月に黒猫 朱雀の華

序の一 はじまり

 ………愚かな人間など、その歴史もろとも消し去ってくれるはずが…貴様ごときに破れようとはな……

 ……だが!!
 このまま敗北の中で生き恥をさらすは……あまりに、愚か

 我が野望の大穴とともに朽ちて果てるも
 また、

 ……美学か


 それが、嘉神慎之介の最期の言葉だった。
 「人」に絶望し、世界を破滅させようとした朱雀の守護神、嘉神慎之介はその言葉と共に地獄門へと身を投げ、絶命した。


 はずであった。


――…………
 意識が覚醒したとき、嘉神慎之介の碧い瞳が映したのは、どこをどう見てもどこかの屋敷の天井であった。
――いや。
 訂正。
 どこかの屋敷の寝台の天蓋であった。
――いやいや。
 嘉神は目を閉じた。その視界のすべては闇に閉ざされる。
――地獄門に身を投げたのだ。何故このようなものが見える。
 見えるとすれば、地獄門のあの光景――醜い感情をむき出しにした人であったものがうごめき、うねり、現世へなんとか這い出ようとするあのおぞましい光景のはずであった。そして嘉神は、その一部と化したはずであった。
 寝台の天蓋などが見えるのはおかしいのである。
 やわらかな布団に横になっている感触があるのもおかしいのである。
 心地よいと言って良い静けさに包まれていることもおかしいのである。
――…………
 おかしいはずなのに、疑いようもない現実に観念して、嘉神は目を開いた。
 天蓋は変わらずそこにある。
 少し視線を動かせば、自分がずいぶんと立派な寝台に寝かされていることがすぐにわかった。更に周囲を見回せば、寝台のあるのが広い西洋風の部屋だということも見て取れた。落ち着いた色合いの調度品で統一された、品の良い部屋である。

 そして。

 寝台の傍らの椅子にちょこんと腰掛けた、黒ずくめの格好の少女と嘉神の視線が重なった。
 

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