女人である舞殿が安心していられる場所はそうはあるまい?」
「私は、どこでも大丈夫」
慨世を真っ直ぐに見た舞の口調はいつもと変わらない。その言葉は本心だ。本心で、守矢が慨世の言葉を拒むなら自分に異論はないと舞は告げている。
それ故に、守矢は慨世の言葉を拒むのを迷っていた。
もともと聖杯戦争に巻き込まれていながらも守矢がこの家に立ち寄ったのは、慨世達が持つツテで僅かでも情報を得られないか、情報を集めてもらえないかと頼むためだった。それ以上のことを求める気など守矢にはなかった。舞を支え守るためにできることと、慨世達を巻き込まないためにするべきことのせめぎ合いの中でこれが守矢が選んだことであった。
もちろん、慨世達の自分への思いを考えればそれ以上の助力を申し出てくれるだろうことも予測はしていたが、それは守矢はきっぱりと拒むつもりだった。しかし慨世との話の中で知ったこと――楓のこと、この家を襲撃したマスターとサーヴァントのこと――が、舞の覚悟の強さが守矢に迷いを生じさせている。
どうだ、と慨世が再度問いかける。
舞が守矢の答えを待っている。
嘉神が状況を見守っている。
安心できる場所、襲撃にも備えられる場所を拠点とすることの利を取るか、慨世達を深く巻き込んでしまうことを避けるか。守矢は迷い――
「……っ」
感じた気配に、すっと立ち上がった。
――この気配、間違いない。近づいてくる。
「守矢?」
舞の問い、否、確認の言葉に守矢は頷いた。
「サーヴァントが一人、ここに近づいてくる」
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