月下の運命 華の誓い
二の一 柳洞寺の魔女
街を囲む山には幾つかの寺や神社がある。中の一つに、柳洞寺という寺があった。修行僧数十人を抱える、この街近在の寺の中でも最も大きいものだ。
寺の住職は実直かつ剛胆な人柄で街の者から敬愛されている人物であるのだが、どういう訳か寺の下には強い霊脈が通っているだとか、地下には大空洞があって古代遺跡があるだとか、そういう噂が囁かれている寺であった。
その寺を雪はランサーに伴われて訪れていた。
「門番」であるという剣士とランサーとの軽いやりとり――独特の緊張感を雪は二人の間に感じた――の後、二人は寺の一室へと通された。その部屋で二人を迎えたのは、長い薄紫の髪と軽く尖った耳が特徴的な美しい女性だった。
「貴方がここを訪れるなんて珍しいわね。何の用かしら」
ランサーと雪が腰を下ろすや否、女性は口を開いた。その眼差しにも声にも、ランサーへの警戒と嫌悪の色が明確に宿っている。
「何、ちょいと聞きたいことがあってな」
女性の警戒も嫌悪もまるで気にした風もなく、そう言ってランサーは雪を見やった。
「先に紹介しておく。雪、こいつはキャスター」
「え、キャスターって」
聖杯戦争におけるクラスであり、昨夜戦った相手と同じ呼び名である「キャスター」の名に、雪の眉は自然に寄る。あの女性が昨夜の「キャスター」とは別人なのは明白だが昨日の今日だ、反応してしまうのは仕方がない。
「オレの同類さ」
そんな雪の反応をランサーはそのただ一言で片付けてキャスターに視線を戻す。雪にしてみれば説明不足も甚だしいのだが、ランサーにも意図はあるのだろうと敢えて深くは聞かなかった。
「それで、こいつは雪。オレと契約したサーヴァントだ。クラスはランサー」
「なんですって?」
今度は眉を寄せたのはキャスターだ。
ランサーは左腕に巻いていた包帯をするすると外す。露わになった腕には何も変わることなく赤い令呪がある。包帯をしていたのは一応、マスターであることをすぐには他の者に気づかれないようにするためだ。
「これで信じるか?」
「……本物のようね」
しばし、眼を細くしてランサーの腕の令呪を見つめた後、低い声でキャスターは言った。今まで見せていた警戒や嫌悪とは異なる緊張感がそこにある。
「どういうことなのか、説明してくれるかしら」
「元よりそのつもりだ」
一つ頷くと、ランサーは包帯を巻き直しながら昨夜のことを語り聞かせた。
「マスター、サーヴァント双方が共に戦うですって?」
話を聞き終えたキャスターは最初の感想を呆れ混じりに口にした。
「この世界らしいっちゃらしいがな」
「でも、『違う』わ」
キャスターは一度雪を見、すぐにランサーに視線を戻した。
ほんの一時しか視線を向けられなかったキャスターのその髪と同じ色の眼は、なにもかもを見通すような光を宿していると雪は感じた。
「その娘もそうだけど、貴方と戦った『キャスター』も英霊ではないのね」
「ああ。英霊ならオレが知らないはずがない」
英霊となった者は自分より前の時代のものだろうと、後の時代のものであろうと、同じ英霊のことを知識として与えられる。英霊である限り、知らない英霊はよほどの例外を除いてはない。
「もっとも、ありゃ真っ当な人間じゃねえな。怪物の類だろう」
「そう。一方で貴方のサーヴァントは怪物ではなく普通の人間だけど、サーヴァントであるのも間違いない」
キャスターの声は静かだが、その奥には剣呑な響きがある。
もし雪が、いやそれどころかこの聖杯戦争がキャスターにとって害になるものであるのならば、彼女は全力でそれを叩き潰しにかかり、邪魔するものには一切の情けも容赦もかけないだろう。それだけの力をキャスターは持っている。
――同類……か……
確かに、この女性はランサーと同等、同類の存在なのだろう。抑えられない緊張を覚えながら雪はそう思う。
「英霊ではないものをサーヴァントとする術式……構造そのものはおそらくシンプル。強制支配の術(ギアス)の変異・強化版といったところかしら。
既に世界に在るものにサーヴァントという属性を付加するだけだから現界を維持する必要もないし、英霊を呼ぶよりはずっと簡単なシステムね。
サーヴァントへの魔力供給は基本的にないはずだから、マスターの負担も少ないでしょうし」
「あぁ、そうだな。パスは通っているが、魔力の流れはいまんとこはねえ」
言いながらランサーが雪に目を向ける。その赤い目を意識した途端、何故かふっと、雪の肩から力が抜けた。
「……マスターからの魔力の供給はサーヴァントが宝具を解放したり、大きな力を使う時に行われることになっているようです」
雪は落ち着いた口調で自分の持つ知識を語る。こういった知識はサーヴァントにされた時に与えられている。マスターであるランサーも知っているはずだが、彼は自分に話せと促したのだと雪は感じていた。
「マスターからサーヴァントへだけではなく、サーヴァントからマスターへの魔力供給も可能です」
「それと、魔力の流れは普段はないが、契約を結ぶことでマスターもサーヴァントも能力が強化されるようだな」
「なるほど。魔力の供給以外に契約の意味を持たせることでシステムを成立させているのね。
マスターとサーヴァントの立場の違いは令呪の有無ぐらい、といったところかしら」
「はい」
「私達が喚ばれた聖杯戦争と貴方が取り込まれた聖杯戦争は共通点も多いけれど、異なるもののようね」
そう言ったキャスターの声の剣呑さが和らぐ。安堵の色がその表情にどことなく見える。
「自分とは無関係そうで安心したか?」
フフン、とランサーが鼻を鳴らした。
「厄介ごとに巻き込まれて喜ぶような悪趣味さは私にはないわ。
貴方と違ってね」
冷ややかにランサーを睨んだキャスターだったが、でも、と小さく呟いた。
「似ている点があるのは確か。本当に私……私達とは関係がないものかどうかはもう少し調べてみなければ」
「そりゃ助かる。じゃあそれがわかった頃にまた来るぜ」
「最初から私にそうさせるつもりで来たんでしょうに、白々しいこと」
「必ずしもそうじゃないさ。
テメェが黒幕の可能性だって考えてたからな」
僅かにランサーの目が細くなった。空気が冷える。ランサーは戦士の顔でキャスターを見据える――が。
「……まあ、十中八、九、それはないとも思ってたが。念のためってやつだな」
あっさりと屈託の欠片もなく、にぃっとランサーは笑んで見せた。
「……よく覚えておきなさい。これはこういう男よ」
「は、はぁ……」
真顔で自分に向けて警告するキャスターに、曖昧に雪は頷いた。ランサーが一筋縄ではいかない人物なのは昨夜からの短い間でも雪もわかっている。しかしそれ以上に頷かざるを得ない、さっきとは趣の異なる、しかしさっきよりも強い威圧感がキャスターからひしひし感じられたのだった。
「もしこの男のサーヴァントでいるのが嫌になったらいつでも来なさい。私が貴女を自由にしてあげる。
なんだったらこれを後ろから刺す方法も教えてあげるわ」
「えっ」
少々の範疇を超えた物騒な申し出に雪は小さく声を上げたきり固まった。
「あんたが言うと冗談に聞こえねえよ」
「本気ですもの」
にこりともせずさらりとキャスターは言う。その、一見なんでもない口調とは裏腹にキャスターの放つ威圧感がずんと強くなった。
「恐い恐い。旦那の前でその顔出さないようにな」
その威圧感をまるで意に介した風無く、ランサーは肩をすくめる。
「っ、何を……っ」
きっ、とキャスターはランサーを睨み付けた。が、うっすらと紅潮したキャスターの頬は怒りではなく嬉しさによるものであるかのように雪には思える。かといって怒りが偽であるというわけでもなさそうな辺り、キャスターの胸中には複雑な何かがあるらしい。
「さーて、そろそろおいとまするか」
ククッと楽しげに一つ喉を鳴らし、ランサーは立ち上がる。ぽんと一つ、まだ固まったままの雪の肩を叩き、
「行くぜ」
と促した。
「えっ、はい」
それでようやく我に返った雪も立ち上がり、ランサーの後に続いて部屋を出ようとしたが――
「お話、ありがとうございました」
座り直すと一つ、キャスターへと頭を下げた。ランサーとキャスターの話を全て把握できたわけではないが、大事なことであるのはわかる。それに今回の話の流れからして、少なくともあと一度はまたキャスターに話を聞くことになる。礼儀を尽くしておくのは当然だ。
「……え、ええ」
雪の行動が意外だったのか戸惑いつつ頷くキャスターにもう一つ会釈をしてから雪は部屋を出る。
「真面目だな」
とっくに行ってしまったと雪は思っていたのだが、部屋を出てすぐのところでランサーは雪を待っていた。
「当然のことでしょう」
「……なるほどな」
「何かしら」
なにやら納得した顔でランサーに頷かれ、雪は怪訝な顔をする。
「なに、あんたのことがまた少しわかったと思ってな。
さて、次はどうするか」
歩き出しながらランサーは言う。僧坊であるこの辺りは静かだ。柳洞寺には結構な数の僧がいるが、皆この時間は勤めや修行に出ているのだろう。
「オレの知ってる他の連中じゃキャスター以上のことは期待できねえ。なら、足で稼ぐしかねえか」
つまり、自分達を囮にしつつ他のマスターとサーヴァントを探すということだ。
「この聖杯戦争がどうなっているかを知るためにも、他の連中の顔も見る必要はあるからな」
「……そうね」
頷いた雪の表情は僅かに、硬い。ランサーの言うことは間違ってはいない。ただしその手段で見つけた他のマスターとサーヴァントは「敵」として襲ってくる可能性が高いだろう。そのことを思えば不安や恐れで雪の表情が硬くなるのもやむを得ない。
それでも、立ち止まったり逃げることなどできないことは雪もわかっている。一つ一つ、できることをやって進んでいくしかない。
――その為にも。
「そうする前に行きたいところがあるのだけど、いいかしら」
望んでいなくとも「聖杯戦争」などというものに関わってしまった以上、雪にはそのことを伝えておかねばならない人達がいる。それにあの人達なら何か気づいたことがあったり、助言をもらえることがあるかもしれない。
「あぁ、かまわねえぜ」
雪とは対照的にランサーは気楽な様子だ。どことなくわくわくしている気配も感じられる。
――まったく……
ランサーが戦うことを好む質であることは察してはいるが、やはり好ましくない態度だと雪は思ってしまう。自分も、相手も命を懸けることになる事態、戦いをただ楽しむというのは雪には理解できない。
――この人のこういうところは、ちょっとね……
「あん? どうした?」
いつの間にか足が止まっていた雪をランサーが振り返る。その向こうには柳洞寺の山門が見えた。来た時にはいた門番の姿はない。
「いいえ」
一つ首を振って雪は歩みを再開する。
「そうか」
深く問うことなく、雪が自分に並んだタイミングでランサーも歩き出す。
二人は山門をくぐり、長い石段を下りていく。
階段を下りながら一度だけ、雪は隣をゆくランサーにちらりと視線を向けた。
気負い無く、不敵で、楽しげな顔、それは戦いを望み、楽しみにしている者の顔。
――……言っても変わるものじゃないでしょうけど。
人のそういった性質を変えるのはまず無理であるということを、ある人を見てきた雪は知っている。
一段一段、ランサーと共に階段を下りながら、その人のことに雪は思いをはせた。
彼の人が自分のこの状態を知ったならば、どうするだろうか――
――きっと、今までと同じように――
それは雪が彼の人をよく知るからこその当然の思い、無邪気な信頼。
「そうでなかったならば」そうなるはずだった、こと。
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