月下の運命 華の誓い
Lancer - Anxious White
赤い槍が赤い闇の中を踊る。
槍が踊るたびに襲い来る黒い風が、爪が、人影が、あっけなく払われ、打ち砕かれ、貫かれる。
飾り彫りを施された槍は天にある今宵の月の如く禍々しい。戦いの最中でもそれが感じられたのだから何か不吉な力を秘めているのかもしれない。
だがその不吉さを彼の技は忘れさせた。
苛烈かつ容赦なく、疾風迅雷の如きの槍捌きは、同時に極めて精緻。
槍がいかなるものを秘めていようと関係ない。槍を繰るのは彼。槍の動きは彼の心の有り様。
赤い闇を裂く赤き槍の踊りは故に美しく、雪の心に焼き付いた。
――この人が私のマスター……一緒に戦う人……あの槍の使い手……なのよね……
密かに何度か自分に言い聞かせた言葉を、雪はまた繰り返す。
場所を変えようと言ったランサーが雪を連れて行ったのは24時間営業のファミリーレストランだった。テーブル席で向かい合って座り、ランサーはコーヒーを、雪は緑茶を注文した。
そこでランサーは、雪がサーヴァントとなった経緯を問うてきた。問われるままに答えながら、雪は明るい電気の光の下でランサーを改めて観察する。
青い髪、赤い目が印象的で、自信と強い意志を感じるどこか野性味のある精悍な顔立ちは男前と言っていいだろう。
身につけているのは派手なシャツとジーパン。服装だけで人を判断するのはどうかと雪も思うが、口調や表情から見ても、ランサーは少々柄が悪い。性格もおおざっぱで強引なところがあるようだ。例えば、雪を抱えたまま槍を振るったあの腕前は感嘆に値するが、他者への配慮にいささか欠けた行動とも言える。その後の態度からしてもそれを悪いとはランサーはあまり思っていないだろう。
――…………
雪はランサーの腕にある、赤い痣、木の枝を意匠化した紋章――令呪にちらりと目を向けた。あれこそはこのランサーが聖杯戦争におけるマスターである証。またランサーと自分の間に、目に見えないマスターとサーヴァントの間の繋がり、パスが通じていることを雪は今も感じている。
ランサーが雪のマスターであることを否定する要素はどこにもない。
――大丈夫なのかしら……
疑いようのない事実を認めながらも、いささかの不安が雪の胸の内にはあった。
不安なのはランサーの戦いにおける技量のことではもちろんないない。先刻の戦いは時間にすれば短かったが、ランサーの実力が十分であることは見て取れた。正直な話、ランサーは雪よりずっと強い。聖杯戦争という戦いがマスターとサーヴァント一組でなければならないという決まりでなければ、彼は自分を必要とはしないだろうと雪が思うほどに。
ならば何が不安かと言えば――端的に言ってしまうと、雪はランサーのような人物が苦手なのだ。ランサーが悪い人物だとまでは雪も思っていない。からっとした、竹を割ったような性格で、基本的に人好きのする人物だろう。しかし柄が悪く粗野であるところや、強引で押しが強いところは苦手だ。
無益な戦いを好まない雪だが、聖杯戦争に取り込まれ――気がついたらサーヴァントなどというものにさせられてしまったのだ。巻き込まれたとか関わってしまったとかいう話ではない――てしまった以上、命懸けの戦いを忌避できるものではないということは理解している。その命懸けの戦いの中で、背を預けて共に戦う相手に苦手意識を持っているというのはまずい。まずいがこれは簡単には払拭できるものでもなく、故に雪は不安を覚えていたのであった。
ただ、幸いなのは、ランサーが悪い人物ではないことと――
闇を踊る、赤い槍。
鮮烈に雪の心に焼き付けられた、あの光景。ランサーの槍捌きに邪念はなかった。敵を屠るものでありながら、血なまぐささを感じさせなかった。
それは即ち、ランサーの魂がそうであるからだろう。振るう技には、その者の心が、魂が映るものであると雪は師に教わり、自らの体験を通してもそうだと感じている。
そして、あの槍捌きが映し出した魂の持ち主ならば、苦手な点があっても信頼できる、そう、雪は思うのだ。
「つまり」
響きの変わった――聞くことは一通り聞いた、という声――に、ひとまず雪は思考を切り替えた。ランサーとどう接していくかも考えなければならないが、現状を把握する方が今は先だ。
「あんたも何故自分がサーヴァントに選ばれたかはわからねえし、この聖杯戦争がどういうものかもわかっていないんだな」
「……ええ」
頷きを返し、もう一度今日のこと、今し方ランサーに話したことを雪は思い返した。
義弟を襲った異変について調べていた時、雪は唐突に自分がサーヴァントであり、聖杯戦争を戦い、聖杯を手に入れなければならないという認識と衝動を覚えた。「聖杯戦争」の基本的な知識、雪が今まで知らなかった知識――マスターとサーヴァントの関係、聖杯とはどんな願いも叶えられる奇跡の願望器であることなど――もいつの間にか頭の中にある。
確かに自分の中にありながらも自分のものとは思えないそれに雪が戸惑っていた時、あの二人――キャスターとそのマスター――に襲われたのだ。
「そこはオレの方も似たようなもんだな。いきなりマスターになっていた」
ランサーはコーヒーをすすり、自分の腕の令呪を見やる。
「ま、戦って勝ち抜くだけならこれぐらい知ってりゃ十分だ。が、もうちょい情報は欲しいな」
「そうね。訳もわからないまま戦うのは嫌だわ」
「それもないではないが、勝ち抜いたところで生贄に捧げられるだけってオチじゃつまらねえからな」
「生贄に捧げられるって……どういうこと?」
「そういうのもあったって話さ。今の聖杯戦争がそうじゃないって保証もどこにもないけどな」
雪は柳眉を寄せた。肩をすくめたランサーの口調は軽いが、その話は剣呑どころではない。人を無理矢理争いに引きずり込む仕組みだけでも忌むべきものであるというのに、戦いの果てにあるものがそんなことだとしたら、聖杯戦争とはなんと不毛なものだろうか。
「じゃあ、まずはこの聖杯戦争がどういうものかを調べることが最優先になるということ?」
「そうだな。その最中に敵が出てきたらぶっ潰していけばいい」
「私は無益な戦いはしたくないのだけど」
もう一つ、雪にランサーが苦手だと思う理由が増えた。彼はかなり好戦的なようだ。
「さっきのキャスターの戦いでわかってると思ったがな。殺らなければ殺られるんだ、無益じゃねえよ」
「聖杯戦争に関わる者皆がそうとはまだわからないでしょう。むやみやたらには戦いたくはないわ」
「一理はあるな。だがのんきに見極める余裕があるとはかぎらねえぞ」
「それは……わかっているわ……」
雪は目を伏せた。互いの本心がどうであれ、戦わざるを得ないことがあることは身にしみて雪も知っている。
「まあ、あまり重く考えるな。
お前がどう動くか、どう戦うか、その軸を見失わなけりゃなんとかなる。それにな」
カチャリと小さな音を立て、ランサーはカップを置いた。
「無益な戦いをしたくない、その考えは悪くはねえさ」
笑みが、ランサーの口元に浮かぶ。今までに何度か雪が見た、肉食獣にも似たものでなければ、いたずらめいたものでもない。
からりと明るく、どこか優しい笑みだった。
故に――
「ありがとう」
自然とその言葉は口をつき、
――……何とかやっていけるかもしれない……
うっすらとではあるが、雪はそう、思った。
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